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フランス語ゼロでフランスの現地校に入学した子どもたち

子達たちの成長【心編 -渡仏後-】

■日本とフランスの就学時期の違い■
フランスでは日本よりも少し早く小学校が始まります。9月が新学期というのは結構知られていることかもしれませんが、その他にも、同じ学年になる子たちの決まり方も違ってきます。フランスでは、その年に6歳になる子が9月に小学生になるので、例えば9月以降に生まれた子は、5歳で既に小学一年生になります。日本だと、4月生まれから翌年の3月生まれが同じ学年ですが(これ、こちらではとても奇妙がられます)、フランスはその年の1月生まれからから12月生まれまでが同じ学年です。

【例】
2020年9月に小学校に上がる子たち = 2014年1月~12月生まれの子
…となります。(2020年に6歳になる子なので)

…と、いうわけで、娘は2011年生まれなので、私達が渡仏した2017年に小学校に入学する年でした。


■アジア人児童を初受け入れの小さな学校■
私達が最初の一ヶ月仮住まいとして滞在していた家は、道を一本隔ててランスの隣の村でした。車で5分もあればランスの中心地に出られるのですが、学区としてはその村の管轄になります。その村の役所に行くと、担当者は初めてのアジア人の受け入れにやや困惑気味でした。
「通訳つけなきゃいけないかしら…」
「でも日本語の通訳って…」
みたいなことを言ってましたね。

結局、役所の担当部門の判断として、学年を一つ下げて、保育学校(フランスでは3歳から義務教育なので、日本の幼稚園のようなものですが、一応『学校』になります)の年長さんから始めることになりました。

息子はというと、当時2歳、その年に3歳になる年だったので、同じく保育学校の年少学年へ入学できます。娘の学年を一つ下げての入学は、言語能力だけでなく、言葉が通じない環境にいきなり入ることになる二人への配慮もあってのことでした。実際に、入学後、息子が泣いているときには先生たちが娘のクラスに連れてきてくれていたようです。娘もまた、弟がすぐ近くにいることで慣れない環境ながらも心強かったようです。
(ただ、こちらはおむつを無くすのが日本よりも早く、保育学校は2歳であろうとおむつは認められていないため、息子は1週間ほど遅れて入学しました。強行におむつを外したことろ、2才児でもおむつと違ってもし漏らしたら、パンツもズボンもびしょびしょになってしまう!という危機感があったようで、ほぼ一週間でトイレに行く習慣が身につき、入学できました…という話はまた別途)


■笑っていない娘の写真■
入学初日、最初10分だけ娘と一緒に教室に居させてもらいました。当時6歳になって間もない娘。
「ママと帰る」って言い出すかな?
泣き出すかな?
という心配はよそに、意外と私が帰る段になっても取り乱すことなく、そのままお別れしました。初日以降も、嫌がることなく通っていたので、なんだ、結構平気なのかな?と思ってしまっていましたが、、、いやいや頑張っていたんですね…。
新年度には学校で毎年個人写真やクラス写真の撮影会があるのですが、出来上がった写真を見ると、娘だけうつむいて笑っていません。
様子を聞くと、やはり
「何を言ってるのか分からない」
「どう答えたらいいのか分からない」
「お友達に会いたい」
と、つらい気持ちをたくさん抱えているようでした。

それでも、一旦娘なりにフランスに行くことを自分で決意したこともあってか、「行きたくない」とは一度も言いませんでした。その代わり、気がつくと保育園の送別会でもらったみんなとおそろいのTシャツを着ていました。秋も冬のように寒い日が多かった2017年のランスですが、半袖のそのTシャツを、下に長袖などを重ね着して着ていました。
今から思うと、不安な時にそのTシャツを着ていたんだと思います。


■状況を好転させていった4つの要因■
そんな状況を徐々に好転させたもの…大きく分けて4つの要因がありました。

①フレキシブルな先生達の対応
初めてのアジア人。先生たちも「どうしたら?」なんて思ったんじゃないかと思いますが、時間をみつけてフランス語の補修をしてくれたり、様子を頻繁に教えてくれたり、何かと言葉の不自由な娘のことを気遣ってくれました。

②同じくフランス語ゼロの新入生の存在
娘の入学から1ヶ月ほど遅れて、シリア人の女の子が入ってきました。娘と同い年、やはりフランス語が全くわからないので、娘同様一つ下の学年に入りました。その子と一緒に担任の先生からフランス語の補修を受けるうちに、娘はその子ととても仲良くなりました。

③本人の意欲
仲良しが出来て、しかも同じ境遇でライバルでもあるので、フランス語力を上達させるためのモチベーションがぐんと高まったようでした。家でも、「こういうときは何て言えばいいの?」、「今日こう言われたけど、どういう意味なの?」と頻繁に私に聞いてくるようになりました。

④周りの子達の娘への興味
学校は前述の通りアジア人初受け入れ、もちろん娘のクラスメイトたちは日本人に実際会うのは初めて。漆黒の真っ直ぐな長い髪、ぱっつん前髪、真っ黒な目…どれも珍しいものだったようです。娘のクラスメイトの女の子たちは長い前髪の子たちばかりで、普段は後ろ髪とまとめて縛るか、耳にかけていて、おでこは全開が基本ですが、娘の入学から少し経つと、ぱっつん前髪が増え始め、毎朝娘と同じような前髪の子たちを目にするように。クラスのアシスタントの先生には「○○(娘の名)がクラスのモードを作り出してるよ」と言われたり、また、あるお母さんには「○○(娘の名)と同じように前髪を作りたいと何度も言われて切らされたのよー」と言われたりしました。

この4つが、相乗効果で、娘はぐんぐんクラスに馴染んでいったように思います。そして半年経つ頃には、フランス人のクラスメイトのお友達の誕生日会に呼ばれるようになり、学校外でも交流するようになりました。


■息子は…?■
娘のことばかり書きましたが、息子はというと…、やはり学校に行くたびによく泣いていました。当時二歳児だった息子が新しい環境に順応していくのには、娘とはまた違った部分で大変なことがたくさんあり、実は娘よりも適応していくのに長い時間がかかりました。
その話はここで書くとかなり長くなりそうなので、また別途…。

ただ一つ言えるのは、娘に関しても、息子に関しても、本当に周りの先生方やお友達にたくさん助けられ、新しい環境に順応していったということ。そして何よりも…よく頑張った…子どもたち…。渡仏当初は、新生活に必要な手続き関連でいろんな困難に見舞われましたが、子どもたちの姿に、何度も何度も励まされました。

さて、次回は…現在渡仏から2年半経過し、日本語を話し続けるのに困難を覚えている子どもたちの語学力の変化について書きたいと思います。

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