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考えてていいんじゃないか

物事を考えすぎているということに、私は最近まで気づかなかった。
変わり者風の意見を披露して凄いやつだと思われたいとか、「承認欲求を満たしたい」とか(最近の人って他人に対して「承認欲求」って言葉を使い過ぎじゃない?何か、すぐ「承認欲求」って言葉で他人を貶そうとするし、「承認欲求」自体を悪者みたいに捉えてる気がする。まあ目立ちたくて悪いことする人もいるのは事実だけど、マズローの欲求五段階説のうちに含まれてるくらいだから、承認欲求って誰でも持ちうる、持ってて自然なものくらいの軽さで捉えてていいんじゃないの?)、そんな欲は無い。ただ、考えることで自分の気持ちを軽くしたり、誰かを励ましたりできたらいいなと思って小さい頃からそうしているだけだ。あと単純に一人が好きなので、暇なときに考え事をよくするから。それだけ。

例えば「クリスマスって楽しまなければいけないイベントなのかな?」と考えたことがあって、それを友達に言ったら「考えすぎ。普通に楽しもうよ」と半ば呆れられたことがある。
なぜそれを考えたかというと。私自身、クリスマス前に恋人との関係が限りなく終了に近づいたことがあり、彼氏がいるのに一緒に過ごせない・それどころかもうほぼ終わってるという状況に酷く傷ついた年があった。その年は、至る所でかかるクリスマスソングも、ケーキのCMも、ただ心の傷を抉るものでしかなかった。何だか街がうきうきしていて、まるで楽しむことを強要されているような感覚になったこともあった。そして考えた。世の中にこんなに人がいるなら、クリスマスの時期に、失恋とか、何かそういう楽しくない状況になってしまった人って他にも絶対にいるはずで、そういう人に向かって「クリスマスは楽しもう!」と言えるだろうか、と。キリスト教徒でないのなら、クリスマスを、別に他の364日と変わらないただの一日として、いつもと変わらないテンションで、何の特別な日でもないように過ごしたって別にいいじゃないかと。
こんな風に、日々あらゆる可能性を想像して過ごしている。「みんなも私と同じ思考になれよ」と強要したらめんどくさいやつだけど、そんなことはしないし、ただ話のネタの一つとしてこういうことをたまに言っちゃうだけだから、友達には今後もどうか温かい目で見ていてほしいなと思う。

私の好きなIUのunluckyの歌詞に、
여전히 무수한 질문들이 있지
이번에도 틀린 듯해
아주 사소한 토씨 하나의 차이로
という言葉があるが、助詞一つでさえ選択を誤ると人を傷つけたり、伝えたかった真意が曇ってしまったりする。それが怖いので、言葉には普段から十分気を付けるようにしている。
このことを話すと、友達から「考えすぎ」や「繊細」といったお言葉を頂戴する。でも、繊細にならずにいられるだろうか。心無い言葉が何人もの命を奪ってきた事実があるのに。例えば芸能人のニュースに対する感想なんて、SNSが発達していなかった頃はテレビの前とか知り合いの前とかでだけ言うものだったと思う。直接会いにでも行かない限り、本人には伝わらなかった。それが今は、誰でもSNSに率直な言葉を載せられる。誰もが本人に届く可能性のある形で発信できるようになっている。「ずっとファンです!」とか素敵な感情を伝えるならいいけれど、逆手にとってあることないこと書いたり、勝手な憶測で悪口を言われたり、そんなことをされたらどうだろうか。そのストレスは想像を絶すると思う。有名な人達は多分、本人が自由に使える公的なSNSアカウントを持っているとはいえ、仕事でスポンサーがいたり本人の「商品」としてのイメージを保持しなければならなかったりするために、自由に反論することは難しいのだと思う。そんな状況下で、昔の人なら浴びる術もなかったほどの大量の誹謗中傷を浴びたら、…と、有名人でもないのによく想像してしまうのだけれど、考えすぎだろうか。みんなこのくらい考えたらいいのにな、てか考えるよね?と、何か祈ってしまうこともある。

想像力が欠如したら、人間はやっていけないと思う。
みんなどうせ自分の人生しか体験できないのだから、他人の痛みが100%分かるなんてことはない。だって、その人と全く同じ人生を生きない限り、その人の痛みの感覚が全て分かるなんてことは無いから。
だからこそ想像力を持って、自分以外の何億人の人のことを考え続ける必要があると思う。人間は社会的動物なので、一人では生きられないから。

考えすぎてていいさ。考えないよりは。

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