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誰かに言いたい言葉は、自分に言いたい言葉だった

こんにちは、心月です。

ボクはセラピストの活動を通していろんな方にお逢いするのですが、
最近、ホント思うんですよね。

「誰かに言いたい言葉って、自分に言いたい言葉」

だって。

けっきょく、

「自分=世界=他者」

なんですよね。今さらだけど。

その気づきが起こったときに、ボクがボク自身に言いたい言葉、それはね

「ひとりじゃないよ」

ってことでした。

なんだか、こっぱずかしいけど。笑

■また出た!勘違いな人生ゲーム


どうしてこの言葉が出てきたのか?というと、ボクが「ひとり」だった理由がわかったからなんですね。

“勝とうと思ってがんばっていた” とでも言えるかな。

ボク”って”スゴイ!
と思いたかったし、

ボクは特別!フツーじゃないんだ!
ってアピールしていたんですね。
無意識にだけど。

そうしながら、勝手にひとりを選んでいて、
スゴイでしょー?!を演じていた。

なんともトホホな感じだけど、よくある勘違いな人生ゲームだから、
気がつかずにやっている人もいるかも知れませんね。

で、その奥を静かに探っていくと…「劣等感」があるんです。

劣等感って聞くと、これまた「うわーっ またかよ!」

って苦笑いしちゃうけど、逃げずにしっかり観察するとスッキリします。


■稼ぎがなくなったら生きてゆけない?

ボクも劣等感が出てくるたび、ひとつひとつみてあげるようになりました。

先に書いた、無意識に「勝とうと思っていた」心理に隠れているのは

男子なのに、弱いし、体力もない
特別アタマが切れるわけでもないし
すぐに悩んで、睡眠不足になって動けなくなる。

本格的なスポーツとか格闘技とかもしたことないし
かといって女子っぽくしたいわけでもない

なんだか中途半端に「負けたくない根性」だけいきがってる。

そんな「弱くてポンコツなボク」という認識が心の奥にあるってわかったんですね。

これがいわゆる、セルフイメージというやつです。
そして、だいたいの場合、この表面的なセルフイメージは勘違いであって、
本来の自分自身じゃないことがほとんどです。

ただね、ここ(間違ったセルフイメージ)を否定しちゃうと、反動がくるんです。

自分は弱くてポンコツ

強くありたい

勝ちたい

弱くないんだ!

という主張・アピールが強くなってしまうんですね。

たとえば、「稼いでやる!」とか、「成功してやる!」とか、
「痩せてキレイになってやる!」とか、
そういう、優劣をベースにした欲求になってきます。

■キレイじゃなくなったら価値がない?

これって、実は、優越感を味わいたいだけ、だったりするんですね。

というのも、それが達成できてそれなりにうまくいっても、
次は、無くなる幻想に苛まれてしまいます。

「稼ぎがなくなったら生きてゆけない」
「成功していないと、誰からも相手にしてもらえない」
「キレイじゃなくなったら価値がない」

という不安が大きくなっていくからです。

幻想、と書いたのは、目の前の現実にはなにも起こっていないのに、勝手に焦ったり不安になっているだけだからです。

突き詰めると、「孤独」だから、ということがわかってきます。

弱いセルフイメージがあって、「そんな自分じゃダメ」という劣等感がある。それを直視しないために、「強い主張・アピール」があるのですね。

アピールなので、自分が自分が! ボクがボクが!が出てしまう。
すると、まわりから認めてもらうために振る舞うため、心にもないことを言ったりやったりしてしまう。これじゃあ、信頼されない。
仲間にも入れない。

かつてのボクは、仲良くなってくると無意識に怖くなってしまい、相手と急に距離をおいたり、ひどいときは連絡を返さなかったりする、厨二病みたいになっていました。

そうやって自分から「ひとり」を選択してしまっていたわけなんですね。

劣等感をひた隠しにするためにどれだけがんばっても、行動しても、めぐりめぐって、その劣等感を強くしているだけだったんです。

本当に求めているのは、信じられる関係性とか、自分を大事にしてくれる環境とか、その時間を過ごしている安堵感だったのに。

■この世界線はラクだな!とわかった

今は違います。

何かあれば話せる仲間がいてくれます。

人に支えられているし、いつだって助けられているなあ、と思うようになりました。ひとり、だと感じる時間もほぼ無くなった。

その代わりに芽生えたものは「安堵感」です。

安心は、保険みたいなものなので、獲得できるものです。
その証拠に、無いと不安だったり
既に安心を持っていても、「無くなると不安」になります。

「安堵」というのは自分の在り方なので、ただそこにあるだけなんです。

うまくいっていても、いっていなくても、自分に安堵している。
うまくいっていても、いっていなくても、自分の価値は変わらない。

自分は弱くてポンコツな部分もあるけど、そんな自分が面白い。

成功や失敗で、評価しない。
見た目や数字だけで、相手を見ない。
善い悪いを勝手に決めつかない。

昔のボクは、この感覚がよくわからなくてモヤモヤしました。

でも、これってよく考えたらわかりやすいですよね?

例えば、大好きな人や大切な人が、成功しようが失敗しようが、
うまくいっていようがいまいが、あまり関係ないはず。

どのようなその人であってもいいし、むしろ、いろんな経験ができて素晴らしいとさえ思う。

そして、うまくいっていたら一緒に嬉しい!って感動できるし、
うまくいっていなかったら「何かできることはないかな?」って素直に思える。

これって、当たり前だと考える人も多いかと思いますが、
「強くありたい」「勝ちたい」「スゴイってアピールしたい」ばかり考えている頃のボクにはわからなかったんですね。

そして、それがわかってきたからこそ「ひとり」って感覚がなくなってきましたし、「妙なプライド」も減りました。

だから、「ひとりじゃない」って思えてきたんです。

この世界線はラクだなー 軽いなー って無邪気に楽しめる。

「世界を創ってるのはボク」って強く思える。

まだまだジャッジしたり、たまには嫉妬をすることもあるけれそ、以前よりずっと思考のクセが弱まってきたのがわかります。

難しいことでもなんでもなく、シンプルに「法則」なんだなって、実感しているこの頃です。


《自分に安堵する》という絶対的な世界線
この理論を知るだけで、いつでもそこに戻ってゆけます。

そんなわけで「投影の法則」がオススメです。
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