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鳴く帯と姉妹の笑い声

母方の家は、母と姉の二人姉妹と、祖母の女家族である。祖父は母が小さい頃、事故で亡くなった。祖母はまだまだ健在で、わたしの実家の近くにひとり暮らしをしているが、うちの庭に畑を耕し、伯母の家にも手伝いに行ったりしている。

伯母は、着物の着付けの先生をしている。母方の家は元々呉服屋さんだったそうで、祖母も着物に詳しいし、母も着物好きだ。ここ数年着られていないが、わたしも大学時代など、伯母の家に着付けを教わりに通っていた。

いつだったか、とりあえず夏だったと思う。着物を着て、母と演奏会に行くことになった。夏着物と、新調した名古屋帯を締めた。爽やかな黄緑色の、博多織。名古屋帯なら自分で締められるようになっていたので、おろしたての帯をギュッと締めて、意気揚々と出かけていった。

演奏会がはじまってすぐ、大変困ったことに気が付いた。息をするたびに、帯がキュウキュウ鳴るのだ。

後から知ったのだが、これは「絹鳴り」という博多織の帯の特徴で、「博多織の職人は鳴かせて一人前」という言葉があるくらいだそうだ。ちゃんとした帯の、証しの音なのである。

会場がしんと静まり返ったおかげで、その音に気付くことができた。さて、もうどうすることもできない。息をできるだけ浅く静かに、腹や胸をできるだけ動かさないよう、呼吸をする。まずは、間の休憩まで、がんばれわたし。集中力のいくらかが、鑑賞ではなく呼吸に持っていかれたのは、言うまでもない。

という話を、後日、祖母と伯母と母とわたしでいるときにしたら、大盛り上がりだった。かわいそうにねぇ、でもそれは良い帯の証拠なんだよ!そう言って笑う祖母の笑い声は、高く華やかでとても可愛らしい。伯母の笑い声も祖母と似て、その場にパッと花が咲く。昔は思わなかったけれど、ここ数年、伯母は祖母によく似ていると思うようになった。わたしは祖母を、おばあちゃんとしてしか知らない。伯母も、今やたくさんの孫を持つおばあちゃんだ。わたしと母はあまり似ていなくて、小さい頃「似てないね」とよその人に言われてショックだったのを覚えているが、わたしも歳をとって、その時の母の年齢に近づいて、あの頃よりは、だんだん似てきている気がする。母も伯母も祖母も、楽しそうに笑うのは昔からよく似ている。わたしの豪快な笑い声も、その系統なのだろうか。キュウキュウ鳴る帯の思い出は、パッと華やぐ四つの笑い声と一緒になっている。

とはいえ、こんな話すっかり忘れていたのだが、谷崎潤一郎の《細雪》に同じような話があって、蒔岡家の姉妹の笑い声が、すっかりうちの家族と重なってしまった。こんなところで、おんなじような話と出会えるなんてね。

「その帯ーーあれ、いつやったか、この前ピアノの会の時にも締めて行ったやろ」
「ふん、締めて行った」
「あの時隣に腰掛けてたら、中姉ちゃんが息するとその袋帯がお腹のところでキュウ、キュウ、云うて鳴るねんが」
「そやったか知らん」
**
「ーーこの帯もあかん」
「何でやねん」
**
そうしてきちんと締めてしまうと、又その帯もキュウキュウ云い出した。
「何でやろ、これもやわ」
「ほんになあ、うふふふふふ」
幸子のお腹のあたりが鳴る度に三人が引っくり覆って笑った。
谷崎潤一郎《細雪(上)》

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