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「自分でわからなければ動けない」

心ここにあらず、という言葉は自分からみた他者に対して感じることに本来は使うものなんだろう。
最近は、自分で自分の心がここにあらずというか、どこに行ったかわからないというか、身体と心の乖離感に悩まされ自分の挙動不審になすすべなしだった。
肋骨の内側あたりがざわざわもやもやする感覚と、脳がぶよぶよしている感覚の不快さをごまかすために、マンガに没頭したり動画を見続けたり音楽を聴き続けたりの度合いが常軌を逸しはじめた。
日常生活を送るうえで基本の、食事をするお風呂に入る睡眠をとるなども浸蝕されできなくなり、当然家事もおざなりで家の中がひどい状況になってきた。
会社にいって仕事をすることもあと少しすすんだら、できなくなるだろう。
SNSを開けば言葉の洪水についていけず、自分の発信もうわっ滑りしていて何かを探しているような求めているような焦燥感と孤独感におぼれて苦しくてしかたない。
そして、突然久しくご無沙汰している昔の友人に「元気ー?」などと意味のないLINEを送りつける世にも恐ろしいヒト化も進行してしまった。
何を求めているんだろう。

どちらかというと過眠気味で入眠障害など無縁でいつでもどこでもどんなときでも眠れるのが自慢だったのに、眠れないのではなく全く眠くならない局面がきて40時間起き続けている。いよいよこれは異常だと気づいた。

実はこの時点で原因がふっと思い浮かんだ。それは嫌になるぐらい単純で言語化するのも簡単で人に話せば理解してもらえるだろう内容だった。

怖いのである。また新しい環境に異動するのが。
新しい環境に適合するためにかかる負荷がわかっているだけに怖い。
わたしは「怖い」と「不安」を子どものころからねじふせて完全に押し沈めてしまうことに慣れすぎていて、自分が「怖い」と感じているのを察知するのが遅いんだと思う。

大丈夫教の呪いが強固にかかっているので、自分自身やってしまえば絶対大丈夫だと思っているし、周囲の人間からも「あなたは大丈夫」と言われすぎるほど言われてきたし実際そうなのだ、大丈夫なのだ。

でも、わたしが大丈夫なのと、わたしの心が怖さを感じることは別問題で大丈夫だから怖くないとはならない。
この簡単なロジックを受け入れられなくて怖さを見えなくするために自分が今までとった行動はすべて身体への自傷だ。
自傷はなにもリストカットばかりではない、オーバードーズや食べない寝ない、過食嘔吐、セックス依存もそうで根っこは同じな気がする。
心の怖いと不安をねじ伏せるのには体の感覚を麻痺させるのが一番簡単だからだ。

自傷をせずに解決するには、自分は怖いんだと認めること。

「転職するわけじゃないんだけど、部署異動して新しいところで一からやるのが不安だし怖くて吐きそう」たったこれだけのことなのに。

嫌だ、もう辞めたい、消えたいとか、爆発してほしいとか息を吐くように言っているけれどそれは単なる口グセだ。そうではなくて、自分の感情をきちんと認識して開示できないとなんの解決にもならないのだろう。

次からはここまで壊滅的にダメになる前に気づけるようになりたい。
寝よう。

#雑記 #エッセイ #不安

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