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月モカ!!vol.273「『令和放浪記』林芙美子になりきって」

以下は昭和6年(?令和6年?)
エログロナンセンス界隈のフィクションとして。

<20XX年 1月29日>
くだらないことしか起こらない。嗚呼浮世、これが乱世。
ぺんぺん草も生えない終末世界を、ハギの湯に向かい寛永寺陸橋を渡る。
嘘嘘嘘!ハギの湯にはもう数ヶ月いっていない。そうね、あすこに行く時は、ラブホの脇をすり抜けてゆくのが近道、そのときにいつも一秒くらいおもいだす、そういえば数年前の冬に寝た男の子と、ここいらのどこかのホテルに泊まったっけ。

腑抜けるほど酔い潰れて乗り合いを降りたところで彼は手持ちのペンやら手帳やら単行本サイズの液晶機械の類やらを道路にばら撒き、それを一緒に拾った後わたしたちは湯を溜めて一緒に浸かった。手を繋いだこともない人と一緒に湯船に浸かるこれ奇妙かな! 思ったよりもこちらが本気になってしまったので、年を越して数日で向こうからの連絡は途絶えた。

乱世は人が死ぬ。エロとグロとナンセンスの応酬。今年のM1をまだ見ていない。西生まれ西育ち、お笑い好きは大体ともだち。昭和浪漫、令和浪漫、
さや香は皮肉とアンチテーゼでニッチに敗退、漫画家のあの人は今日死んだ。無関係な人たちが収益化のために犬とか猫の動画と一緒にその死を呟いている。なんてナンセンス! なんてグロ!脚本ナンテものはねあなた、イニシアティヴゼロなんですよと、かつて自身の脚本にクソダサ台詞てんこ盛りにさせられなおクレジットでダサシーンの全責任を引き受けた小説家は言いたい。死と手を繋ぎダムへと歩いていくのは太宰治の商いではなかったか。
くだらないことしか起こらない。くだらないことしか起こらない。
くだらない、くだらない、嗚呼くだらないねと言って布団をかぶって寝てしまいたくなるほどに、この死はあなたのわたしの、そこかしらの世界で息づく文士や絵描きの心臓の1ミクロン脇を彗星のごとくかすめていった。

「よく死にましたね」といつか松井須磨子が死んだ時、
芙美子の嫌いな時雨が言った。
「よく死にましたね」「よく死にましたね」
それは死が隣にある人間のセリフなのだろう。
時雨は須磨子の死に打ちのめされた。死ねない自分の臆病を呪った。

台詞を書いたのは抱月先生ですか。責めません。
あの時スペイン風邪があなたをマルッと飲み込むなんて、誰も想像してなかったのだもの。どんな台詞を戯曲家が書こうが、原作を無視しようが、
個人の哲学よりも興行が大事、そりゃあ乱世だもの。
わたし、死から遠のきたい。
腐敗から遠く、巨大権力の「キ」の息もかからない場所に行きたい。
パンパンも、こんなJanuaryも、Journeyな男娼もない異国。
けれどもそこはぺんぺん草も生えないところ。
わたしは今、ぺんぺん草も生えない場所で、ふてぶてしく深呼吸をしている。ぺんぺん草も生えないような場所の空気はうまい。
煤けた二酸化炭素を誰も取り合わないから。

栞が魚を捌く。魚、鮮度を保ち釣船の船頭から送られてくる。
栞、船頭の娘。珈琲屋で食べるアジフライはうまい。
珈琲屋で食べる太刀魚の刺身もうまい。
寛永寺陸橋で芙美子は大雪の1月2日、ばったり元彼に会う。千駄木の果物屋ははぎわらですか? あなたの放浪を追いかけ、令和放浪記を書いているのはこのわたしです。あなたの性格は大嫌い。なのにあなたの書く小説に堪らなく惹かれる。
だから上手にあなたの文体を真似ることができるのです。
わたしは誰かから預かった原稿を黙って引き出しに仕舞っておかない。そんな酷いことをしない。だからわたしの葬式で川端康成が謝ることはない。
あなたの葬式で川端康成が謝り「川端さんは三島の首を見たから死んだんだ」と言った三島の愛弟子はいつか都知事になり、わたしの手を強く握って「小説家たるもの一世を風靡せよ」と言った。あれから9年、わたしは出版世界の腐敗から遠く、ぺんぺん草も生えない根津の路地で、酒場女主人をしています。あゝ。我ができることはせいぜ根津の路地裏、2丁目の風靡かな!一世とはかくも遠き世界。けれどもこの放浪記がいつか一世を見せてくれる哉!そうやって芙美子、昭和4年に一世に飛び出た。

