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【2021年1月号アーカイヴ】『Tokyo発シガ行き➡︎』 "女神の衣(きぬ)ずれ"by 月イチがんこエッセイ

まず、前回もお伝えしましたが、この度がんこエッセイ、素敵なデザイナーさんが組版してくれることになりサイズがB4の折りたたみになったのと、
毎回印刷にかけることになったのもあって、アナログアーカイヴに関してはこちらにご案内することにしますね。
100yen & 82円の切手代がかかりますけど、ご理解くださいませな。
栞珈琲と一緒に買うと送料がかからない仕組みになっています。笑。

✴︎    ✴︎ 以下、デジタルアーカイヴ↓↓ ✴︎   ✴︎

 "女神の衣(きぬ)ずれ"  By 「 Tokyo発シガ行き⤴︎」(2021年1月号)

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皆様、明けましておめでとうございます!……なんて言いつつ今は師走、まさに陰極まる冬至の夜にこれを書いています。
珍しく、一週間も前に書き上げていたのですが、新たに書いてみたいものが湧いてきて、初稿をボツにし書き直しています。今夜は柚子風呂で長湯をして、昨日買った江國さんの「物語のなかとそと」をゆっくり読みなおそうともくろんでいます。さっき、いちごを一つ食べました。クリスマスを前借りしたような夜です。そう、江國香織に耽溺している今のわたしの文体もなかなか江國香織的、そうは思いませんか? 笑

昨日からわたしは、ある気配のはじっこを掴んでいます。握りしめ、手探りで手繰り寄せようとしているそれ、について、突然、言葉を駆使して書き抜いてみたくなったのです。むろんその分野において、わたしは江國さんの足元にも及びません。あの人はいつも綿あめのような言葉を紡いで三日月のような刀を作ります。そういうひとに、わたしはなれない。雨にもマケズ、時短営業にも、冬の換気の寒さにもマケズ、頑張らなくてはならない2021年がやってきましたが、最近気がついたことがあります。一日に玄米4合と「味噌と少しの野菜」を食べ、ている宮沢賢治ですが、玄米4合って結構なボリュームだよね。味噌と少しの野菜、のフォントが脳内で大きくなりすぎていたことに、玄米を食べ始めて気づいたモカコです。
字の大きさを「級数」というのはデザイナーの長島くんとのやりとりで知りました。ずっと「Q数」だと思っていた。なんのQだったんだろう。ひとつ賢くなった2021年の始まりです。そうそう、詳細はまだ明かせないのですが、昨年4月に書き上げた新作「わたしと音楽、恋と世界」を無事にとある文学賞に応募しました。現在とても「やりとげた感」に満ちています。
やれることはやった、あとは天命を待つのみ、そんな感じ。滋賀県、そしてイーディのみなさん、依然として大変な日々が続きますが、お元気ですか。枯渇した湖にもいつしか雨は降るように、本年皆様の日々が健やかで幸せで満たされたものになりますよう心よりお祈り申し上げます。

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いまからここに書こうとしていることは、あまりにも「とりとめがなく」「かたちなき」もので、それを言葉でうまく捉えられるのか、大変不安なのですが、あの江國さんですら「ブエノスアイレスと所沢をいったりきたりする小説、進まず」のエッセイで「五時間後、ちっとも書けていなかったので敗北感にまみれる」と書いていたので、わたしごときが、敗北感にまみれるのもアレですから、とにかく書いてみよう。恵比寿。恵比寿のこと。正確には広尾なんだけど、わたしが十前に住んでいた街のこと。あの頃たしかにわたしは、“その気配”のはじっこを、きゅっと掴んでいたのだった。親しくて尊敬している人や、あるいは恋をしている相手にすこし後ろから着いていく時のように。ちょうどそう、肘のしたのあたりの服の裾。
本当はその「きゅっと掴んだ」部分から目を離さず、その景色の続きを歩いていかなくてはならなかったけど、わたしは一度手を放し、いつしかその服のはじは、脱ぎ捨てられたニットのようにただの、布、になった。ただの布、はひきずりまわして生きるには煩わしく、数年経ったころから、わたしは“その気配“とはまるで遠いところで息をし、暮らすようになった。

