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【映画レビュー】古さも低予算も気にならない至高のパニック映画!

人生初めての映画レビューです。

先日お昼休みに会社の先輩とスティーヴン・キングで盛り上がったんですが、
後日その方がおすすめ映画のDVDがたくさん入ったケースを貸してくれました。
1990〜2000年代の古めの映画が中心なのですが、これが意外と面白くて。
それで居ても立っても居られず、記事を書こうと思い立ったのです。

今回語りたいのが、『スティーヴン・キングのランゴリアーズ』です。
スティーヴン・キングの記事が続いちゃいますがご容赦ください。
以下、概要です。

『ランゴリアーズ』(The Langoliers)はスティーブン・キングが1990年に発表した中篇小説Four Past Midnightに含まれる1篇である。ロサンゼルスからマサチューセッツ州ボストンへ向かう夜間飛行の同じ飛行機に乗り合わせた人たちが過去の時間に取り残されるホラー作品。

1995年米国ABC放送制作でトム・ホランドが脚本・監督を務めたミニシリーズ「The Langoliers」でドラマ化もされている。 日本においては、NHKが1997年12月29日、1997年12月30日に二夜にわたって前編・後編に分けて放送している。2008年10月24日『スティーブン・キングのランゴリアーズ』のタイトルで日本版DVD発売。

Wikipediaより

あらすじは以下の通り。

離婚した妻が亡くなったという知らせを受け、ロサンゼルス発ボストン行きの飛行機に飛び乗った、ベテランパイロットのブライアン。
夜間航行のため離陸と共に眠りに落ちるが、少女の悲鳴によって叩き起こされる。
盲目の少女が絶叫していて、駆け寄ってあやしているうちに、ハッと気がつく。
辺りを見回すと、客席が空になっていた。
同じように茫然自失としている乗客があと9人居たが、それ以外の客は忽然と消えてしまった。
パニックになる乗客たち。
寝ている間にどこかに着陸したのか?CIAの実験か?どうして我々だけ残されたのか?
機長と副議長も消えていて、ブライアンはすかさず操縦席に駆け込みSOSを出すが、どこにも繋がらない。
やむ無く近場の飛行場に緊急着陸する。
極度のストレスで発狂しかけているビジネスマンのトゥーミーが、ボストンに行くことを執拗に求めるが、他の乗客に黙らされてしまう。
ひとまず墜落を免れ安堵した乗客達だったが、降り立った飛行場には人影ひとつない。
それどころか全く臭いがなく、音が反響せず、景色が奇妙にくすんでいる。時間の進み方も異常だ。
やがて盲目の少女ダイナが、奇妙な音が聞こえると言い出す。音は徐々に近づいてくる。
その正体は、トゥーミーが言うには、怠け者を喰らいにきた「ランゴリアーズ」なのだという。

やがて完全に発狂し錯乱してしまったトゥーミーが、その恐怖を殺意に変えて乗客達に牙を剥き始める。

たまたまこの映画を見る前に、『メッセージ』(2016)『DUNE 砂の惑星』(2021)『ブレードランナー2049』(2017)と、小説を映像化した映画作品を立て続けに観てました(こっちは普通にアマプラで)。
そういえば全部ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品ですね。知らずに三昧してました。
『スティーヴン・キングのランゴリアーズ』も原作がある映画という点では共通してますが、非常に大きな違いを感じました。

もちろん、このラインナップで比較するのは全然フェアじゃないのを承知の上で、方々に頭を下げつつ語らせてください。

一方は予算の大きい気合の入った映画で、片方はチープ感が否めない低予算映画。
でも後者の方が断然面白かったことに、私自身驚きました。
<予算の大きさ=面白さ>とは言い切れないとしても、<予算の小ささ≒B級映画≒浅い>みたいな公式は成立すると勝手に思い込んでいたのを、覆された感覚です。
古さやチープさも気にならない……。
では一体なにが映画の面白さを左右したんでしょうか?


