見出し画像

やっかいなもの。

この前の日曜日。
ごちゃっとした自室の机を見て
頭にきちゃって掃除を始めた。

こういうのは初めてじゃない。
昔から片付けが大の苦手で、家族から「豚小屋」と呼ばれるほど(ブタさんに失礼)部屋が煩雑。

しまったり出したりをめんどくさいと思う人種のため、「手の届くところにすべてを」スタイルが定着してしまい、家族にも何も言われなくなった(いや、言ってるのかも、右から左に聞き流しちゃってるのかも)。そうして、「なんかこう、ぐちゃっとしてるよね」な部屋で生活している。

ときどき、その空間がいやになる。
ごちゃごちゃした視界に影響を受けてか、心も頭もぐるぐるになって、「あーもう、いや!」となったところで、やっと片し始める。

お掃除大嫌い人間のお掃除なんて、まず成立するんかという感じだが、いざやるとなると、超絶完璧主義者の私がにょきにょき顔を出す。

Googleで「ミニマリスト」なんて調べはじめる。部屋にあるもの全て引っ張り出して来て、山にする。いらない何も、捨ててしまおう。

集中力がないので、1日では終わらない。
今日は机の物。明日は服。週末までには。
1週間弱、自室のベッドでは眠れない。
畳の部屋に薄いマットレスを敷き、申し訳程度に座布団やらヨガマットやらをいい位置に入れて寝る。翌朝の腰痛も覚悟のうちだ。そのくらい、徹底的に(と偉そうなこと言うなら集中力が何たらなどとつべこべ言わずに1日でやってしまえとも思う)やる。

ふと思い出す。学生の頃、ひと月海外にいたことがある。向こうが夏だったから洋服が少なくて済んだのもあるが、二泊三日用のスーツケース一つとリュックで事足りた。ホームシックになった時用のインスタント味噌汁やお煎餅も詰め込んで。

自分はそんなに物欲がないし、部屋中のものを集めてきても、意外と持ち物は少ない。必要に迫られたら、本当にスーツケース一つで生きていけるなぁ、って思うくらい。

じゃあ私の部屋、
何がこんなにごちゃっとしているのか。

原因は「紙」だった。

物欲はないけど、ものを捨てる能力もない。
とくに、それが「紙」となると。

部屋のあちこちから、紙が出てくる。
後で見返すことなんてほぼ皆無の新聞の切り抜き、講演会などでもらったパンフレット一式、旅先でゲットした観光地の入場券、劇場版「鬼滅の刃」のチケット。
「記念に…」とか、「あとで日記に貼ろう…」とか、多分机にほっぽった瞬間は、そう考えてたんだろう。

まだまだある。
使いかけのノート、過ぎ去って切り取ったカレンダー、Amazonの包装の中に入ってた良さげなサイズの段ボール。
まだ何も書かれていない、改造されていない「新人」もいれば、いつかの私が何かの構想を書き走った「重鎮」もいる。

ほら、「いれば」なんて言っちゃって。
紙、擬人化しちゃってる、そりゃ捨てられないわ。愛おしすぎて捨てられない、紙はある意味、わたしの友達だったんだろう。

…つまり、掃除をしながら
わたしは「紙」がすきだ
ということに気づいてしまったのだ。

やっかいだ。
やっかいなこと、この上ない。

ペーパーレスの時代に、紙が大好きでたまらない。そんなことで、どうするのか、わたし。

最近はスマホのメモ帳にメモすることも増えたけど、でもやっぱり、紙が近くにあると、そちらに先にかく。あとで、おんなじことをスマホのメモ帳に書いたり、メモの写真を撮ったりしている。

いつも、アイデアがたくさん浮かぶのは電車に乗っている時とか、仕事中とか(仕事せい)なのだけど、電車に乗ってるときは、いっそいでメモ帳にメモして帰宅してすぐ、忘れないうちに何か書いたり作ったり。仕事中はそこら辺の裏紙に仕事と全く関係ないメモ書きを、バレないように、仕事してる風に、する。

考えていることが多い。昔から「森だねアンタは」って言われてきたけど、ほんとにそう、気が多すぎる。だけど、思ったこと外に出しちゃわないと、ほんとに頭が大変なことになっちゃうから。
(その割に、ピンポイントで解決策が求められるとき発想力皆無なんですけど、神様、なんでなんですかーーー…。)
まぁだから、部屋のどこに行っても紙がある、というのは、そこで生まれた発想があったということ。

以前、noteで外山滋比古先生の「思考の整理学」という本をご紹介した。すごーく前に。

え?
あ、ええ。あの、まだ読み終わってません。
読み終わってないのに、古本屋で先生の「知的生活習慣」という本を発見して購入、電車で、ぱっと開いたところを読む、なんて、ふざけた読書生活を送っているくらいです。
ま、そんなことはどうでもよく…。

そう、その「思考の整理学」でね、「アイディアは眠らせろ」と、先生はおっしゃっているわけです。あれ読んだ時のドンピシャ感、忘れません。そうそうそうなんです!って思った。

それからというもの、頭のどこかでは既に気づいていたんだと思います、わたし、紙が好きだって。流れるように発される発想を書きつらねるのが好きだって。それを優先して、紙を貯める生活を良しとしてきたんですね、きっと。

だけど、整理しておかないから、後でゴミの山みたいになって、異臭がし始めて、蹴っ飛ばしたり丸めたりして捨てたくなってしまう。

紙を好きでいよう。
「ミニマリスト」という形に憧れるけれど
「いつか使う」は訪れないかもしれないけれど

その時、ほんとにキラキラした気持ちで「これだ!」と思ったものは、きちんと整理しておこう。

そして、後で見てアホらしく思ったら捨ててもいいし、写真を撮ってnoteに載せてもいいね。


掃除しはじめて1週間が経った。

机の上に散らかっていた、重要かそうでないか分かりにくい行政からの書類とか、病院に行って診察してもらって何も問題なかったので安心しちゃって飲まなかった薬とか、何かを包装していた大小のビニールたちは、捨てた。
ただ、燃えるゴミ、燃えないゴミ、それぞれのために用意した40リットルの大きなゴミ袋が、部屋にボンボン、と置いたままである。

机の上には、一時ベッドに移動させていた書籍たちが後戻り。綺麗に積まれている。新聞の切り抜きも綺麗に。

洋服だけは、ミニマリストを目指した。何着か、着ていない服はタンスやボックスから出した。売れるものは売ろうと思っている。それも、床に、綺麗に、縦長に、積んでいる。倒れないといいな、と毎日願いながら。

そう、集中力がきれた。
また、この状態に安心感を感じはじめている。

いや、でも。洋服を少なくしただけでスッキリしている。朝、着る物に悩まされなくなったことが、ギチギチだった脳みそを少しリラックスさせてくれているのかもしれない。


これが、先日書いているよ〜とお伝えした、
冗長なエッセイでした。エッセイとは。
ああ、私を丸裸にしてしまったようだ。普段ぼーっとしてる分、自分がこんなに文章を書けるとは、自分でも思わないですから、びっくりしちゃいますね。ま、文章の上手い下手は別として。

また長くなるからこの辺で、
うん、またね、
うん、じゃあね、
ばいばい、
(ト書き:別れの瞬間、どちらが先に背を向けるか、探り合うようにドギマギしながら)

#essay  #エッセイ #掃除 #ミニマリスト #紙 #書き物 #読書 #アイディア #発想 #思考の整理学 #外山滋比古 #ト書き #原石 #ペーパーレス #うやむや #ごちゃごちゃ #森

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?