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簡単ではないこと

 年末なのに、冬を忘れそうな暖かな日差しを浴びながら、いつものカウンター席にいる。
少しまぶしくて、暖かい。そこは小さな喫茶店だ。

お店のおばあちゃんが、ゆっくりとした足取りでやってくる。
注文を聞いて、珈琲を置くのも腕力の衰えのせいか、とてもゆっくり。
でも私はそれが嫌いじゃない。

それに彼女はお喋りが好きで、いつも常連さんとお話ししている。
近くから聞こえてくる彼女の元気な声がお店の空気をより暖かくしている気がする。

そんな彼女は言っていた。
「わたし、わからないことがあるとお客さんに訊くんです」

彼女は、お客さんに「××って知ってる?」と訊かれた。
それが自分ではわからなかった時、そのことを別のお客さんに訊く。
これは私の推測だけど、花のことなら花に詳しい(詳しそうな)お客さん、本のことなら、本に詳しいお客さんに「××って知っていますか。わたし訊かれたけれど、わからないんです」と訊くようだ。

彼女は言った。
「わからないことがあると、あのお客さんなら、これ知っているかも、このことなら、あの人が詳しいと思って、その人に会った時に訊くことにしているんです」

彼女の知りたいことはグーグルに検索すれば、すぐに出てくる。
息子さんとかにネットで検索してもらえれば、わかることだ。
でも、彼女はあえてせずに、わざわざその人に訊くのだ。

そして、そうやってお客さんと話している彼女はとても楽しそうだ。
商売として話しているというより、自分の好奇心で動きワクワクしている感じ。
たぶん60歳は超えているだろうおばあさんが、自分より生き生きしている。
その姿が素敵で、陳腐な言葉だけれど輝いて見えた。

今、ググる、Chat-GPT、Wikiなど情報源はたくさんあり、さらに信頼できる機能も増え、信憑性を疑うことも少なくなってきた。
私たちはスマホを開くだけで一瞬だ。
わからないことは、瞬時に出てくる。

それでも、彼女ように人に訊くことで得られることの方がとても有意義なものに思える。
知識以外にもその人のそれに基づく見解とか思い出とか、そんな話も聞けるかもしれない。
それは知識としては不要なことだけど
人がそのことについてどう考え、何があったか、直接聞ける。
わたしは知識以上に価値も意味もあることだと思った。

「簡単ではないこと」を簡単にすることも大事だけれど、
「簡単ではないこと」をすることで私たちは想像していた以上のものを得られるかもしれない。

さて、人見知りの私には友達にすら、そんなに簡単に訊けないし、
ネットで調べればいいのに、と思われてしまいそうで怖い。笑
「簡単ではないこと」が大事な時もあるのだ。


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