会話・セリフ、すなわちコミュニケーションの豊富さが没入感を生む

『ブレードランナー2049』との対比が最も鮮やかだったので、ここで比較してみます。
この映画は言わずと知れたフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を映像化した 『ブレードランナー』の続編で、
見どころは、ずばり映像美だと思います。
サイバーパンクな世界の退廃的な魅力、あるいは一つ一つのシーンが蠱惑的な光や色彩で区切られ、まるで絵画やインスタレーションのような印象を与えるところ。
しかし、その代わりに登場人物に共感・理解するための手がかりはガッツリ捨象されています。
主人公すら何を考えてるのか分かりません。

一方の『ランゴリアーズ』は、『ブレードランナー2049』の約10年前の作品ですから映像技術で勝てないのは自明のことです。
だけどそれでもチープな感じは否めず、特に旅客機の航行シーンは思わず笑っちゃうほどゴテゴテのCGでした。
つまり、明らかに映像に力点を置いていないのです(単に予算がなかったって事かもしれませんが)。
じゃあ何に力点が置かれているかというと、人物描写。そしてそれを端的に表すセリフ、会話です。

この二作品を比較してみて初めて、会話の多寡が作品と視聴者との間の距離感を左右するのだと気付いたのです。

『ブレードランナー2049』は本当に会話が少ない作品です。
だから作品全体がどこか自閉的というか、登場人物全員が自分の胸の内で考え判断し、思考の過程を外に出さないのです。
そして視聴者は次々起こる出来事を第三者的視点で、つまり「神の視点」で俯瞰しているしかない。
主人公をはじめ登場人物が何故そんな行動を取るのか、何故裏切るのか、何故助けるのか、理解する手がかりがあまりにも少なすぎて、本当に物事の成り行きを観察するだけになります。クレーの天使の絵みたいに。

(私は未だに、ウォレスの美人秘書アンドロイドが主人公にけしかけた娼婦が、人間にも関わらずアンドロイド側のレジスタンスに参加している理由が分かりません。フラグありましたか?)

一方『ランゴリアーズ』は会話やセリフが非常に多く、乗客達はかなり密にコミュニケーションを取り合います。
彼ら一人一人の思考・決断・行動の過程がそこから分かってくる。
そのため、発狂して狂気の殺人鬼と化すトゥーミーに至るまで、ちょっぴり共感してしまうほど、人となりが理解できるようになります。
登場人物達が置かれた状況は『ランゴリアーズ』の方がずっと複雑で込み入っています。
でも視聴者は「神の視点」というより、まるで乗客の一人として映画に没入できるので、多少複雑でも問題ありません。

というわけで『ランゴリアーズ』の魅力の一つは豊富で自然な会話やセリフ、ということですが、
他にも「いいな」と思ったところを列挙していきたいと思います。


紋切り型の起承転結ではない

乗客の大半が消えた旅客機での騒動は、起承転結の「起」としては最高のものだし、もし、その後ある程度予想できる「承」「転」「結」が続いても、まずまず面白かったといえる映画になっていたと思います。
でも思いがけず物語は全然違う方向へ進んでいき、しかも同時並行的にさまざまな問題が起こり、「これで一件落着」と思いきやそうではなかった、というような裏切りが続きます。
この、一寸先も読めない緊張感がたまらないのです。
この「読めなさ」には登場人物達の会話も一役買っていて、特に乗客の中のミステリー小説家による荒唐無稽な推理、盲目の少女による一種超能力者的な意味深発言など、超常現象をさまざまな角度から解釈するよう促してきます。
こうやって視聴者を迷路に迷い込ませておいて、次々と予想外の異常自体が発生する。

