見出し画像

パン工場

わたしの住んでいる街、調べてみたら人口は約八万人らしい。その数が多いのか少ないのかよく分からなかったが、某政令指定都市出身の夫に言ったら、少な!!!と叫ばれた。少ないらしい。小学校の社会の授業で習った時点では約七万人だったので、増えたには増えたがそう多くはない。たしかに近所を歩けば大体見知った顔ばかりだ。それも若者ではない、十中八九お年寄り。特に目立った会話はしないけれど、静かに生存確認をし合う仲といったところだろうか。そんな小さな街での暮らしは無論あまり変わり映えの無い毎日だけれど、落ち着きがあって、住むには割と良い所だと思う。住めば都とはよく言ったものだ。

ただ悪いところを一つ挙げるとするならば、何かの建設工事が始まったと思ったら、それは大体葬儀屋か介護施設なことだ。この街の現状が手に取るように分かる。ここ数年ご近所に新しく出来たお店はほぼ無い。スーパーやドラッグストアといった所謂生活必需品を取り揃えているお店は、近くに大体揃ってはいる。でも必ずしも生活に必要では無い時間こそが、生活を豊かにしてくれるのではないか。だから本当は休日の朝、軽くモーニングに行けるようなおしゃれなカフェが出来て欲しい。歩いて行ける距離なら尚更良い。焼きたてのパンとかあったらもう最高。あゝ妄想は膨らむばかりである。まさに焼きたてのパンのように…

実は家の近所に、パン屋さんはあるにはあるのだ。わたしがまだ中学生の頃からあったので、開店してから10年以上になるだろう。名物はクロワッサンで、開店前から何人かお客さんが並んでいるなかなかの人気店だ。でもゆっくりくつろげるようなカフェが併設されているお店では無いので、有難い存在だけれど、てんてんてん、、、といったところ。

そんなある日ベランダに出て洗濯物を干していると、工事に使われる大きな骨組みが建ち始めているのが見えた。なにが建つのだろう。気になったわたしはその後すぐにその工事現場へと足を運んだ。するとおそらくトイレや台所などの間取りがキチンと取られていることに気が付いた。でも家を建てるには広すぎる。かと言って葬儀屋や介護施設を建てるには小さすぎる。あれれ、おっかしいぞぉ。もしかして。そんな淡い期待を抱えながら仕事から帰宅した夫にそのことを伝えると、工事現場の垂れ幕に近所のパン屋さんの店名が書いてあったと言うじゃないか。あのパン屋さんの二号店が建つのだろうか。しかしそれにしては距離があまりに近過ぎる。色々考えた結果、「もしかしてあのパン屋さんのカフェが出来るんじゃない?」とほぼ声を合わせるかのように、わたしたちはそう閃いた。そうだ、きっとカフェだ。パンを売るお店と実際に食べられるお店を建てるのに違いない。エクセレント!それからの毎日、わたしたちはかなり浮かれた。ついに来たか、モーニングが出来るカフェ。夫はあのカフェを俺の作業場にしようと言う。一方のわたしは客ではなく、いっそ店員になってしまおうと接客の練習をし始めた。接客の仕事に就いたことはないけれど人と話すことは好きな方なので、いっそ副業をしようと決めたのだ。家のベランダから見える距離で働けたらどんなに良いだろう。しかも視界の中に常にパンがいるのだ。コーギーのお尻のようなまるまるふっくらとした、可愛いパンが。そう考えると思いは止まらなかった。採用されるかも分からないのに、なぜか根拠の無い自信がわたしを優しく包みこんでしまったで、店員になる妄想をしながら寝入る日々が続いた。

それからまた一週間ほど経った頃、妄想の中での接客がほぼ完璧なレベルにまで近づいたわたしは、この熱い思いを母親にも伝えてみた。すると、どんだけ〜とIKKOさんばりのテンションで笑われてしまった。笑いたければ笑うがいいさ。わたしの頭の中で今問題になっているのは、レジ横に子どもに配るキャンディを置いても良いか店長に尋ねたい、ただそれだけだった。すると母は、工事に来ている人に直接なにが建つのか聞いて来ると言い出したのだ。おうおう聞いてみてくれ。カフェに決まってるやんと笑いながら、遠く離れたところから母の背中をじっと見守った。あろうことか電話対応中のおじさんに聞こうとしているようで、ずっと見つめられているおじさんは少し戸惑いながら母の熱い視線を避けようとしている。母の行動力は、たまに目を見張るものがある。電話が切られた後すぐに話しかけた母は、そのおじさんと一言二言何か話してわたしのところへと戻ってきた。

おじさんカフェって言うてたや「工場や!!!!パン工場が出来るんやて!!!!」

わたしは荒れに荒れたよ。しばらく怒って、その後カフェだと信じて疑わなかった自分を悔やんだ。いらっしゃいませ何名様ですか、二名様ですね、こちらの席へ あっ少々おまちくださいね(前の客が食べたパンくずをほうきで掃く)こちらへどうぞ〜〜〜 …
ここまで完璧に接客が出来ていたというのに。あゝなんたる無念。せめて頭の中でカフェ店員をしていた間の時給が発生したらいいのに。そんなわけでわたしの妄想は妄想のまま幕を閉じ、変わり映えのない毎日はこれからも続くのであった。しばらくして少しずつ心の傷が癒え始めた頃、姉からラインが来た。「てかすぐそこにパン屋さんできるやん うれしみ」パン工場の罪は重い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?