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知識と性根 努力したくないは正しい 聖書を読まない精神壊死 聖書と盗作 水商売と警察

1、知識と性根
天罰隠ぺい薬害とは、疫病は神の背教者への天罰だけど、予防接種で蹴散らそうとして、神を冒涜して、さらに神を怒らせて疫病が重くなるけど、薬害が原因だとすり替えて神の存在を人々に気付かせない事だ。

薬害注射の接種で神を冒涜した被害者でも、反省して、神を冒涜した事を神に謝罪して、神に立ち帰って、神を信じて、二度と罪を犯さなければ、神は慈しみの神だから赦してくれる。
被害者だから絶対善だと思っているようなら赦されない。
被害は免罪符ではない。

元から人々が天の主に背いているから、神が怒って人々に疫病の天罰を下していた。
サタン側が人々に背教をするように洗脳していた。
政府は、人々に背教させて疫病にさせておきながら、さらに予防接種で天罰の疫病を悪化させる。
性根の悪い人間が出世するから、そんな性根の悪い人間の多い政府を信用してはいけない。
エヴァとアダムは知恵の実を食べて知恵がついたけど、責任転嫁する性根の悪さだった。
知恵がついても性根は良くならない。
学校の勉強ができる官僚は、性根がいいとは限らない。
神は、性根の悪い人間と付き合うなと、アダムとエヴァを例に出しているのだろう。アダムとエヴァは知恵がついても性根が悪い。

政府は自分たちで「天罰隠ぺい薬害」を広めておきながら、賠償金の値下げをする。
政府はサタン側の捨て駒なのが判ったのだから、こんな連中を妄信していないで、神に立ち帰った方が自分の命を守れる。

知識が多くても性根がいいとは限らない。
ソロモン王も知恵を授けてもらった後で神に背いた。ソロモン王の事例があるから、神の信者は、知識の多い人が性根がいいとは限らないと判っているため、知識の多い人を妄信しない。

ソロモン王の時代は理想的な信仰環境だと俺は言ったけど、ソロモンの性根がいいとは言っていない。
国民にとって理想的な信仰環境だと言ったと思う。

知識偏重な人だと、知識のある他人を妄信する。
サタン側が人々を知識主義で洗脳してコントロールする。

知識に頼ると性根が悪くなる。
知識に頼るのであって、知識があるのではない。
知識のある人はどちらかというと謙虚になる。
知識に頼るのは、知識を私物化して悪用する性悪である。
知識のある人は、みんなのために知識を使うから謙虚である。

2、努力したくないのは正しい
努力したくないと思うのは正しい。
努力免罪論はインチキである。

本来、人間は神に対して努力したい。
しかしサタン側が神を隠したから、努力をしたい対象を失った。
代償行為として社会貢献で努力するとか、出世のために努力するとか、家族のために努力するとか、やりだす。
しかし、所詮は代償行為の偽物だから、満たされない。満たされない人生で疲弊して不幸のまま人生が終わり、地獄に落ちるから踏んだり蹴ったりである。

サタン社会に対して努力したくないと思うのは正しい反応である。
努力したいのは神に対してであって、神以外に対して努力したい感情はサタン側に洗脳された結果である。
努力したくない人は、無意識でこの社会はサタン社会だと勘付いているから、努力したくないと感じ取れる。

何でもかんでも努力すればいいというモノではない。
努力してはいけない相手というモノが存在する。
努力すべき相手か、努力してはいけない相手か、区別する必要がある。
その区別もしないで、何でもかんでも努力するように仕向けるのが、サタン側の罠の1つである。

努力は免罪符ではない。
天の主は、天の主へ立ち帰ろうとする努力は免罪符として扱って赦す。

彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです。」

祭司たちとレビ人は立ち上がって、民を祝福した。その声は聞き届けられ、その祈りは主の聖なる住まい、天にまで達した。

歴代誌下 30章19節と27節 新共同訳

「主を求めようと決意している」のは、神に立ち帰る努力をするという決意である。だから、神は、神に立ち帰る努力を免罪符として、「その声は聞き届けられ、その祈りは主の聖なる住まい、天にまで達した」のである。
しかし、神以外に対する努力は免罪符ではない。
そして、サタンに対する努力は悪魔崇拝だから地獄へ落ちる。
神に立ち帰る努力を免罪符として扱われたから、努力が免罪符と思い違いをしているのだろう。

3、助ける価値
天罰隠ぺい薬害で、何で他人の命を守るために俺が命を張らないといけないのか。
薬害だと判らせるために何百時間も説得材料を探す努力をしないといけないのか。
ソイツの命は、俺が何百時間も時間を使って助ける価値があるのか。
聞く耳のある者だけが聞きなさいと神も言っているから、聞かない人間に何で聞かせないといけないのか。

マルコによる福音書 4:9
そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
マルコによる福音書 4:23
聞く耳のある者は聞きなさい。」
マルコによる福音書 7:16
*聞く耳のある者は聞きなさい。
ルカによる福音書 8:8
また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
ルカによる福音書 14:35
畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」

