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分かると分からない

ちょっと暗い話になるのだが、子どもの頃、わたしは子どもが嫌いだった。あんたも子どもやんと言われたらそれまでだけど、もしかしたら精神的には少しだけ大人びている方だったのかもしれない。というのも、心の中で何かを考える時間は、同年代の友だちと比べて長かったように思うからだ。わたしの家は生まれた時から毎日両親は喧嘩ばかりしていたので、振り返ると心の中で思いを巡らせる時間がとても長くあった。何が原因で大人の喧嘩が始まるのかなんて、子どもだったわたしにはこれっぽっちも分からなくて、いっぱい想像した。でもやっぱりいつも分からなくて、自分の無力さに嫌気がさした。兎に角早く大人になりたいと思っていたのは、大人になればもっと相手の気持ちが分かる人間になれると思っていたからかもしれない。相手の気持ちが分からないということ、それは当時のわたしにとって何よりもの不安だった。だから前述の通り、わたしは子どもが嫌いだった。特に幼稚園に行くことはかなり苦痛だった。理由もなく叫び出す子や泣き出す子、はたまた笑い出す子。それが子どもなんだと言われたらそれまでなのだけれど、わたしにはその自由さは刺激が強すぎて、全く馴染めなかった。理由なく何かを表現出来るような勇気は長い間生まれず、幼稚園の子どもたちとはずっと遊んであげているような気分で過ごした。

それにしても、幼稚園の一日は長かった。何冊絵本を読んでも、いくら絵を描いても、先生のピアノでお歌をうたっても、お日様はまだまだ明るい。それなのに子どもたちはずっと元気で、ほんまになんであんたらそんなに元気なん?と思ったりした。

お昼ご飯は、たしか年少の組の間は特に、お弁当の日が多かった。みんなで手を洗って、机を並べて、いただきますのお歌をうたってから食べ始める。一連の流れが終わりお弁当箱を開けると、見慣れた母の料理が詰めてあった。料理というものは、視覚から嗅覚から、ビシバシ遠慮なく攻めてくる。わたしの心は我が家へ一直線、完全にホームシックに陥っていった。視界がだんだん、ぼやけていく。お弁当箱に描かれたサンリオキャラクターも、涙でゆらゆら揺れる。耳につけたリボンが、涙のせいで二重にも三重にも見えてくる。そうなると、わたし自身もお手上げで、それこそダムが決壊したかのごとく、もう泣き止むことは出来ない。周りに嫌いな子どもは集まってくるわ、先生は来るわの大騒ぎ。そりゃお弁当箱を開けた途端に泣き始めたら、みんな驚くだろう。涙を拭いても笑いかけてもどうしたって泣き止むことのないわたしに、先生たちも根負けしたのだと思う。しばらくすると家に連絡が行き、母が謝りながらわたしを迎えに来てくれた。そんな事が本当に何度もあった。今思うと、めちゃくちゃめんどくさい子どもだっただろう。先生、みなさん、ごめんなさい。

迎えの車に乗り込んでからは、色々と尋ねられた。何が悲しかったん?先生に怒られたん?お友だちに嫌なことされたん?でも、どれも違う。ようちえんがきらいで、おうちにかえりたくて、おかあさんにあいたかった。だけどそんな気持ちをうまく言語化することは出来なくて、おそらくかなり母を悩ませたことだろう。でも、本音は知らないが まぁ早よ会えてお母さんちょっとうれしいわ という母の言葉が、わたしにとって救いだった。そして帰り道には大体いつも、コンビニエンスストアに寄る。またお弁当食べられへんかったんやろ、お腹減ってるか?なんか欲しいものあるか? と母に聞かれて買うのが、助六寿司だった。ちょっと渋いそのセンスが、なんだか今のわたしと通じるような気がする。その中に入ったごま入りの甘いいなり寿司が、わたしは好きだったのだ。家に帰り、しんとした部屋で、母にじっと見つめられながら食べるいなり寿司。甘くて優しい安堵の味。大泣きをして、わがままを言って、迎えにきてもらって。もしかしたら、それがわたしが一番子どもらしくいられる時間だったのかもしれない。

あれから20年以上経った今のわたしは、あの頃の自分とは比べものにならないくらい、子どもが大好きで、笑って怒って泣いて、しょっちゅうわがままを言って生きている。それがわたしなんだと分かった。相手の気持ちなんて分かるわけがないということもちゃんと分かった。分からないが分かる今が、なんだかすこしうれしい。

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