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月曜モカ子の私的モチーフvol.233「五感を凝らして出来事を見つめる」

ちょっと今、わたしの大切な本屋さん「がんこ堂」が叩かれまくっているので、今日はそれについて書きます。(それへの反論じゃないです、反論とかはまた誰かを傷つけることになって意味がないから)

まず、おとといの朝、起きたらお母さんからポン、とこんなLineが来ていてわたしはとても嬉しくなった。

この館長さんがまさに退任される最終日に行われたのがわたしのトークショー「Gifted」である。

で、そのことをすぐに呟こうと思っていたんだけど、その日はわたしの店の近所で少年が人を刺すという事件があって(東大ね)、びっくりしてそっちをイーディのアカウントで呟いたら、なんか、館長さんのツイートはもっといい日に呟きたいないう気分になってその日は投稿しなかった。
根津でお店をやって2年半、東大というのはこうもう近所の駄菓子屋くらい親近感のある大学になって、東大生や東大の教授や元東大生なんかが常連にたくさんいるからこれも人ごとと思えない。特に農学部にはすごく仲のいい同い年の教授が研究室にいる。

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そんな感じでどのタイミングで呟こうかなあ♪ と思っていたら昨夜、
石高時代の同級生から↓のリンクが送られてきた。
最初わたしはよく開きもせず「館長さんの記事だ!」と思ってウキウキ返信してたんだけど、よく見たらこういう記事だったことがわかって、
わたしはその時、とても悲しくなった。

え?なにこれ、と思ってクリックしたら何やらもう凄まじいいいね!と凄まじいリツイートがされていて、それらが全て館長さんとがんこ堂を叩く内容だったからわたしはより一層悲しくなり、そして次第に腹が立ってきた。

それで最初、物申すリツイートをしようかと思ったんだけど、
そういうことをして、自分が今度この人たちに鬼叩かれたらどうしよう、
自分だけならまだしも店のこととかもおかしな叩かれ方されたりしたら自分だけの事じゃ済まないし、とも思ったりして、やめる。でも次に、え、こんな自己保身で、大事な本屋さんがこんな言われようしている時に黙るわけ? という感情が芽生える。わたしはこの件に関して何か言いたいのだから。

そうこうしているうちに、いろいろ考えが逡巡して、
この衝突すらも、正直誰も悪くないというか、どうしたらいんだろう、って途方にくれる気分になってきた。
だってまず、この呟きをしている人は本屋さんで、当然きちんと意思を持って発言をなさっているし、この人の呟きに賛同してコメントしている人のほとんどが「無報酬」ということに着目して、それに怒ってる。
そして、その気持ちは間違いじゃないんだろうと思う。

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それでだけどさ「無報酬」ってひとえに言ってもきっといろんな背景があるじゃないか。で、その背景がうまく描けなかったんだろうと発言すると、これまた記者さんが悪くなるしね、本当に今「ことば」と「伝達」これがとても難しいなあって、思った。

例えば緊急事態宣言の時も開けていたお店は、
「協力金を貰わず稼ぐ方を選んだ」「協力金貰ってさらに稼いでた」って思われがちだけど、その中には開業のタイミングの都合で、
「協力金もらって休業したいのに、それがもらえなくて開けざるを得なかった」お店もあるって知っている人はどれくらいいるだろう。

正直、知らない人のが多いのではないか。
これに関してのフォロー報道が全然なかったからさ。

ね。これらが全部「緊急事態宣言中も店を開けていた」という一つの言葉のくくりにしてある意味加害者みたいに叩かれる。でも、開けざるを得なかった店ってもはやコロナの被害者だと思うんだよね。

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↑photograph by 2019

今とにかくいろんなことが「誤解される可能性」「曲解される可能性」があって人は口をつぐんでいるし、特にこの疫病禍、感染病が蔓延していると言われる最中、物事はいろんな背景が複合的に絡み合って起きていて、
とても140文字や短いWeb記事では語り尽くせない。
同時にその短い文章の中に、誰かの琴線に触れるワードがあったら、それだけに皆メンションして、そこだけが拡張していって本質がなくなる。

今回のがんこ堂の記事だって「無報酬...無報酬!?...無報酬!!!!」みたいなところだけを人は読んでいて多分ざっくり「ああ、あの、本屋が定年層を無報酬で雇い若者の雇用を減らしてる記事ね」みたいになってると思う。
そこに館長さんとがんこ堂、それらを取り巻く人たちの背景や事情は、一切汲み取られていない。

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で、難しいのはこれにわたしが反論すると、もう叩いている人は「無報酬」しか見てないから「あなたは雇用がなくなって困っている人の気持ちをどう考えるんですか」とか「無報酬賛成派なんですね、どうせ生活に困ってないんでしょう」みたくなって、もうこの記事についてのわたしの気持ちとか感情とかは「無報酬について」の土俵の上でしか扱われない。
で、叩いている人たちにはきっとそれに関して声を大にして言いたい背景がね、きっとあるんだと思う。