聞く耳のある者だけを助けなさいと神は言っているのだろう。

聞く耳のない者を助けるために、神に気付く時間を何百時間もドブに捨てさせるのがサタン側の策略である。
天罰隠ぺい薬害だけではなく、戦争・飢饉・地震・遺伝子変造の進化など、色々な策略で人々に抵抗させて、人々の時間をドブに捨てさせるのがサタン側である。

神に立ち帰る努力に時間を使えば、サタン側の何千何万の策略を全て見破って、自分の命を守れる。
サタン側の何千何万の策略に対して、神を信じないで、自力で見破ろうとすると、サタン側が用意した知識や学問やデータで考えるしかなくなる。
神を信じれば、サタン側のインチキデータなんかで時間をドブに捨てなくて済むから、一蹴して一秒で蹴散らせる。
一つ一つを見破るのに何百時間も掛かって人生が終わる。1000の100時間で10万時間、10000の100時間で100万時間。人生は80歳で70万時間である。
努力教もサタンの罠の1つである。罠とは思えないものまで罠である。
神を信じれば秒で全ての策略を見破れるのに、神を信じない奴らのために何で何千時間何万時間も無駄遣いしないといけないのか。
神を信じれば策略を見破れるのに、神を信じない状態で策略を見破れるように誘導しないといけないなんて、時間をドブに捨てる行為だ。

神に立ち帰ろうと努力する人を助ける場合なら、何万時間でも助ける。

4、聖書を読まない精神壊死
神は生きる者の神であり、死んだ者の神ではない。

マタイによる福音書 22:32
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
マルコによる福音書 12:27
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」
ルカによる福音書 20:38
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」

神は、聖書を読む生きた者の神であり、聖書を読まない死んだ者の神ではない。
聖書を読まない者は、死んだ者である。
聖書を読まない者は、精神的に死んだ者である。
聖書を読まない者が今回の「天罰隠ぺい薬害」で死んだところで、精神的に死んだ者が生命的に死んだだけの話だ。

体は一部が壊死すると近くの細胞も壊死して、最後は全身が壊死する。
精神的に壊死している人間は、生命もつられて壊死する。
真理を探そうとしないから精神的に壊死をしていて、最後は生命も壊死する。
俺は真理を探そうとしていたから、精神が生きていたため、最終的に真理の神に気付いた。

ヨハネによる福音書 8:32
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
ヨハネによる福音書 14:6
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
ヨハネによる福音書 14:17
この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

真理を探す人間は、精神的に生きている状態である。
真理を探さない人間は、精神的に壊死をしているから、つられて生命も壊死する。
真理を探す人間は、精神的に生きている状態である。
真理を探さない人間は、精神的に壊死をしているから、つられて生命も壊死する。
真理を探す人間は、例え聖書的な心理を探していなくても、最終的には天の主の心理へたどり着くモノだ。

俺が今回の薬害を回避したのは、動物愛護で動物実験の成果物は論外だから注射しなかった。
神が動物愛護を遣わして俺を守ってくれたから、神に感謝している。
このように、神に立ち帰ろうとする者は、聖書を読まなくても守ってくれるのが神である。

聞く耳を持たない者は、真理を探そうとしない。

わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、
罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。

ヤコブの手紙 5章19節20節 新共同訳

この聖書箇所では、「真理へ連れ戻す」と書いてあるから、真理を探究する人を助けるのは良い。
しかし、最初から真理を探す気がない人間は救いようがない。「真理へ連れ戻す」と言っても、そもそも最初から真理を探していないのだから、真理へ連れ戻すなんて不可能である。
真理を探そうとしない人間は精神が死んでいるから、生命も死ぬため、助けても無駄である。

神に立ち帰ろうと努力する人を助ける場合なら、何万時間でも助ける。

5、聖書と盗作
聖書は他の宗教を盗作したと言っている人は、基本的に人生を間違えている。
聖書が他の宗教を盗作したのではなくて、他のカルトが聖書を色々つまみ食いしているだけである。

変に近いところを参考にすると判らなくなる。
中途半端に近い存在を参考にすると判らなくなる。
遠い存在と比較した方が判ったりする。
イエス・キリストの近くに居たナザレの住民は、立ち帰る人が少なかったのは、中途半端に近いからだ。

聖書が他のカルトから盗作したと言っている人は、中途半端に近いモノ同士で比較しているから、こういう思い違いをする。

聖書や宗教に限らず、こういう近い存在しか知らない人は、似たような間違いをする。
普通の社会人でも、似たような業界の人としか交流しないと、変な間違いをする。
全く違う遠い分野の人と交流してみると、正しい答えが見つかる。

