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彼との甘い朝

朝6時。

体を横に向けて、掛け布団にくるまるように寝ていた私に

「おはよ。」と彼は声をかけてきた。

私のうなじにそっとキスをして、

「ねぇ…こっち向いて?」といつもより甘えた声でつぶやくように言った。

(眠いよぅ…。今そんな気分じゃないんだけどなぁ…。)

と内心思いつつも、彼の方に体ごと向けた。


彼は私の髪を撫でながら、

「まだ眠いの?」と聞くと、

鼻と鼻を優しく擦り合わせた。


愛おしそうに、私の頬を触りながら、

「大好きだよ?ねぇ……好き?」

確かめるように彼は聞いてきた。

(可愛いなぁ…)

「ふふっ」と思わず笑いながらも、

彼を抱きしめ、髪を撫でながら

「もちろん。大好きだよ。」

とおでこにキスをした。


彼は安心したように目を瞑り、嬉しさをかみしめるようにニヤりと笑った。

こんなに甘くて愛しいと感じる朝は、久しぶりだった。

(こんな風に、優しく大事に愛されたかった…)



私はいつも、「母親」や「嫁」や「仕事での立場」という役割を担って生活している。

起きてから寝るまで、役割を全うしていると思う。

1人になった瞬間、「私」に戻る感覚になる。

もちろん、役割を担っていようと、全て「私」なのだが、

何の装備もしていない、無防備な私。

心がゆるんで、安心している状態。

それは人といるとなかなか出てこない。

人が大好きなのに、人といると疲れてしまうのも、
なかなか無防備ではいられないからだと思う。

それがここ最近は、安心して無防備な自分でいられる人達と出逢えるようになってきた。

ビビりなところも、気にしぃなところも、恥ずかしがり屋なところも、無邪気さも、本当は甘えたがりなところも、

さらけ出しても受け止めてくれる人達と出逢えたのだ。

それも今、数人の顔がパッと頭に浮かぶ。

音声アプリでのアイコンが浮かんだりもする。
(私にとってのサードプレイス 参照)

自然体でいられることに、幸せだなぁと感じる瞬間が増えるとともに、

本当はどの役割を担っているときでも、
そんな自分で在りたいんだよなぁ…
という気持ちも芽生えていた。

それは不可能なのかな?

いや、不可能にしているのは紛れもなく私だ。


誰かに役割を求められているかもしれないが、

実はそれは誰かに課せられたわけではなく、
自分で自分に課しているのだということも、

最近になって実感している。


どういう自分で過ごすのか、生きるのか、
私が選んで、決めていけばいい。

選択の連続が、未来を、今をつくるのだ。



そんなことをふと思いながら、

甘くて幸せな朝にひたっていた。

(今日はもうちょっとだけ…このままぬくぬくしていたいな…)

昨日、晴天の中で干したからか、
微かに残るお日様の匂いを布団から感じながら、

再びうとうとしていた。





が、次の瞬間、

彼は私の右頬を引っ張りながら
耳元で大きな声で叫んだ。

「ママぁぁぁ!!

あーさでーーすよぉぉぉ!!!

おーーきーーーてーーー!!!」

私は一瞬で飛び起きた。


そう。

「彼」とは、私の4歳の息子のことである。

彼との甘~い朝は、ものの5分で終了した。

余韻に浸る間もなく、私はママへの切り替えスイッチをONにした。


(無防備な朝を迎えられるのはまだまだ時間がかかりそうだな…)

心の中で小さくため息をしつつも、

「ママ!おはよう!!!朝ごはん、何にするっ?ママの卵焼きたべたいっっ!!」

と目をキラキラさせながら聞いてくる息子を見ていたら、

(ママでいられる時間も、やっぱり好きなんだよなぁ…)

と、また心の中で呟いた。

#もちゃの子育て

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