もう一つ展開を予測しにくくしているのは、登場人物が一見ステレオタイプな人物像なのに、実はそうではないという意外性。
ステレオタイプな人物像を手掛かりに物語を先読みしようとする小賢しい視聴者をバッサリ裏切ってくれます。
たとえば、特に意外性が強かったのが盲目の少女なのですが、
一見守られるべき存在の彼女が、人知れず冷酷とも取れる決断をし、その大きすぎる代償を引き受ける。
大人達は彼女が一体何をしたのか分からないまま、ただその決断に困惑するばかりになります。
そして彼女自身の物語と悪役トゥーミーの物語が複雑に絡まりあったりもしていて、
あまりに少女の人となりが複雑すぎて、もはや次に彼女の身に何が起こるのか、見当もつかなくなりました。


時間SFに新しい解釈を提示した偉業

個人的にここが一番語りたいんです。
すみません、ネタバレを多分に含みますので、回避したい方は読み飛ばしてください。

古今東西さまざまな時間SFが生み出されてきた中で、しかしほとんどの作品は通史的な、一歩通行の時間軸を大前提としています。
哲学の世界では、既にベルクソンらによって〈量的な時間〉というものが相対化されているし、文化人類学では「共時的」な時間感覚を持つ先住部族の神話構造が明らかにされている。
なのに、多くのSFは未だに一定の速さで過去から未来へ流れていく時間イメージを所与のものとしているのではないでしょうか。
しかも時間SFというと、同時にある特定のプロットがイメージされてしまいます。
つまり、過去に遡って未来の結末を変えてしまう歴史改変SFか、未来にタイムスリップして進化した文明を謳歌するタイムトラベルSFか。
多分その二つに一つだろう、と。

『ランゴリアーズ』はそのどちらでもなく、「通史的」時間軸ですらない、独自の時間の観念を提示している点で脱帽させられます。

旅客機がモハベ砂漠上空で時空の切れ目に飛び込んでしまい、その時偶然眠っていた10人の乗客が消えずに旅客内に取り残された。
ここまでは非常に王道なタイムスリップSFです。何か高速の乗り物で時空の切れ目に飛び込むというアイデアはバック・トゥー・ザ・フューチャーをも髣髴とさせます。

しかし時空の切れ目の向こう側、すなわち「過去」の世界の解釈が普通じゃない。そこは「死につつある世界」で、全てが色褪せ、不気味で、静まり返っている。
うまく言い表せるか分かりませんが、つまり「現在」という時間は常に動き続けているが、一方で「過去」は、新幹線から車窓を眺めると景色が後方に飛び去っていくように、取り残され、やがては消えていく世界なのです。
一度「現在」が通り過ぎた後の世界は後に残され、やがて存在しなくなるという、この独特の時間感覚。
この感覚を、私は子供の頃に抱いたことがあるのを思い出しました。「明日になると昨日はどうなっちゃうんだろう?」って。

キングの答えは「ランゴリアーズに食われて消える」です。ここも非常に童謡っぽい、子供の発想のように思われます。
命からがら脱出した飛行機の窓から、滑走路がランゴリアーズに食い尽くされて虚無の暗闇に落ち込んでいくシーンが印象的でした。

次に辿り着いたのは未来の世界。ここは一転して臭いも音の反響もあり、食べ物も味がある(つまり死に絶えていない)。
そしてとうとう「現在」がやってくる。
止まっていた「未来」の世界が、「現在」が追い付くことで動き始め、改めて「現在」の世界として駆動し始める。
つまり未来の世界は「現在」がやってくる前に常に用意されている。
この時間感覚も、なんだか子供の頃に抱いたような気がします。

子供時代の想像力によって、時間SFに新たな解釈を付け加える偉業を成し遂げた(かもしれない)と考えると、作者の才能に改めて驚かされます。


一人だけ全く違う世界を生きている殺人鬼

他の乗客達が消え、混乱の最中にありつつも何とか冷静を保とうとする10人。
その中に一人だけ頑迷にボストン行きを主張し、相手が子どもでも関係なく大声を上げて威圧するビジネスマンが、今作のスリラー担当、トゥーミーです。

「誰か今の状況を説明しろ!!」と、誰も説明できないのも分かっていて叫び続け、何がなんでもボストンに行かせろと言ってくるトゥーミーは、やがて他の乗客達に力技で捩じ伏せられ、そこから精神に変調をきたし始めます。

