ホラー小説『遊漁奇譚』

「ああ。辞める予定なんですよね。欲しいアクセサリーの代金が貯まったら」
 
 私の眼の前に座っているのは、四十路の中年男性だった。
 大学二年生の夏休み。手っ取り早く、稼げるバイトは無いかと、私は夜職の求人情報誌を手にして、余り人がこなそうなキャバクラの面接を受けて採用された。キャバ嬢デビューだ。店から私に見合った服を借りた。

「今時の若い子は奨学金とか、大変なんだろう?」

「いえ。私は本当に欲しいアクセサリーのお金が欲しくて。昼のアルバイトだと余り稼げないじゃないですか。だから、手っ取り早く、夏休みの期間だけ稼げるバイト無いかな、って。基本、怠け者ですし」

「そうかなあぁ」

「私、同性に嫌われるんですよねぇー。ファッションなのかなー? 性格もかも。だから、年上男性の人が好きなんです」

「ふうん。本当は格好いいホストとか好きなんじゃないのかい?」

「いや、全然? 私、恋愛とか怖いんですよねー。実は処女なんですよ。……本当ですってば、私、性格悪いから男出来ないんですよねぇー」

「性格悪い子は好きだなあ。君みたいに可愛い子なら」

 その中年男性は高い酒。それもアルコール度数の高い酒を注文してくれた。
 私はまだ実は未成年だと、こっそり言ったら、私の分のジュースを注文してくれた。

「ありがとう。それで、私、この仕事は辞めるんですけど。実はユーチューバーやっているんですよね、怖いお話を語る系の。チャンネルは言えないんですけど…………」

「まあ、そうだよね」

「で。お兄さんの体験した怖いお話、聞かせてくれませんか? ぶっちゃけ、此処のお仕事よりも重要なんで。あ、これ、他の子や黒服とかに内緒ですよ」
 私はにんまりと八重歯を見せてみた。

 眼の前の中年男性は赤ら顔で語り出してくれた。

『遊漁奇譚』とでも、呼ぼうか。

 中年男性は内田と名乗っていた。
 本名かは分からない。
 夜の世界の人間が源氏名で呼ばれるように、客の間でも、本名を名乗らない人間はそれなりに多いと聞く。この情報過多の時代、奥さんや職場をバレたくないからだろう。

“魚の餌にする”というのは、所謂、反社会組織が人間を処理する時の隠語なのだが、内田さんは、その現場を何度か見た事があると言うのだ。女の子には怖いだろうと言い淀んでいたのだが、それでも、私は食い入るように彼の話を聞いていった。

 女の子にこんな残酷な話をするのは、と形だけの口上を口にする。
 本音は、女は猟奇的な話が好きだろう? といった表情だ。よく分かっている。

「俺の友人にな。頬に傷がある奴がいてな。そいつは、大体、汚い仕事をやらされていた。江戸時代の被差別部落みたいな扱いだったなあ。何でも大きな借金があるから、そういう仕事に回されていたんだとよ。仮に沢本って事にしとく。そいつが使っていた偽名の一つだったんだけどなあ」
 内田さんは赤ら顔でコップを見つめていた。

「沢本なんだけどさあ。人間は遺体になると、重い重いって言うのが口癖だったね」
「自分で体重を支えてますからねぇ」
「……君、俺の話、信じてないだろぉ? まあ、いいや話を続けるよ」
「宜しくお願いします」

「そうそう。俺ね、沢本から、一度だけ処理を手伝わされたんだよ。引っ越し作業みたいだったねぇ」

「それマジでヤバい奴じゃないんですか? ほら、死体遺棄の共犯的な」

「そうなっちゃうんだけど。警察に賄賂渡せる奴だったからねぇ。だから、結構、見なかった事にした。警察の方では、行方不明として処理したんじゃないかなあぁ」
 さらり、と、内田さんは警察の闇を口にする。

「人間は重いから、全体重が掛かっちゃって、とても一人では持てない。だから、バラバラにして運ばないといけないんだよねえ」
 そう言いながら内田さんは酒を口に入れる。

「ガキの頃の運動会の競技でさあ。友達を背負って走るみたいなのがあったんだけど、なんかあれ軽かったねえ。女の子を抱っこする時も軽いねえ。多分、人間って無意識のうちに相手に体重を掛けないようにしているんだね。……引っ越し作業なんかの重労働をしていると分かるけど、冷蔵庫って背負えないんだよねぇ。大体、六十キロくらいはあるから。だから、大の男の死体をまるまる背負うって厳しいんだよねえ…………」
 