金がない。銀行の口座は近頃月末になると入金しないと立ち行かないくらいに乏しくなる。酒屋からの数銭円の請求すら払えない。明日お客さんには頼めど頼めど酒屋が欠品と言って持ってこないのだと言って乗り切ろう。乗り切ったら2月になる。カンパリとパッソアの不在わずか2日、みな許せ。遠きイタリア。
あの人は死んだ、肉体も魂も犯されて。
「よく死にましたね」「よく死にましたね」
松井須磨子は恋人を追って死んだ。ならばあの人は何を追って死んだのか。
できれば「トーマの心臓」のように美しい何かを追って思い切り死んだのだと思いたい。あの人の心の中にある純然たる作品の結末に向かってダムに飛び込んだのだと。その毅然とした拒絶が、今凛然と、腐敗と組織への三行半なのだと。そうかあれは心中か。昭和初期、エログロナンセンスの時期に姦通罪下の恋人たちが純愛を貫くために死んだように、彼女も自身の作品と手を繋いでダムに飛び込んだ。

路地裏の文士にとって死はいつでも傍にあるが、時に死すらゆるされない。今年の頭、世界はわたしから死をとりあげた。

疫病の最中、酒場経営のため国に貸りたお金の返済、先の11月から。
払ってる最中に死んでも、残された人に迷惑がかからないよう、保険マスト。年始に令和スペイン風邪で寝込み支払日が1日過ぎて、保険無効。

「最終通告でしたから」うんともすんとも岩の扉。

そうですか、10月も11月も経営が困難でそれに夢中で、そなたから届いたその手紙の封を切るのを忘れていたのはこのわたしです。保険、突然やってくる誰かとの別れのように、前触れもなく、対話を許さない。よってわたしは向こう10年死ねなくなった。これはあれかね、ハイヤァーセルフとかいうわたしの肉体の外側にある山菜のジュレ部分の計らいだろうか。ともかくわたしから死は取り上げられ今日あの人は死んだ。

腐敗腐敗腐敗腐敗!
巨大組織と腐敗!

頭を下げなければ我が筆も折られるか。折らせてたまるか、嗚呼!
ひさしぶりに赤ちゃんを抱いた。乳くさい赤ちゃんの”いのち”のにおい。
きっとあのセクシーな彼女にもこんな日があって、そして彼女は天才であって、天才ゆえにダムに飛び込んだ。愚鈍な凡才に己の美しい作品をこれ以上汚されぬために。もうこれ以上この恋を時代に穢されないように。凡才は人ではなくいつでも何かの塊(かたまり)つまり集合体である。今宵の栞定食は煮込みハンバーグ。ひき肉の塊。テレビ局も出版社も興行という忖度に煮込まれたひき肉の塊。だから一人一人に罪はない。たしかにあの投函は腐敗に巻かれてた業界人のカビの匂いだったけど。だけどPがちゃんと伝えてなかったんじゃない。お便り読まずに食べたから白ヤギさんがああなったんじゃない? 塊にぶら下がっているうちは加害者にもなるが切り離されたとき、その命のゆくすえは危うい。
嗚呼、君死にたもうことなかれ。
嗚呼、君誹謗することなかれ。
全ては塊の、問題だから。そして乱世の問題だから。
みんな心中する。何せ今は令和のエログロナンセンス。
じきに銀行が潰れ戦争が始まるだろう「歴史が繰り返す」ものならば。