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その気配、というのは「女神の気配」である。女神。女神の、気配。
安っぽい言い方になるけど、女神の裾を離さずにきちんと仕事をしていると、その仕事は報われる。もちろん女神の裾を離し、袂を分かちてきちんと仕事をしていても仕事はあるサイズ感で報われるけれど、裾を手放してもできる仕事というのはある意味「女神のお呼びではない」案件であって、つまりは女神の裾をつかんで、女神と絡まり合っていないとたどり着けない場所とできない仕事というのがあって、そこでは懸命さは大前提であり議題ではない。わたしは女神のひじのあたりの裾しか見たことがないけど、村上春樹や、吉本ばななや、テイラースイフトのような人は、その女神と対峙したことがきっとある人たちで、江國さんあたりは、たぶん、女神と一緒に毎朝風呂に入っている。人によってはそれを「悪魔に魂を売る」とか言うのだろうけど、悪魔と女神は別物で、そのひじの裾の先にいるのは紛れもない女神であって、今わたしは女神を必要としている。

「わたしと音楽、恋と世界」が受賞し、本になるには、女神が必要なのだ。

女神を再び探し出し、もうどんな困難が起こっても、二度とその裾を離しません、と直談判をしなければならない。高い志と強い意志、どれだけ腹を決めているのかを伝えないと女神は振り返ってくれない。女神はあちこちに星を降ろす業務でお忙しいのである。女神は実は、飲食店にもいる。ただ、わたしが恵比寿で探していた女神と、飲食店にいる女神は、また違う女神である。わたしは、恵比寿ではぐれた女神と、もう一度会わないといけない。そう、恵比寿ではぐれた。書いていてドキッとした。そう、たぶん記憶を遡る限り、わたしが彼女の裾を、紛れもなくきゅっと握っていたのは、恵比寿のアトレが最後だった。8年ほど前のことなのかもしれない。

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 このエッセイにも度々登場している、我が溺愛のロックスタア、志磨さんのライヴが恵比寿のガーデンプレイスであると知ったとき、わたしは「ああ、あの場所に、女神を取り戻しにいけということなのだ」と思った。志磨さんのライヴは素晴らしいに決まっていて、ともかく納得の行く原稿を仕上げて賞の締め切りに出せたならば、そのライヴは頑張りに比例した質量で自身への最高の打ち上げになるに決まっていて——大変報われるセットリストでそれは現実のものとなった———重要なのはその前後の自分の振る舞いである。「アトレにはいかなければならないな」そう思っていた。

「女神よもう一度」の序章は実は10月にあって、それは麻布十番の竹の湯だった。竹の湯の湯が、杉並区の銭湯に月2回やってくるらしく、ベスフレ(姪)と一緒に行った。妹は強くすすめた。
この1年でわたしが最も過酷だった10月に。

「あの頃を思い出してみて。今の日常からちょっと離れてみるのも、なんかいいんじゃない」

麻布十番の日々。まだ作家じゃなかった頃。
女優を志し、しかしパンのはしくれほどの価値もなく、芋洗い坂スナックで朝の5時まで働いていたころ。デビュー作の「蝶番」を書きあげた麻布十番の家。そう、あの場所に、女神はやってきた。

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(⤴︎麻布十番の家と、当時就職活動中の丘田ミイ子こと妹、美粋)

 B-Companyという雑貨屋でステンドグラスぽいガラスのコースターとマグカップを買い、有隣堂で江國香織を買う。ここは「がんこ堂」ではないから「な」の棚に中島桃果子はささっていない。それをちゃんと視認する。女神の裾を手放したのは自分で、わかっていて手放したから、「な」の棚に中島桃果子がいなくても落胆はしなかった。それよりも江國香織の本の装幀の嗚呼美しき。この本から、恵比寿アトレの床に星屑がパンくずのようにポロポロと落ちては、きらきらと跳ねている。このパンくずを目印に追いかけてもう一度女神に会う。わたしは本をぎゅっと握りしめた。この本は女神の衣ずれ。この人は女神のことを誰よりも知っている。
冬深まる日曜の夜の出来事でした。

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なかじま・もかこ/ 守山市出身。1979年生まれ。附属中学→石山高校。2009年「蝶番」にて新潮社よりデビュー。

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〈裏表紙の言葉〉
がんこエッセイがちゃんとした冊子になりましたので、がんこ堂さんと相談しながら、置いてある場所を増やすことを考えていますの。
石山高校にも置きたいな。ご提案あったらご一報くださいませ。

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(⤴︎2021年1月。カフェがんこ堂にてモカココーナー。イーディの常連さんがこれを見て「五木寛之より大きく扱われておる!」とびっくりしていました、笑。ありがとうがんこ堂!)


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