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いつも何かの準備をしていても

いつも何かの準備をしていても、明日などという日は永遠にやってこない。あなたは明日もその次の日の準備をし続けるのだろう。そして目の前の喜びに気付かずに終わってしまうのだろう。大切な人との関係性も、あなたの人生も。

そんなのは嫌だ 。
そのことに気づいたのは大学時代だったろうか。高校時代まで愚直に愚直に勉強やら何やらで将来のために頑張ってきた(と自分では思っていた)自分は、第一志望の帝大に行けなかったことで、今までの努力の全てを失ってしまった気がした。あの時に私は一度死んだのかもしれない。
不合格通知の後、脳にはしばらく何も文字が入ってこなかった。新聞、雑誌、テレビ。見ているはずが文脈を追うことができず、どこの文字を見ているのか自分でもわからなかった。部屋を片付けつづける私は発狂寸前だった気がする。

そんなことが思い出されたのは、今日たけのこを煮たからだ。
一般的にたけのこを煮るには米ぬかが必要で、米ぬかを入れた水の中、鍋で1時間コトコト煮ることになる。米ぬかがなければとぎ汁やお米を入れればいいのだろうけれども、それすら面倒だった私は重曹を入れて圧力鍋で煮た 。結果は成功で、アクが抜けたタケノコが出来上がった 。それを適当に炒めて食べながら、この先のことを準備しすぎるのも問題だと思った。

準備を全てが無駄だというわけではない。けれど、準備することによって失っていく時間というものはある。今準備したところで明日ちゃんと自分が生きているか。そんなことは誰も保証してくれない。

自分の妥協できる範囲で努力すること。それが自分の楽しみであるならば問題ないが、いつもそんな心持ちで生きるのは難しすぎる。目の前にある茹でたてのたけのこ。これをこの後どうしようが私の自由だ。明日私が何を食べようが、今何を食べるよりは重要ではないのだ。
そんなことを思ってしまった、たけのことの時間だった。

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