人間に生まれる
下記はある科学者との往復書簡を交わしていた当時のものである。
時折、彼とは手紙のやり取りをさせて頂いていた。
しかし、彼は既にもうこの世にはいない。
記:
前略 お変わりありませんか。
当方は確実に老化が進んでいることは事実ですが、急変はありませんのでご放心下さい。
今度エッセイを一本書きましたので読んで下さい。
考えてみると私の実母のことを書いたのはこれが初めてです。
映画、特に洋画の好きな人で大戦前に私を連れて映画を見せてくれました。
駅馬車、ノートルダムのせむし男、ロビンフッドの冒険などなど、子供心に覚えています。
私が消える前に彼女のことを伝えておくのが私の役目かと思っています。
川柳講座は幸いうまくいっています。(注釈:彼は川柳講座の講師であった)
先日医者だった友人の葬儀に出ましたが、ものすごい豪華さで、かえって寒くなりました。
医者という人種は金の使い方を知らないと思いました。
ではお元気で。
2010年6月9日
[人間に生まれる]
私の母は東京生まれの東京育ちであった。
少女の頃、門の前を掃いていると、乃木将軍(乃木希典、1849-1912)がよく馬に乗って通りかかり、
「おはようございます」と挨拶すると、サッと敬礼して下さった、という話をよく聞かされた。
私の兄が10歳の時に、鉄道事故で即死する、という逆縁に見舞われたせいか、熱心な仏教信者で、近所
の人からまるで仏さんのように優しい奥さんと言われるほどだった。
例えば私がトンボやセミを捕まえて、羽を千切ったりしたら「あんたが両手をむしり取られたらどんな
に痛いか考えてごらん。そんな可哀想なことをしたら罰があたる!」とすごい剣幕で叱られたものだ。
そのために私は昆虫少年になれなかった。
その仏さまのような母から、慈悲の心をかなぐり捨てさせられる、不倶戴天の敵が存在した。
ゴキブリ(その頃はアブラムシと呼んでいたと思う)である。
ゴキブリを見付けるや否や、反射的に素手を伸ばして捕まえ、さっとその首を引っこ抜く。
その間、1秒かかるかどうかの早業である。
その動きのなかで、首を引っこ抜く瞬間、母は大きな声で「南無阿弥陀仏!」と叫ぶのである。
そしてその亡骸を紙に包んでポイと捨てる時には必ず「次は人間に生まれておいで」とはなむけの言葉を添えるのを忘れたことがない。
虫の羽をむしり取る私を叱る母と、ゴキブリの首を引きちぎる母と、この不可解な矛盾を見せ付けられ
てきた私は、少年時代から現在にいたるまで、人間不信から抜けられないでいる。
さらに、多分仏教に基づく思想と思われる「次は人間に生まれておいで」という言葉は、実に難しい哲
学的設問である。
私が、今の生を終えた後、再び生命を担ってこの地球に生まれてくることがあるのかという問題。
そしてまた、それがあるとして、その時ヒトのゲノム(遺伝子構成)を担っているとは限らず、ゴキブ
リのそれかもしれない、そんなことがあるのかという問題である。
末期高齢者としては気になるところだが、どう足掻いても答えは出ない。
真面目に考えると、それこそ華厳の滝へ身を投げたくなるので止めておいたほうが良い。
死語の世界に絶望して自殺するなんて「死んだら殺すぞ!」というギャグを上切りするジョークである。
さらに「次は人間に生まれておいで」というのは差別用語である。
私の母は当時の人間として、人間が一番という思想を持っていたのだろう。
ゴキブリにしてみれば「余計なお世話だ。俺は人間にだけは生まれ変わりたくない」と思っていたかもしれない。
ただ、私の母が人間であることに、また人間としての人生に幸福感を強く抱いていたことが垣間見られ
て、私も幸せである。
以上、難解な思考遊戯をやってきたが、前世のこととか、死語のこと、それよりもなによりも、現世に
おいて何故私がこの私なのかという疑問には、どんなに科学が発展しても解明されることは絶対にないと信じている。
(〇大生研〇友会投稿原稿 2010年6月)
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