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その傷つきを認めない時、全ては怒りと恨みに転換される。怒りは二次感情である。

好きなはずの夫に、怒ってしまうことがよくある。
そのあとはお決まりの自己嫌悪だ。
くりかえして、どんどん自己嫌悪が溜まっていく。

そんな負のループのなか、Twitterで
「その傷つきを認めない時、全ては怒りと恨みに転換されます。」という言葉を見かけた。

DV・モラハラ加害者が愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を運営されている、えいなかさんのツイートだった。
えいなかさんのツイートやニュースサイトの記事も他のツイートも拝見した。

https://studyhacker.net/adler-nlp

怒りとは、二次感情である。

アドラー心理学では、
「怒り」をある感情が“怒り”というかたちで表面化したものと捉える。
怒りは単体では成り立たない二次感情とされている。
人は、傷つきや悲しみ(一次感情)が満たされないときに、二次感情を使って満たそうとする。

一次感情は、
不安 寂しい つらい 悲しい
心配 苦しい がっかり 悔しい などがある。

怒りの元となる「傷つき」とは、
解釈の不一致が尊重されず、一方的に決められることだそうだ。
この逆、つまり「解釈の共有」をして認められることで、傷つきは癒される。
分からないものは、共有できない。
怒りの奥に傷つきがあると理解できなければ、癒すことはできない。
だから、他の手段が必要になる。それが怒り。

この考え方を知って、どうしようもないと思っていた怒りが少し理解できる存在になった気がした。

ひとまず、相手に怒っているわけじゃないことが分かった。
好きなはずの人に、怒ってしまう自分が怖かった。
いちいち傷ついて動揺する自分が嫌いだった。

怒りに代わる理由が分かれば、今までより対処できるかもしれない。
何に傷ついたか想像して、思考ルートを把握するだけでも違う。

たぶんわたしは、無意識に相手の行動を予測している。
でも、家だと気を抜くし、数打てば当たらないこともある。
予想と違う行動をされると途端に不安になる。
「相手の行動や要望を汲み取ってちゃんと行動しなければならない」というねばならない思考から、予測が当たらなかった自分を責める。
自分を責めるうちに、フラッシュバックする。
ねばならない思考はしんどいし、相手には見えないフラッシュバックは今起こっていることじゃない。
私の解釈は採用されちゃいけない。
でも、自分が否定されるのに傷ついてしまう。
否定される=間違ったから、罰を受けなきゃいけない気がする。
そんな混乱で、「不安、つらい、悲しい、心配、苦しい」気持ちが噴き出す。
そんな思考回路みたいだ。

思考パターンの仮説が立てられただけでも、少し進歩だと思う。

相手としても、怒りよりは傷つきを受け止めるほうが楽かもしれない。
傷つきをただ傾聴するのもまた難しいから、身内に求めちゃいけないと思うけれど。

負のループから抜け出したい。
それにわたしは、傷つけてきた人たちと同じになっちゃいけないんだ。
直接たくさん傷つけてきた人には、怒って、恨んで、吐き出さないと回復には向かえないから。
だからこそ、自分は同じようになっちゃいけない。
同じ穴の狢になると、自分へのブーメランになってしまって、怒れない。恨めない。
自分も他人も、傷つける人になりたくない。
向かいたいのは、「回復」。

「その傷つきを認めない時、全ては怒りと恨みに転換されます。」

「傷ついたとき」じゃなくて、
「傷つきを認めない時」と条件がつけてある。

怒りが生まれるのは、相手のせいでも、自分の性格のせいでもない。
だったら認めてあげればいいのかもしれない。

一次感情を癒す方法のバリデーションを増やしたい。
効果があるかは分からないけど、感じた怒りを紙に書きだすといいらしい。
やってみて、また書こうと思う。

一次感情をどう癒すか。また、読みたい本が増えた。

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