麻婆茄子がうまい。餃子もうまい。赤ちゃんは可愛く、わたしにはお金がない。44にもなるのに20の学生よりもひもじい。それでも腐敗から遠く離れて。直販、直売り、直接の宣伝が我が歩むべき命の道かな。山菜のジュレに死を取り上げられた悲しき女主人、哀しき小説家の運命(さだめ)よ。
「貸したお金を返すまでは死なないでください」
わかりました、それまでは生きませう、麻婆茄子を食べて。変わり春巻きにエビマヨのタレをつけて。絶版になった我が著書を図書館で探して。
遊チューブで、新作を朗読して。

トマト麺が食べたい。人の死にこんなに打ちのめされながら明日生きることを考えている。ああ現金、現金な乱世かな。

「よく死にましたね」「よく死にましたね」
よく死にましたね。

神から死を取り上げれられた女は、
ここ数日ずっと怒っている恋人のことを考えている。
彼は芙美子に怒っている。会ってくれるのに、ずっと怒っている。
プンスカ、プンスカ。ミスターおこりんぼ。
同時にそんなにも怒ってくれる恋人が「かつて!」いたことがない彼女は、
歪な性癖かもしれないが、その時間に、少し萌えている。
来週になったらキスしてもいい、と、彼は言った。
来週はきたけど、まだ彼は怒っている。
設定がわかんない。と言われた。

大好きな黄色い猿の歌に、外国で飛行機が落ちたから「このやうな夜は会いたくて」「会いたくて」「君にあいたくて」という歌がある。
そういえばハギの湯のそばのホテルで手を繋いだこともない誰かと同じ湯船に浸かった日、僕たちはその曲をトウキョウドオムで聴いていた。

誰かのいのちが消えた日、恋人に会いたい。
そして赤ちゃんを抱いた話をしたい。その写真を送りたい。
そして言えない言葉を胸の内に( )で言いたい。

(今日ひとりの漫画家がダムに飛び込んだ。わたしたち、どうしたらいいんだろう。なにもできないし、同時に今なにもするべきじゃない)

よく死にましたね、よく死にましたね。
100年前の時雨さんの言葉がまるでその場で聴いたように頭に響く。
ぺんぺん草も生えない場所は生活困窮、同時に華やかな場所でどんどん人が死ぬ。赤ちゃんは可愛い。わたしは乳も出ないのに他人におっぱいを揉まれた。「よくこらえてくれたね、今度から断っていいんだよ」と言って、取り消し線のようにその不穏なふちどりをあなたの冷え性で冷たい指でなぞって欲しかった。けれどもそれはいかがわしい不貞の輪郭、しかも俺の目の前でする!?「触りたくない」と彼は言った。

赤ちゃんはすくすく育つ。母と呼ばれる我が姫は、育つ赤ん坊のために搾乳をする。それは冷凍庫に保管される。
小さな体だけどそれに恵まれた。ふと女人藝術の「乳を売る」を思い出した。松井須磨子が彗星のように死に、林芙美子が瑞々しくデビューしたころ、乳を売るしかない女性がいた。乳の出ない奥様の代わりに乳母になる。条件はその乳を自身の子供に飲ませないこと。
自身の家で骨と皮になっていく息子を眺め、ぼっちゃまは丸々と育っていく。いつだって世界は理不尽なことだらけだ。くだらないことしか起こらない。昭和6年も令和6年も。

赤ちゃんよ無邪気に眠れ。
ただ生まれおちたこの世界の「今」だけを見つめて。

<月モカvol.273「『令和放浪記』林芙美子になりきって」>
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


林芙美子のファンの皆様をこの文体が不快にしたらばおわびします。
今日の気持ちを昭和初期調にせねば綴れませんでした。この文体は「放浪記」をベースにトレースしておりますが途中でグラデーションのやうに桃果子調に転調しまた芙美子調に戻るコード進行です。
グラデーション転調ゆえ改行や1行空きなどで区切ってないので、芙美子ファンには違和感があると思いますご了承ください。

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