本当は何者にもなりたくなかった


いつも行き詰まると感じるのがもうどこへもいけないのではないかという恐怖感である。


学生の頃は何かを探すように、答えを探すように、貪るようにミニシアター系の映画を観続けていた。答えはたくさん散りばめられていて、当時はそんな些細な差し伸べられた手が大きな助けとなっていた。それだけで生きていられた。その世界が私にとって全てでそこに居場所があった。そんな居場所が今は揺らぎ、なくなっている。自分がどこに立っていればいいのかわからなくなってきている。


学生という肩書きをなくし、なんの肩書きもなくなった今、何者でもなくななった今、私は何になりたかったのだろうと考えた。考えても考えても何も出てこない。名声や地位が欲しかったのか、注目されたかったのか、そんな過程さえも経てなんの欲もない自分がそこにはいた。
何者かになりたくて何者にもなれなかった自分がいたのだ。それはそれはとても情けなくて恥ずかしい事実で自分のことなのに目にもいれたくなかった。

それは当然のことで、何者かになれるはずがないのである。何者にもそもそもなりたくなかったのだから。毎日何かを求めて何者かになりたくて走ってきたけど、とうとうその理由では走ってはいられない状況になったのだ。というか、そんな状況下では走れなくなるほどに馬鹿正直で本当に不器用でしかない人間なのだ。そんな状況下でも走れる人も一定数いる中で。


ただ、幸せだと感じたかった。ただ、できるだけ笑っていたかった。それだけしかなかった。それだけなのに、いやそれだけだったからうまくいかなかったのかもしれない。


生きてるだけで丸儲けとは言うけれど、そう感じられるまで相当に長い道のりになりそうで途方に暮れている。だけど、自分でご飯食べて生活をしているだけでも十分幸せ、ということはなんとなくわかっている。

ただそれだけを目指して何ができるのか考えていきたいと、小学5年生の時にリリースされ好きだった3月9日のミュージックビデオを久しぶりにYouTubeでみて感じた昼下がりだった。

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