 私は内田さんに水を出す。内田さんは水を飲む。

「そうだ。現場の話をしようか?」
「現場って、処理ですか?」
「ああ。生きていたよ。これから、埋められる奴がね」
 話を聞いていると、殺人の手伝いみたいだ。
 死体遺棄より、もっとヤバい奴だった。

「俺が見た、これから処理されるって奴なんだけど。使われていない倉庫の中にいた。汚い泥だらけの服でな。何日も風呂に入っていなくて臭いがキツくてな。全身、垢と、それから、痣だらけだった。正座させられて、腕を縛られて、目隠しをしていてな」

「多分、凄い拷問されたんでしょうねえ」
 内田さんは笑った。
 きっと、彼は私が冗談だと受け取って聞いていると思っているのだろう。
 だけれど、彼が嘘を言っていない事は眼が伝えていた。

「…………処理された奴なんだけどな。ずっと目隠しをして縛られていたんだけど。……、そうだ。虫は好きかい? それとも、やっぱり苦手?」

「まあ嫌いですね。なんか動き方が気持ち悪いんですよね」

「…………目隠しの布を取るとな。目の裏から蛆が這い出てきて。ごろっ、と。取れていたんだよな。目玉がね」

「なんで、そうなったんですか?」

「なんで、そうなったんだろうね? 眼にハエの卵でも入れていたのかねぇ? ……やった奴の事は分からない。口の布を取ると、舌は半分に裂かれていて、歯は綺麗に上に生えている奴が全て無くなっていたよ」

 内田さんは、くっくっ、って笑う。

「そしてさ。そいつ、か細い声で、赦してくれ、楽にしてくれ、って、ずっと言い続けているの。それから、次の作業に入る事になった。倉庫の奥に部屋があるんだよ」

「部屋、ですか?」

「ああ。そこに何があったと思う?」

 私は首をひねる。
 適当な名前の拷問道具なんかを出してみた。いかにもネットに載ってそうな道具だねえ、と、彼は笑った。オカルト好きの女の子が好きそうなものばかりだ、と。ファラリスの雄牛だとか鉄の処女とか。ギロチン……。そんなものなんじゃない。
 なんというか、もっと薄気味悪いものなのだと言う。

「それは池だよ」
「池………?」
「ああ。池だ。ちょうど、倉庫は近くの川原に繋がっていて、底に細かい網のようなものがあった。コンクリートの床をくりぬいて作った池だ。沢山の魚やザリガニ、カエル。水棲の虫なんかが泳いでいる。そこで、さっきまで縛られた奴を沈めるんだ」

「沈めるって…………」
「それも、ただ、沈めるだけじゃない。身体の半分だけ、息が出来るように沈めるんだ。最初に、魚が好きそうな液を塗りたくってさ。それで沈める…………」
「それって…………」
「ああ。生きながら、魚の餌にするんだな。首だけ出されたその男に魚が大量に食らい付いてくるんだ。元々、魚はそんな生き物じゃないんだけどねえぇ…………」

 内田さんは酒を一気飲みする。そして、また注文した。

「何時間…………。いや、何日も何日もかけて、男を魚の餌にしていくんだよ。途中、男の身体には虫とかから卵も産み付けられるらしい。池の中はどす黒い色に染まっていく。…………」

「それで、処刑されるんですね」

「くっくっ。日本の裏社会に、そんな凄惨な事がまだ残っていたって驚きだろう?」

 店を出る前にお会計を済ませて、内田さんは私の方へ近付いてくる。

「ね。そういえばさ。俺も連中の金を三千万程、ちょろまかしてしまって、追われているんだ。だから、半月逃げられるかあやしい。最後に聞いてくれてありがとうなあぁ。沢本が躍起になって俺を追っている。俺もきっと、あの倉庫の池の中に沈められるんだろうな…………」
 そう言うと、内田さんは店から出ていった。

 夏休みが終わり、私はキャバクラのバイトを辞めた。
 それなりに収入が入ったので、お気に入りのアクセサリーと秋物の服を買った。

 内田さんがあの後、どうなったのかは、当然だが知らない。夜の仕事も思いの他、大変だったので、店にも戻るつもりも無い。

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