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サブカル大蔵経617村田沙耶香『マウス』(講談社文庫)

本欄では、付箋を貼った蔵書を再読して、抜き書きしたものを挙げてきたのですが、本書は、先ほど読み終わったばかりで、まずここに載せたいと突き動かされました。

学生の頃、大島弓子の作品を読んだ感覚。この年になっても、まだそれが味わえた。

傷つくことを、人はどう克服できるのか?

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私はとりあえず一人、「大人しい女子」を捕まえたことにほっとしていた。p.10

 弱そうな人ほど、差別的な感覚を持つ描写。自分の子供の頃、相手や周りのことばかり気にしていたことを思い出しました。高2の時にコサキンの深夜放送ラジオに出会うまでそれは続きました。

点数の高い女の子は、いろんなことに気づかずにいられるんだなあ、と私は思った。p.40

 こういう女子的スクールカースト感覚はわからないので、大人になった今でもそれを抱えている人も多いのかと思いました。

実際に自分が囁かれてみると、生ぬるい息がかかって気持ち悪かった。p.59

 村田さんの皮膚感覚描写はいつも鋭い。

私はもう一度鏡をのぞいた。そこには、「田中律」ではなく、一人のしっかりと身なりを整えた「店員」がいた。p.142

『コンビニ人間』を彷彿とさせる描写。

「今も眠い。律、コーヒー、もう一杯」「かしこまりました」p.175

 野郎たちの会話を女子に取られた感覚。悔しいくらいの名セリフ、名シーン。もう野郎たちにはできない台詞のような。名作の香り。

働いているときはあんなに近くに感じられた皆が、今はずっと遠く感じられた。p.201

 サンガの中ゆえの孤独感。仏教的。

「言っとくけど、瀬里奈がそんな性格で許されてるのは、綺麗だからだよ。」p.209

 瀬里奈をモトーラ世理奈に投影しながら読んでいました。実写も観てみたいです。

追記 明日、岩波少年文庫のホフマン『くるみわりとネズミの王さま』買いに行こう。


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