見出し画像

【宮崎市】Jターンした民間出身の大学教員が、ゼミで参加する理由

宮崎市代表(自称)として、ネタ記事ぽいnoteを投稿している土屋ゼミの担当教員の土屋です。

真剣なのか?という声もあるとか、ないとか。壮大なコントである「移住ドラフト会議」ならではの交流から移住からゆるやかな繋がりをつくるキッカケになるなら、いいかなと思ってます。

何より、前回東京で開催された移住ドラフト会議では、私は日南市の代表(球団GM)として参加して、日南市で活躍してたり、繋がって新しい地域のカタチや生き方や居場所や仕事を創ってるみなさんをクジで引き当てたりしたりもしてます。

私は今回、宮崎市代表(自称)としてゼミとして参加してますけど、日南も大好きです。というか、出身地の都城市も好き、県内どこでも好きなんです。

私自身が、宮崎県都城市出身で大学進学で東京へ行き、大学生時代からベンチャー企業の役員になったり、上場したり、社長したり、売却したり、売却されたり、鎌倉の面白法人カヤックで部長やったり、コンサルしたりしてました。

そして、今から約5年前の33歳で宮崎にJターンして起業します。(Jターン:都城市出身だけど、帰ってきて住んで・生活してるのは宮崎市だから、UじゃなくてJ)。

その後、宮崎のIT企業の役員やったりして、3年前から宮崎大学の教員(専門は地域課題解決へのマーケティング活用、デジタルマーケティング)やってます。東京の大学院のMBAコースで客員教授やったりしているので東京と宮崎を行ったり、来たりのライフスタイルです。

この間に、宮崎県内各地の地域づくりや創業支援など多くのことに携わらせていただきました。

そこで見えてきたのは、緩やかな繋がり、追い込まれた空気よりも好きを大切にする選択の中で、それぞれの”居場所”が生まれていく。その中で、自分の人生を自分でコントロールできる感覚が強くなってきました。

居場所というのは、誰にかに必要とされる存在になる感じです。

実は私を必要としてくれる人がいるんだ。私の代わりはいない。私はわたしでいていいんだ。という気持ちになることができました。

私自身も誰しもが完璧ではなく、凸凹の存在で、誰かと繋がったりコミュニティにふれることで、自分の存在を受け入れて合致することができたりする。

みんな、そんな出会い(居場所)を増やしたほうがいいと考えています。

地方創生で、『若者をいかに地域に残ってもらうか。東京から地方に移住する人を増やすか。就活するなら地域の企業を知るべきだ。』という声が大きいタイミング。そして、大学生は就活のルールが変わるタイミング。

新卒の就活が人生を決める人もいる。でも決まらない人もたくさんいる。極端な意見はいろいろあるんだけど、人生のカタチはバラバラ。私は現在38歳で、自分の大学時代から今までの成功体験・失敗体験に自分が毒されていることも受け入れた上で、学生には振れ幅の広い選択の存在も知ってもらっていいと思う。

うちのゼミ生3年生は25%が現時点で海外留学に行って休学したりして不在。彼らの就職が国内かどうかだってわからない。ともすれば、同じ比率で自分の出身地で就職を考えてる学生も、就職するなら東京に行きたい学生もいる、なによりまだわからない、イメージできない学生もいる。

大人になったって人生いろいろ考えて、タイミングが今なのか、どれが正解で、どれが失敗なのか、迷って考えてたりするよね。

そんな中、いろんな緩やかな繋がりの中で、移住を決断することに関わったり、一線で活躍している社会人や、仕事に疲れたかもしれない、新しい世界に飛び込みたいと考えている社会人の人たちとつながることは彼らのこれからの選択に新しい引出しというか、基準を持つ機会になると考えていたりします。

私自身がUターンではなく、Jターン。そして東京生まれ・育ちの人生のパートナーにとってはIターンという経験者として、地方で居場所をつくろうと考えている人になにかを伝えられる。就職、起業、教育・研究分野に身を移す過程を経験しているから。

そして、地方といえば人手不足の街で、近所のおじいちゃん・おばあちゃんとの共存とかという地方テンプレだけではなく、大学生という若者もいる街の宮崎市(県)のカタチが伝わればいいなと思ってます。

ま、宮崎も鹿児島もいろんな人が住んで、生活して、生きている場所です。試しに来てみれば、話してみれば、飲んでみれば、繋がってみれば、居場所ができるかもしれないですよね。

今回の土屋ゼミは、マスコミやソーシャルでよく見るオサレに魅せる地方創生、移住ゴリ押しだけではない、新しい一つのカタチとしてのコミュニケーションを探求している移住ドラフトに参加しているチームです。

よろしくおねがいします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?