そうなんです、つまり、叩かれる人、叩いてる人、みんなの日々の奥に、
繊細な背景が、ある。

去年一度「雇用調整金」のことで呟いたら「元々、従業員に雇用保険をかけてないお前が酷い雇い主」というような感じで叩かれたんだけど、
小さな飲食店や飲み屋で働いている人、特に水商売なんていろんな背景があって、正規雇用せずバイトみたいにした方が相手にとって良い場合とかもあったりするし、それをひとしきり説明するのは140文字では土台無理だってことなのと、そのわたしを叩いた人のページに行ったら「なんとか誰もクビにしないように必死で頑張っている」中小企業のオーナーさんだったから、
これ我らざっくりと言ったら同胞じゃん、それを互いに刺しあってたら馬鹿みたいだって思って、その人宛のリプライだけで「これこれこう理由で保険かけられなかったんです」って返してそれは終わって、わたしはもう、それ関係はツイッターで呟かないと決めた。

今回も呟いているのは本屋さんだし、きっと切実な思いや、それを踏まえた何かに対する「怒り」があったのだと思う。それがたまたまこの記事の中の「無報酬」って言葉に反応した。そういうこと、わたしもある。
知り合いのクリエイターが去年「飲食店は協力金で丸儲けだし、ちゃんと従業員に給料払えよ」みたいなつぶやきをしてたときわたしも怒った。何がわかるの!?って。その時協力金が遅れに遅れて、飲食店経営者はみんな不安の中にいた。どの同業と話しても「申請に不備があるって突き返されて理由も教えてもらえない」ってみんな言ってたし、うちもそうだった。100万単位のお金が3ヶ月とか遅れてるから、わたしも公庫とかの借り入れたお金を随分建て替えて使っていたし「何かの得体のしれぬ理由で今後も通らないのでは」って不安に駆られていたからね。

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だから今、言えることは「五感を凝らして物事を見つめる」ってことしかないんじゃないかなって。皆の言葉の行間に、どんな日々の物語や、事情があるのかを、見つめる。あと想像力。例えば「無報酬」という言葉が、
今の時代どのように人々に作用するのか、とか。
そんなこと考え出すとこのようなエッセイも、思わぬところで誰かに作用するのだから想像力を凝らして五感を凝らして書いても補いきれない部分もあるのだと思うけどね。

「無報酬はいけない」という発言を、自分ががんこ堂への攻撃ととらえたら。攻撃と捉えると戦いが始まってしまうから、まずは攻撃と捉えるのをやめて先に「どうしてこの方はこのような発信をされたのかな」と考える。
もちろん田中社長や館長さんを知らない人たちが次々にそれにリプライしているのを見るのは悲しい。でもわたしの悲しさとこの人の意見は別である。そういう風に整理していかないと、もう今のご時世、争いしか起きないんだよね。

ここまでを読んで「ずいぶん事なかれ主義で道徳的な方なんですね」と思う人もいるかもだけど全然それ違ってて、コロナ渦でまる2年も酒場やってたら、日々の諍いと争いに心底疲れてる、っていうそれだけ。

だってクリスマスに上山くんという素敵なピアニストが来てくれて美しい讃美歌を弾いてもらって「なんかみんなリクエストある?」って聞いたら、皮肉屋のヤマネコが「君が代をお願いします笑」とか言うんだもの。
そういうことが数秒ごとに起こって、それらをユーモアを持って笑いに変えて穏やかな酒場として1日を終えるのに凄まじいエネルギーを使うのでね。
だからわたしはSNSでまで知らない人と傷をつけ合う余力がない。
(その時、上山くんは君が代をほとんど君が代とわからないジャズアレンジで美しく弾いた/もちろんリクエストを断ってもいいと伝えてるよ)

ええと。君が代を否定してるんじゃないです。争いの種になるトピックなんだという話。酒場のひりついた状況をお伝えしています。

こちらは讃美歌39番"Abide with Me"
「日暮れて四方は暗く(ひくれてよもはくらく)」

クリスマスに讃美歌が流れることは、当たり前だけど揉め事にならない。
クリスマス肯定して讃美歌否定するの矛盾あるからね(笑)

SNSの中にある、ほんの僅かな言葉では、今特に、全然大切なことが伝わらない。だからこそ発言する方も反応する方も、礼を尽くさないといけないよね。本当にいろんな立場でいろんな人がいろんな事情を抱えていま生きているから。

最後に個人的な意見なんだけど、定年層が若者から仕事を奪う話なんだけど。商売で考えた場合、雇う方もボランティアじゃないから、集客につながる人材が欲しいと思うし、もし自分が本屋で誰かを雇うなら「生活費を稼ぎたい」だけが理由の若者より館長さんのように本を愛し、彼女に会いにくるお客さんの集客が見込める人を、定年層でも自分は雇いたいかな。
その方が結果売り上げにつながるし、館長さんの背後で切り捨てられるという若者も加えて雇うことができる経営につながっていく。