消えてしまった乗客、繋がらない無線、別の空港への緊急着陸、無人の飛行場ーー乗客達はそういった試練に直面し、考え、推理し、互いに意見を交換し合って難局を乗り切ろうと力を合わせます。
しかし、トゥーミーだけは全く異なる世界のなかで一人葛藤します。

権威主義的な父親のスパルタ教育の思い出、父親への気が狂うほどの畏怖、その父親が脅しに使った「ランゴリアーズ」という化け物への恐怖、そして直近の株取引で多額の損失を出した事への重圧。
父親の幻覚は次第に濃くなり、大損失を出したことを何としてもボストンの会議で釈明しなければならないと強迫観念にとらわれ、そのために乗客達を脅迫しようと銃を手に入れ危害を加え始めます。

やがて「ランゴリアーズ」から逃げられないと悟ると、ほとんど自暴自棄になって、現実と幻覚の区別もつかなくなって狂い果てます。

もう、彼だけ全く別の世界に生きて、そこでたった一人孤独に戦っているのだと分かってしまうと、彼のことも憎みきれなくなってきます。
繊細な心の持ち主で、父親からずっと抑圧され続けていて、しかしだからといって根っからのワルではなく、ただ歪んでしまっただけで……

書いていて気づいたのですが、現実の世界が「人間が消え去った空港」みたいな非現実性を濃厚に帯びていると、夢と現実の境目が曖昧になって、確かに幻覚が強まるのも無理はないなと思うのです。こういうところもリアル。
悪意のない悪、被害者でもある加害者、そういう二律背反がより際立つ舞台設定かもしれません。


やや急ぎ気味のクロージング

最後に個人的に残念だった点を少しだけ……。
この作品はいろいろありつつも最後はハッピーエンド、爽やかな終わりを迎えるのですが、
この終わり方に疑問を呈する方も、ネットで検索すると割とおられるようです。
私もその一人ではあるのですが、ひねくれたSF好きとして、実はここからの展開にむしろ期待していたんですよね……。

旅客機には推定200人くらいの乗客がいた筈で、彼らは忽然と消えたんです。
「現在」の世界はこれをどのように処理するんでしょうか?
200人の乗客には当然家族や知り合いがいて、ロスで彼らを送り出した人がいて、ボストンで待っている人がいて、勤め人で学生で、昨日まで社会生活を営んでいた人ばかりの筈で、
それが突然、200人も失踪したとなったら普通に大事ですよ。

そういえば似たような翻訳小説が少し前に話題になったのをご存じでしょうか。
エルヴェ・ル・テリエの『異常【アノマリー】』です。

作品のあらすじはちょっと紹介できないのですが、「ある衝撃的な出来事」が起こった後の、社会の反応や対処、秩序の回復が非常にリアルに描かれているのです。
我々の社会は【異常】を【正常】に戻そうとする時どのような反応を見せるのか、その過程で一体何を犠牲にするのか、そういう深い問いかけがあります。

『ランゴリアーズ』も間違いなく、自分たちの社会・共同体の在り方を深く見直すきっかけをくれるようなフィニッシュを迎えられたはずなんです。
忽然と姿を現したボストン行の航空機。飛行機ごと消えた大量失踪事件として大ニュースになり社会不安を引き起こす。
あるいは、消えたと思っていた200人が実は全く消えていなくて、普段通り生活しており、むしろ生き残った乗客達が死んだことにされていた……とか。
ここから物語が面白くなりそうなのに!というところで、いきなりハッピーエンドで終わってしまったのが惜しい…惜しすぎる……

あとこの作品、今リメイクされても結構興行収入稼げるんじゃないかと思うんです。
最先端のCGで、あの度肝を抜かれる衝撃のシーンを再現したら絶対いけると思うんですよね。
今一番リメイクしてほしい映画『スティーヴン・キングのランゴリアーズ』、機会があれば皆さんも見てみてください。

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