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未来に生きる人へ

2020年10月29日 午後2時30分
足立区役所の区議会棟8階
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やたら乾いた空気で満ちたその部屋は、8:2くらいの割合でエリア分けされていた。規則正しく並んだ席は相手陣地と向かい合う形で厳しく並んでいて、私に用意された席は劣勢エリアの最前列にあった。背後にプロジェクターの光を受けるスクリーンと、偉そうな演台がどっしり構えている。どこぞの議員が問題発言をしたときなんかにニュースで見かけるアレだ。


場に慣れた様子のパキッとした大人たちが続々と入ってくる。やっと、とんでもない所に来てしまった実感が沸々と湧いてきた。

もはや逃げ出せる状況ではないのにね。



ちょうどハツカ前、つまり10月9日の私のTwitterアカウントに事の発端となったツイートが残っている。どこにでもいる平凡な会社員である私が、白昼堂々仕事を投げ出しこんな所に座ることになったきっかけがこれだ。


9月29日の足立区議員の"問題発言"を知った私は複雑な心境を引きずっていた。以下、当該発言の抜粋(後に議事録から削除された)。



こんなことはあり得ないことですけれども、日本人が全部L、日本人の男が全部G、次の世代生まれますか。一人も生まれないんですよ。1000年とか200年じゃない。次の世代を担う子どもたちが1人も生まれない。

いやLだってGだって法律で守られてるじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう。



同性の恋人との暮らしに子どもを迎える未来を思い描いていた私は、iPhoneの小さな画面の中で展開される根拠が行方不明な理論に呆れ笑い、同時に軽い目眩を感じた。





少し話が逸れるけど、同性の恋人と人の目に触れる場所にいると、すれ違う人や隣の席に座るカップルの潜めた声をうっかり拾ってしまうことがある。



これまでうっかり拾ってしまったヒソヒソ話にこちらが深い傷を負うような内容はなかったものの、そもそも赤の他人に"仲間外れ"されるのは決して気分のいい状況ではない。中高生時代はいちいち暗い気持ちになっていたし、今でもこちらの意識に入り込んでくるような言葉に負けてまんまと傷つくことはある。

たまにね。

しかし場数を踏めば慣れるもので、気がつけばいつの間にやら「自分の弱い部分を剥き出しにしておいて傷ついたと騒ぐのも大概馬鹿だ」という捻くれた精神論が完成していた。
潜めた声の持ち主がわざわざボリュームを下げているのは「差別的な発言をしている」自覚があるからだ。そんなもの即座に記憶から消し去り耳を塞いでしまえばいい。
そう言い聞かせるのはつまり「諦める」ということで、その先には自分が同性愛者であることを「忘れる」という皮肉な結末が待っていた。



私は今、社会生活の中で自分のパートナーを示す時考えるより先に「彼氏」と変換しているし、好きな俳優をたずねられたら3秒考えるフリをしたあと「阿部サダヲ」と答える流れが仕上がっている。

(ここで話が戻るんだけど)

でもね、いくら異性愛者の盾で自分のマイノリティな部分を守っても、常に構えているわけではない。石ころが飛んでくる程度なら丸腰でも叩き上げの図太い精神で跳ね返してやれるけど、いきなり矢を放たれたら流石に刺さる。





足立区議会での問題発言は、まさにその"放たれた矢"だった。



それも、1発で複数の的に突き刺さる厄介な代物。唐突に矛先を向けられた私はそれを避けることも受け身を取ることもできず、咄嗟に取り繕って笑っても鈍い痛みを無視できない。

傷口から滲む赤が現実なのだと訴える。


うわぁ、どうしよう。
思ったより傷が深いなぁ
困ったな、どうしたらいいんだろう。


人間ってあまりに突拍子もないタイミングで傷を負うと原因に目が向かないもので、そのときの私はただあたふたするだけだった。


なんか恨まれることでもしたっけなぁと誤魔化すことで止血して、ついでに笑って血を拭う。


そういうことが全部済んだ後、今度は原因について考え始めて、じわじわと大きい感情がやってくる。もやっとしたそれを、最初は怒りなんだと思っていた。


何でだろう。
何で傷つけられちゃったんだろうって考えても理由が見当たらないんだから、怒って当然だったと思う。


だけど、意外なことにその正体は同情だったんだよね。

何も知らない「彼=攻撃してきた人」をかわいそうだと思ったの。


彼がその行政を担う範囲内に私とパートナーがいることも、私が彼女との間に新しい命を迎えようとしていることも、私たちにひとつのコミュニティを破滅させる力がないことも彼は知らなかった。ほんとに何も知らなかった。私が自分の傷の手当をしているうちに、彼はあっという間に世間から批判を浴びていた。彼はどうして自分が責められているのかわかっていない。わからないまま反省しろと全国から批判の声を浴び、わからないままメディアの前でお芝居する(ように見えた)彼が、私にはとても不憫に見えた。

わからないくせに!と激怒する気持ちより同情が勝ったのは、少なからず自責の念があったからだ。


レズビアンやゲイは"性的指向"が少数派であること以外意味を含んでいないし、そもそも世間的に見て少数派に分類される性質は誰しもが持っている。彼のこれまでの人生にそのことを教えてやれる人物がいれば、こうはならなかったはずだ。子どものいる家庭を望む当事者がたくさんいることを知る機会があればよかったのに。と思う。

そしてその"誰か"候補の中に、自分が含まれている自覚があった。だから腹を立てることに罪悪感があったのだ。

選挙権を持つ大人が変化を他人任せにしてきた結果、彼はわからない側に取り残されてしまった。もちろん、彼の"知らなかった"は免罪符としての効果を発揮してはならないし、知らないことを知らないままにした時点で職務放棄とみなされて当然だと思う。


それは、そう。
そうなんだけど。


当事者たちみんなが自分を守って、隠して諦めてしまったから彼は実態を知る機会が得られなかった。当事者側が自分のマイノリティな部分をしまい込んでおいて「知ろうとしろ」と訴えるのは矛盾している。経験のない新入社員に「こんなこともわからないのか!」と怒鳴りつける上司と同じだ。

理不尽すぎる。



私は今まで、目を閉じ聞き流し笑って気持ちを誤魔化しながら心のどこかで"誰か"が現状を変えてくれることに期待してきた。矢面に立てばその人だって血を流すのに、それが自分である想像はしなかった。

もし私が独身で生涯を終えるつもりだったら、この理不尽を理解してもなお「仕方ないよね」で片付けていたと思う。

でも現実の私は同性のパートナーと暮らしていて、彼女と子どもを育てる計画まで立てている。当然、その子が生きる次の時代が穏やかであることを願っている。

だったらもう、諦められないじゃんね。



人生って面白いもので、腹を決めれば力を貸してくれる人が現れる。何かから隠れて逃げて、諦めたと言いながら胸の内で誰かに期待するのはもうやめようと誓ったその日の夜、さとこさんから連絡があった。

「足立区議会との意見交換会へ来て、直接声を届けてみない?」

願ったり、叶ったり。



私の人生の分岐点にはいつも彼女がいる。
たぶん、私以外の人の人生にも頻繁に出没しているはずだ。



かくして私は己の精神が叩き上げのスルースキルを発揮する前に是非とも参加したい旨の返事を出し、アレよアレよと言う間もないまま冒頭のシーンに行き着いたのだった。



また長くなったなぁ…
続きます

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