⑭~「理解すること」に纏わる強迫観念と闘争モードとの関連について~
1月頃、「理解できない状況や事態」に見舞われると、とりあえず「何が起こっているのか?」を理解することに専念しがちな傾向が自分にはあり、そのためにややこしかったりめんどくさかったりする人間関係にも留まりがちな傾向がある、ということを自覚する出来事があった。
DV旦那と新興宗教を信仰する妻という状況/事態が二世代にわたって連鎖した川田家に生まれたぼくにとって、目の前や身近で起こることが「理解できない状況や事態」の連続だった。だから、早々に感情を乖離させた上で、その「理解できない状況や事態」を、それでも自分なりに体系立てて「理解すること」に努めてきた。
そうやって、困難な状況を生き延びてきた。
けどそうやって、どんな状況や事態でもとりあえず踏みとどまって、状況を「理解すること」に努めることはしばしば負担になりうると、それこそ1月に起きた人間関係のトラブルで学んだことでもあった。
ともすれば、相手をつけあがらせてしまうし、期待を抱かせてしまう。
ハッキリ言って、ぼくは自分の「理解できない状況や事態」に見舞われ、曝され続けることを通じて、自分自身が“無力感”に苛まれることが最も怖い。
それは、襖の奥で泣くことしかできなかった昔の自分に戻ることを意味するからだ。
だから今までのぼくは「無力感に苛まれる」のがとにかくイヤだったから、自分の近辺で起きる「理解できない状況や事態」を「自分なりに理解する」ように努めてきた。そうやって、ぼくは言語化を通して自分なりの理論体系を構築し、言語化を通して、言葉の鎧を着こんできた。
そうやって「無力な自分」を否定し、強くあろうとしてきたように思う。
かつて主治医に「お前はそうやってすぐに、できもしないことをできると言う!」と怒られたのを思い出す。
「無力な自分」を否定し、「エリートコース」に乗っかって、自分自身を救い出そうと過剰適応をして、その挙句に自分を見失い傷つき傷つけ、迷惑をかけてなおももがき苦しんで、エラい遠回りをして、今があるのかも。
最近Nさんと一緒に居た際、ふいにNさんがぼくの顔を見て笑い出す場面にしばしば出くわした。
その度にぼくは、「なんで笑ってるの?」と聞きたくなったし、現に「ぼくそんな変な顔してる?」とか聞きまくっていた。
ぼには彼女が笑い出す理由や原因がわからなかった。
「理解できない状況や事態」に見舞われると、ぼくはすこし落ち着かない気分になる。けど、何度も「なんで笑ってるの?」と思ってしまう自分自身の反応に途中で、自分自身疲れ、うんざりしてきたのも一面事実だった。
山内桜良の表現を借りるなら、「私の発言に全て意味があると思ったら大間違いだよ。川田くんはもうちょっと人間と接しなさい」とでもなりそうだ。
Nさんが時折、ぼくのことを見た時に笑い出すのにも別に意味なんてないのだろう。きっと、彼女は笑いたいから笑っているんだろうな、と次第に思うようになっていった。それでもどうしても気になってしまうぼくは、自分の生まれの背景から、Nさんが笑い出すことがどうしても気になってしまうこと、そしてとはいえ、Nさんが笑い出すことに特段の意味もないのであろうというところまで仮説を立てたというところまで、結局全部をNさんに向かって話し、その長ったらしい話をNさんに聴いてもらった。
すると彼女はこともなげに答えた。
「うん。笑いたいから笑ってるだけですよ」
笑いたいから笑う…。ぼくは今、そんな風に生きられているだろうか。
胸や頭がすこし軽くなったような心地がした。
そんなやり取りもあって、今日の文章を書きたいと思い立った。
「理解できない状況や事態」に抗うために「自分なりの理解」を追求する今までのぼくのあり方はどこか強迫的で、ある面では脊髄反射的な反応にも見えるな~なんて思い始めていた。
つまりある種のトラウマ反応であり、あの環境を生き抜くために沁みついていた生き方のクセなのではないか?と思って、書き始めたのだ。
そしてある面では、そういう「理解できない状況や事態」に見舞われた際、「自分が無力な存在」にならないために、抵抗するために「自分なりの理解」を追求するという姿勢は、実はそれ自体がどこか「闘争的なあり方」なのではないだろうか?と直感が働いた。
「無力な自分」を否定することを選んだぼくにとって、己の無力さを痛感させられかねない自分の「理解できない状況や事態」に過度に曝されないために、「自分なりの理解の追求にぼく自身駆り立てられてきたのではないか。
自分に再び「無力さ」を突き付けてきかねない、自分の「理解できない状況や事態」という脅威に対して「自分なりの理解」を追求するぼくのあり方は、まさに闘争的だったように思われる。
いろんな点と点がつながっていく。
少しずつこころとからだが軽くなっていく。
そんな自分にとって大きな気づきのきっかけの一つが、ただ何の気なしにぼくの前で笑い出すNさんの存在だと思うと、ぼくまで笑えてくる。
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