この論争は「無報酬」が大前提で、同じ条件なら定年層も若者も関係ないって思うかもしれないけど、発言の中には「報酬関係なく」定年層が若者から仕事を奪うなっていう方向だけのものも散見されたから、それは違うんじゃないかって。日本がいわゆる資本主義の国で、皆が働かないと食べていけなくて雇用を必要とし仕事を奪いあうとしたら、定年した60代が高齢の両親などを介護しながら100歳とかまで生きていく高齢化社会において定年後も職を持つことは必要不可欠になっていくから、定年という理由で若者に仕事を譲ってはいられないし、若い方が圧倒的に仕事を見つけるのは有利だよね。

あの記事は「無報酬」という言葉に全部引っ張られてしまったけど、
雇用の理由には、館長さんのこれまでの本に携わってきた実績や、本屋にとってメリットを生むという勝算などがあったと思うのですよね。
で、当然社長と館長さんの人間関係思えば「タダ働きしてくれるラッキー」ってなってるわけないし。
あと自分も随分遠いところから通ってくれるスタッフが2人いたんですが交通費って馬鹿にならない。
だから館長さんが福井からってなった時に交通費&日給の支給は厳しいわとかそういうやりとりがあって、要は交通費上限いくらまでとか考えてくともしかしたら交通費全額支給ということが(交通費上限**円まで+日給)くらいの金額で、つまり手元に残る報酬自体はほぼ0円だねえ、ってことになったのかもしれないし、だからそういう意味では「図書館長さんが書店員に!」ということだけが軸の記事でよかったのかもしれないけど。もしくはちゃんとそこを丁寧に描くべきだったか。「無報酬」という言葉はあまりに「強い割に説明不足」で、微妙だったように思います。

仮に「館長さんは福井から通う交通費の一部は自己負担で、働きにきている」っていう表現と無報酬だったら総合的に支給される金額が同じでも全然違って聞こえちゃうじゃないか。(伝わるかなわたしの言いたいこと)

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難しいね。無報酬、というたった3文字がこの記事を全然違うところに連れてってしまった。自分も書き手なので人ごとと思えず怖い。

どちらにせよわたしは三田村館長のそのバイタリティと、定年を迎えても新たな土壌への挑戦を忘れないその気持ちに敬意を持ちましたし、
守山図書館元館長さんが守山の駅前の本屋にいるという物語を作った田中社長も、さすが物語を扱う本屋の社長さんだなあと思いました。

守山図書館というのはなんていうか守山市民にとっては特別な場所なんですよね。(改築する前からね。わたしはまだ前の図書館の記憶あるもんね)
その館長さんが本屋さんにいる。それって純粋に素敵な物語。
それだが伝われば、とっても良かったのにな。

あと記事内で「無報酬」という言葉を置いたことや記事の方向性が「報酬で働くことを美談ぽくした」あたりはちょっとこのおかしな作用を生む要因になったなとは思うんだけど、ひとえに記者の方が悪いとも言えません。
どういう制限とどういう文字数、記事の方向性の制約が媒体にある中であの記事が放たれたかわからない以上判断できません。

新聞を毎回ゲラにするのは難しいのだろうけど、どうにかして書かれる方が確認できるシステムをそろそろ作れないのかね。SNS時代で情報の拡散力も強く、新聞自体を読んでいない人にまでこのニュースが届いていく時代、
語弊を生むことで商売を潰すこともあるので、そろそろ新聞も一方的報道について考え直しても良いのではないかな。これはまたジャーナリズム全体への議論になるのでここでやめますが。

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目にする記事や出来事に、怒りを感じることがあるけど、それは自身が抱えている問題にリンクして増幅してることが多い。だから一旦、これは自分の話なのかそうではないのか区別して、それでもなお「意見したい」と思ったら発言するとか、したいと思う。八つ当たりになっていることがあるから。
五感を凝らして物事や出来事を見つめる。
難しいけど練習していかないと、今年、というかそのうち本当に、
また戦争が起こってしまいそう。

こういうSNSでの炎上もそうだけど、争いや戦争が起こって引き返せなくなった時にさ、そのソース(理由の源)に実態がなかったり真実が行き違っていた時ほど無意味なことはないじゃないか。
「え?こいつがやったことじゃなかったの、殺しちゃったよ?」
みたいなことって、無意味なことじゃないか。

だからとにかく、五感を凝らして語感を凝らして、物事にあたりたい。

田中社長、いつもどんな時も、
あなたの生き様とがんこな商売を、尊敬しています。

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(↑こちらも2019年)

同時に冒頭に貼ったコメントをされた本屋さんの、切実な想いと発言にも、
共感しています。つまり起こっていることは同じことのはずなんですよね。本当は同じ思いでいるはずなのに。

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<モチーフvol.233「五感を凝らして出来事を見つめる」2022.1.17>

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ちなみに昨日のレディオは変則バージョンでお届け。

☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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