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日本の生活が大好きな娘がフランス行きを心に決めるまで

子達たちの成長【心編 -渡仏前-】

今回は私よりもずっと大きく変化しているであろう子どもたちについて、【心編】と【語学力編】に分けて書きたいと思います。心編では渡仏決定時5歳終盤で色々ともう分かるようになっていて、だからこそ様々な葛藤を経験したであろう娘の変化に焦点を当てて綴ります。

【心編 -渡仏前-】

フランス行きを決断するにあたって、一つの大きな懸案事項が、娘のことでした。フランス行きを考え始めたのがちょうど娘が5歳の頃、4月からは保育園の年長クラス、という時期でした。

娘は0歳の頃から通っている保育園が大好きでした。

フランス行きが具体的になればなるほど、「娘にきちんと伝えなければ」、「早く言わなければ」と思うようになり、ある日、意を決して娘に伝えました。

娘は達者に喋り始めたのも早く、5歳の当時なんてハキハキと大人と対等に話すようなおませな保育園児でした。なので、「大好きな保育園、先生、お友達に会えない遠いところに行くことになるんだ」ということを理解するのは、彼女にとってそう難しくないことでした。

理解すると、それ以上詳しく話を聞くのは嫌がり、シクシク泣いていました。そこから、何度か日にちを変えて、折を見ては話すものの、「ママ一人で行けば」とそっぽを向かれたり、ひどいときは大泣きされたり…というリアクションが続きました。

毎回とても辛かったのを覚えています。自分の都合で家族を振り回すという自覚はあったので尚更。

でも、だからこそちゃんと説明して分かって貰えるまで話すべきだと思い、
「どうしてママがそんな道を選ぶのか」ということを嫌がられながらも、何度も話をしていました。

すごく悲しそうな娘の姿をみて、今行くべきではないのか…、そんな想いがよぎったり、渡仏へ向けた他の不安も一緒に膨らんで、気持ちが後ずさりしそうになっているころ、、、びっくりなことがありました。

普通の平日の夕飯後、娘が近くにやって来ておもむろに言いました。
「決めたよ。ママがそんなに行きたいなら、一緒に行ってあげる」と。

以前なら機嫌により「保育園に行きたくないー!」なんて言っていたのが、その発言以降は一切言わなくなり、幼いながらに残り少ない、保育園に居られる時間を惜しんでいるようでした。
娘にとっては「当たり前だと思ってたものは、実は当たり前ではないんだ」と実感する初めての機会だったと思います。

渡仏が8月末だったため、運動会にも年度末の劇の発表会にも出られないこと、約6年間一緒に育ってきたクラスメイトたちと一緒に卒園できないことは、それらの行事の話題が保育園で出るたびに、幼い娘の心に突き刺さっていたと思います。

でも娘は「寂しい」とは言うものの、「一緒に行ってあげる」と言ってくれた日から、「フランスに行きたくない」とは言いませんでした。

それだけでなく、それまで練習していたひらがなやカタカナではなく、自分から教えてほしいと言い、アルファベットを書く練習をし始めました。

渡仏の日が差し迫るにつれて膨らんでいく実務的な不安と決心したはずだけど「なんとなく怖い」という漠然とした不安に飲み込まれそうになっている中、その娘の姿にどれだけ勇気付けられたかわかりません。

そんなこんなでいよいよ保育園最後の日、保育園の全員の先生と全園児で、娘のために『卒園式』を催してくださり、涙涙の心温まる最終日でした。
そして、園外でも、ずっと一緒だったママ友パパ友の皆さんが娘のために送別会を開いて下さり、ここでもしっかりと送り出して貰いました。

フランスへの旅程は、引っ越し同然だったため、大量の荷物での移動になりましたが、娘が率先して手伝ってくれてとても助かりました。

さていよいよ、目の色、髪の毛の色、見た目が違うのはもちろん、話してることも何も分からない場所で娘の新生活がスタートします。

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【心編 -フランス到着後-】に続く

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