240.子どもの頃の朝食

私が育った家は、高度成長期の日本のいわゆる「一億総中流」の一軒、つまり、裕福でも貧乏でもないごく普通の(と少なくとも当の本人たちは思っていた)家でした。

私の家の朝食は、トーストとコーヒーでした。トースターで「きつね色」に焼いたトーストに小さな子どもの頃はバターを塗っていました。小学3年生になった頃、冷蔵庫から出してしばらくは硬くて塗りにくいバターに代わって、マーガリンが登場して一世風靡しました。

どの食品が体にいいとか悪いとかは、その時代時代によっておもしろいほど変遷してきましたが、マーガリンが登場した頃には、バターよりもずっと健康に良いと多くの人が信じていました。私の家では「ネオソフト」や「ラーマ」がよく食卓に上がっていました。

当時、インスタントコーヒーといえばネスカフェで、家ではクリープと角砂糖を入れていました。「クリープを入れないコーヒーなんて」というコマーシャルは話題になり、「〇〇を入れない□□なんて」という言い回しが流行りました。

高校生になって、スジャータというコーヒーフレッシュミルクが発売されるまで、コーヒー用ミルクといえば、クリープやブライトなどの粉末ミルクでした。

小学生の間は、私はコーヒーとはインスタントコーヒーのことを指すものだと思っていました。子どもの頃は外食に行くことがあっても、それはデパートのお好み食堂か、近所のお蕎麦屋さんや中華料理店くらいだったので、子どもはジュースやサイダーを注文しており、喫茶店でコーヒーなど飲んだことがなかったからでした。

コーヒーにお砂糖というのは当時は当たり前で、よくテレビドラマでも、女性が「お砂糖、おいくつ?」などと相手に聞いて、角砂糖をピンセットのようなもので挟んで入れている場面をみて、私たち子どもも近所のお友だちを家に呼んだ時には「お砂糖、おいくつ?」とやっていました。角砂糖をいくつ?と尋ねるのはおかしくないけれど、グラニュー糖をスプーンですくう時も、何杯?と聞かずにいくつ?と尋ねるのはちょっと変だと私は感じていました。

冬の寒い日にはココアの時もあったけれど、大抵はネスカフェにクリープとお砂糖でした。粉状のさらさらしたネスカフェは、しばらくするうちにゴールドブレンドという粒状のものにちょっと格上げされました。ダバダ〜で始まるCMには、次々に「違いのわかる男」が登場したのも懐かしい思い出です。

ある時、転校生が我が家に遊びに来た時にインスタントコーヒーを出したら、「子どもはコーヒーは頭が悪くなるから飲んじゃいけないってママに言われているから飲めないの」と言われて驚きました。その時、私は我が家では子どもの健康にあまり配慮していないのかな?と思いました。子どもってなにを考えるのか見当もつかないと、自分の子ども時代を思い返すたびに感じます。

◇ ◇ ◇

私の家の朝食は、バター(マーガリン)トーストとインスタントコーヒーだけでした。サラダもなければ、卵料理もハムもウインナーもついていませんでした。今なら栄養面で問題視されそうですが、あの頃はご近所の朝食もだいたい似たようなものだったと思います。

私のお気に入りのパンの食べ方は、バタートーストを細長く裂いて、それをコーヒーに浸して食べるやり方でした。この方法だと柔らかくてふにゃふにゃになったパンが口の中で溶けていくのもおいしかったし、うっすらとバターが溶けているコーヒーを飲むのも好きでした。ただし、この方法はお行儀が悪いような気がしていて、外ではやってはいけないように感じていました。

私が大好きだったのはソントンジャムのシリーズでした。いちごジャム、オレンジマーマレード、ピーナッツクリーム、それにチョコレートクリームもありました。大きくなるにつれて、いちごジャムはいちごの身が崩れないまま入っているようなジャムが登場したり、そのうちジャムは自宅で作ったりするようになりましたが、子どもの頃はうっとりするほど憧れていました。

そういえば、銀色のエッグスタンドに立てた半熟卵が一時期ブームだったことがありました。きっと新しもの好きの母が、婦人雑誌や「きょうの料理」などを見て真似をしたのだと思いますが、あまり長くは続きませんでした。殻の上部だけを割って、スプーンで中身をすくって食べるという方法でした。何分茹でるかに個人の好みが出るという話でした。

◇ ◇ ◇

病気になると母はよくフレンチトーストを作ってくれました。私は年がら年中高熱を出して寝込んでいるような子どもでした。それでもお腹を壊すことはあまりなかったので、お粥の時期が過ぎると大好きなフレンチトーストの出番でした。

フライパンにバターを入れて、かき混ぜた卵と牛乳の液に浸した食パンをじっくりとこんがり焼くのです。焼き上がってお皿にのせてからもさらにバターを乗せて、メープルシロップをかけていただくのです。フレンチトーストが食べられるので、熱が出て病気になってもまあいいかなと思っていた子どもでした。

高校生になってデニーズで初めて他人が作ったフレンチトーストを食べました。私の中ではフレンチトーストは病人の朝食という位置づけだったので、不思議な感じがしました。

私はフレンチトーストが大好きだったので、小学校の高学年くらいからは自分でもせっせと焼きました。フランスでも下宿でフレンチトーストを作ろうとボールに割り入れた卵を菜箸で混ぜていたら、一緒に暮らしていたフランス人におもしろがられたことがあります。

フランス人はもちろん菜箸は使わずに平たいお皿に割った卵を、フォークを平らにしてお皿に並行に混ぜていました。私も真似をしてみたら、非常に具合が良い上に、牛乳を入れてさらに混ぜ合わせ、パンを浸す工程まで、お皿一枚ですべてが完了するので、以来、その方法に変えました。今でもフレンチトーストはよく作りますが、病気じゃないのにフレンチトーストを食べるというのは、ちょっとうしろめたいような気分になります。

◇ ◇ ◇

祖父母の家に行くと、朝食は、ご飯と卵の入ったお味噌汁と焼き魚やほうれん草のお浸しが出てきました。祖父母は名古屋出身だったので、お味噌は八丁味噌、つまり赤だし味噌でした。私は今でも八丁味噌が出てくるたびに、卵を入れたいなぁと思ってしまいます。祖母の作ってくれたお味噌汁の卵はいつもほどよい半熟でした。

それでも常日頃トーストにコーヒーという生活を送っていたので、数日もすると祖母の作ってくれる和食の朝食ではなく、トーストとコーヒーが恋しくなりました。それは今尚、旅行先の旅館で豪華な朝食をいただいていても、2日も続くと、駅前の喫茶店のモーニングセットの方がいいなと思ってしまうのです。

以前、英国人の上司と話していたら、彼は日本の生活も長く、納豆もお刺身も何でも大好物だけれど、朝食だけは、子どもの頃から食べ慣れた甘いデニッシュパンがいいと言っていたのを思い出します。

子ども頃食べ慣れたもの、特に朝食は起き抜けに食べ慣れてきたせいか、その人の味覚を決定するのかもしれません。

結婚してみたら、夫の育った家は和食だったので、最初の頃はあれこれ試行錯誤しましたが、結局、お互いが自分の食べたいものを勝手に準備して、一緒に仲良く食べるというスタイルに落ち着きました。


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