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ゆとりの呪い

時として言葉は、呪いになる。


あなたは何かを辞めたいと思ったことはありますか。

この問いに対して、ほとんどのひとはイエスと答えるだろう。

私は先日、情動失禁が認められると診断された。本来アルツハイマーの方に対して使われる言葉のようだが、メンタル系の診断で使われることもあるらしい。

涙が出るのだ。理由はわからない。
ここ最近の私は、デスクにいるとき、お客様の前にいるとき以外はほとんど常にと言っていいほど泣いていた。仕事のことを考えた訳でも、何か特別失敗をした訳でない時も、ポロポロ涙が止まらなくなる。

どんどん気持ちが落ち込んでいく。
会社に対して何も貢献していないどころか、ミスをして損失ばかりを与えている。
お前は駄目な奴だと怒られる。どうしていつまでたっても学ばないんだと怒られる。

そんなことない!なんでこんなことばかり言われなきゃいけないんだこの野郎!と思えるあなたは大丈夫だ。

私は思えなかった。だって上司の言うことは何一つ間違っていなかったから。ああ、この人の言う通りだ、何故自分はうまくできないんだろう、先輩と同じようにできないにしても、人間としてどうかと思うくらいできない自分はおかしいんじゃないだろうか。

こんなことで弱音を吐くのが恥ずかしい、情けない、と思った。
この程度でしんどいだの、パワハラだの言うゆとりの新卒と言われることが怖くて怖くてたまらなかった。
確かに残業は多く、疲れが溜まり続けミスが増える。完全に悪循環だった。

最近の若手はすぐ諦める。すぐ辞める。ストレス耐性がなく、礼儀もない。
その若手の中に自分が括られるのが嫌だった。
上司の前ではずっとニコニコしていた。
上司はとても優しく、できた人で、最近残業が多いが大丈夫か、と聞かれたりもした。その度、私の要領が悪いだけなので大丈夫です。早く効率よくできるようになりたいです。と答えていた。ほんとうにそう思っていたのだ。これは嘘ではない。

働けなかった。

「獣になれない私たち」の朱里を思い出した。

自分より辛い人などたくさんいる。休日出勤をしてまで頑張っている同期もいる。私だけ弱音を吐くわけにはいかない。
「自分の仕事がいちばん 辛いと思う奴にはならない」
斉藤和義を聴きながら、何度も自分に言い聞かせていた。

そのうち、大好きな音楽が聴けなくなった。
世間の人も皆それぞれ何か抱えていて、それでもちゃんと働いているのに、私だけが働けないのだと感じた。
電車で周りの音を聞くのが辛くなり、イヤホンをしているのに何も流さずただ電車に揺られる日々が続いた。

ホームドアがなかったら、そんなつもりがなくてもふらっと飛び込んでいたのではないかと思う。現代文明に感謝した。

結局私は周りに助けてもらうことができた。
人に恵まれていたから死なずにすんだ。
会社がとってくれた措置で、少しずつ回復に向かっている。

しかし私はそれでもなお、この程度の辛さで病気になり上司や先輩に迷惑をかける結果になってしまったことを情けないし悔しいと思う。
こんなに優しい人たちに囲まれているのに、影でゆとりと罵られているのでは、と苦しくなる。

心は器だ。容量など人によって違う。
ましてや全く同じ体験をする人などいないのだから、一つの物差しで測ることなどできない。辛さも幸せも。
そんな当たり前のことが、わからなくなってしまうくらい、言葉は呪いになる。

幼少期家族に言われたこと、喧嘩した友達に言われたこと、元彼に言われたこと。

なんでもそうだ。
大人っぽい、メンヘラ、強い子、自己中、お兄ちゃんだから、女だから、男だから
あらゆるレッテルは、その人をどんどんその姿にしてしまう。

私は言霊が好きだ。
実体がないのに、人を強くも弱くもできる言霊が好きだ。

だから誰にも呪いをかけたくない。
呪いとして言霊を使いたくない。

名前がなくても、肩書きがなくても、私は私。あなたはあなただ。


それはとても難しいことだけれど、一緒に呪いを解きましょう。


励みになります。 ずっと書き続けるのはなかなか難しいことなので。 書き続ける活力です、ありがとうございます。