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曾野綾子『ほんとうの話』(損ができる人間)

私たちは誰もが誰かに迷惑をかけて生きている。そのことを忘れると、我々は汚くなるのである。

私たちは生きているだけで誰かを頼っているということだ。

この文明社会において、すべてを自給して生きてゆくことはできないからだ。

その際に、迷惑というか、お世話になっているということは事実だ。

~少しも損にならずに、と考えることは「この世」の現実を無視している。「この世」は、得をする可能性もあり、損をする可能性もあるところなのである。それらの相反する可能性を承認しなければ、現実問題として生きていけないのだから、損をさせられたらもう許せない、と思うようでは、社会の恩恵に与(あずか)る資格もない。

損になることを私も小さい頃から恐れていた。

何かにあぶれてしまうことをとても恐れていた。

けれども

同じクラスの人気のある子が、自分からあぶれてしまうという立場を取っていたときに衝撃を受けた。

尊敬するということは、そういうことだった。

損になる立場を自らとることができる人は、素晴らしいと思った。


そのカギは

自ら損な立場をとる」ことにある。


誰かに、何かに損な立場をとらされているのではなく、

自分の選択として

損ということをとることが重大なポイントなのだ。

~現代は、何かあったら、それを種に「とってやれ」という考え方が満ちている。そしてまた、多くの人々は、たきつけられれば、すぐに考えもせずに、自分の都合の悪いことは相手にやめさせ、できればそれで金を取ろうとして反対運動、告発運動に参加する。

正当な運動というものもある。

納得のいくものも多くあり、社会を変えてきていると思う。

けれども

無知からくる異常な恐れから

思考停止状態となって

何が何でも反対という状況も

現実として確かに未だにあるのも事実だ。

・・・
自分にとって損になることは、とにかく何が何でも許せないのである。

損になることを恐れているということは

現実の生活に不満があり

満たされていないからだと思う。


経済的だけでも十分に心配することなく

生活ができるようになると

考え方も違ってくると思う。


心に余裕ができると

同じことでも

違って見えてくるものも多くある。

だからこそ

ベーシックインカムが必要だと思う。

ぎりぎりベーシックインカムではない。

余裕で生活ができるという

ベーシックインカムが必要なのだ。

・・・
「損になることを、黙々と一人でできる人間になる」

心に余裕ができ、

自分以外のことも考えることができるようになって初めて

自ら損になる立場をとることができると思う。

・・・
権利は、自分がすぐに行使するものではない。他人がそれを持つことを承認するためのものである。
これに対して義務は、相手の要求すべきものではない。それは誰がやらなかろうと、自分が黙々と遂行すればいいものなのである。

権利と義務の関係は

自分だけにあるという認識から離れてみることが必要となる。

自分に保障されていることは

他者にも保障されているということなのだ。


社会全体での

自分と共に他者の権利と義務を

考えることができるようになって

社会は成熟してゆく。

・・・

その基本となる生活の保障の仕組みの

ほんとうの意味での

人々の生活を守るシステムとなる

ベーシックインカムの実現を強く求める。

これからもずっと求め続ける。

それが

健康で文化的な最低限度の生活の保障だからだ。


その上で

私たちは

損となる立場を取るという

崇高な人間として

生きることができる。


そして

その崇高さが広がってゆき

社会全体が

必ずより良くなってゆく。



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