聖書を盗作なんて言っている人は、もうちょっと宗教界から離れて、音楽とか登山とか色んな趣味を試してみた方いい。宗教を突き詰めすぎておかしくなっている。宗教にのめり込みすぎて変になっている。
聖書が他の宗教を盗作していると言うのだから、聖書を読んだ上に、偽装キリスト教団3つ4つ、キリスト系以外の宗教の教義を3つ4つを全て読んでから、一言一句を比べているから、宗教にのめり込みすぎだ。
自分が暴走している事も自覚できないのだろう。
例えばスポーツで言うなら、同じスポーツの他のチームを3つ4つ調べ上げて、他のスポーツのチームも3つ4つ調べ上げて、それでこのチームはダメだとあげつらっているようなモノだから、過熱し過ぎてオーバーヒートしている。
もうちょっと別の視点を持った方がいい。別の業界を覗いてみるとか。

俺は趣味をしながら、こういう文章を書いている。
聖書の神は、恩恵を与えると言っているのだから、この世の楽しみを探してみたらいい。神に背く行動はダメだけど、神に背かない範囲内で趣味を探してみたらどうだろうか。

客を横取りする手口がある。
その手口とは、売れているのライバルが100の売れる要素があれば、100のチームを作って、売れる要素を1つずつ真似して盗作する。
聖書でもサタン側が同じ手口をする。
聖書の100の救いがあれば、100のチームを作って、1つずつ真似して盗作して、人々を騙す。
聖書が他の宗教を盗作したと思い違いをしている人は、色んな勉強をしないで宗教界だけにのめり込んでいるから、こんな簡単な商売の手口も判らないのである。
色んな分野の本を読んだり、色んな趣味をすれば、こういう知識は自然と身に付いて、物事の真偽を見破れるようになる。

6、水商売と警察
金銭トラブルで水商売の人が殺された事件がある。
警察に限らず、会社とかの組織は、自分自身の組織の維持を優先する。
水商売の人間が何万人、殺されたところで、警察の存亡に関係ないから、警察にとってはどうでもいいのである。
水商売の金銭トラブルなんて毎年、何万件も発生しているから、イチイチ関わっていられない。
殺された時だけ動く。
仮に、特定の工業分野の人間だけが連続殺人されるなら、誰も工業で働かなくなり、日本の経済が崩壊して警察の予算も無くなり、警察が滅びるため、そういう時に警察は全力で動く。
それに比べて水商売なんて何万人も殺されたところで、やりたい人はいくらでも居るのだから、守ったところで警察の組織の存続に影響はない。

良い悪いではなくて、組織は組織の存続を優先する。
良い悪いに関係なく、組織とはそういうモノだ。
サタン側がその組織を邪魔だと思ったら潰すけど。
組織の存続を優先しない組織なんて秒で自滅する。

幅広く知識を集めていたら、組織とはそういうモノだと判るから、偏ったモノの見方で間違える事も無くなる。

こういう組織の論理が嫌なら、自力で0から国を作るしかない。
国を作ったところでサタン側に乗っ取られる未来しかないけど。
何十回も書いているけど、神に立ち帰るのが自分を守る唯一の手段だ。
自分を守る唯一の手段である神に立ち帰る事をしないで、サタン側の手下である警察・政府・メディアに「俺を守れ」と言っているのだから、どうしようもない。
いや、警察がサタン側の手下でなくても、どうしようもない。
他人に努力を求めるのは、自分が努力してからだ。
自分が努力していたら、神に気付くから、他人に「俺を守る努力をしろ」と求めなくなる。神に立ち帰る努力をしろと言うようになる。

人を採用する時に、警察は、即戦力が要らない。
警察に限らず、即戦力が要らないと言っている組織や会社は、そこまで切羽詰まっていない組織である。
特定の思想に染まっている人間は採用しない。真っ白な状態で警察が必要な思想を叩き込む。
権力が欲しいなんて言っている就職応募者は採用しない。

努力は免罪符ではないから、水商売で努力しているからといって赦される理由にはならない。
努力が免罪符だと思っていると、変なところで努力して、悲惨な末路になる。

死んだら免罪符なんて思っている人は、死に盲目になっている。
こういう死を悪用する人間は、英霊を政治利用して国を亡ぼして他人を巻き添えにする。
死んだら善人扱いする時点でダメだ。
死を賛美するから、自殺が横行する。
死のうが死ぬまいが悪人は悪人である。
神に立ち帰った者だけが善人であり、神に立ち帰らない者は悪人である。
非信者は、死のうが死ぬまいが悪人は悪人という厳格な考え方ができないから、世論をミスリードして国を亡ぼす。
厳格なルールの無い人間は、周りの人間を地獄へ道連れにする。

死人に口なしだから、都合で利用できるから、気を付けないといけない。
どうしても困るなら、聖書を読んで、死人をどう扱っているのか読み取れば良い。
悪人は死んでも地獄へ落とすのが神の答えである。
死んだから赦される事はない。
死んでも赦されない。
神の信者なら、自分へ加害をした加害者を赦すように神に言われているから赦すけど、神は加害者を赦さない。
加害者が被害者へ謝罪をして、神に立ち帰って、二度と犯罪をしない人生を歩めば、神は加害者を赦す。

訂正 5月12日
警察が何万人も水商売の人間が死んでもどうでもいいとは書いたけど、この部分は撤回して謝罪する。
申し訳ありませんでした。
警察の99%は真面目に人々を守ろうとしている。

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