見出し画像

妄想お悩み相談室 開設のお知らせ

 新聞のお悩み相談を読んでいる。私はそのお悩み相談を読むのが好きなのだ。日々新聞社に送られる様々なお悩みに回答するのは、実に多様な人間だ。作家、記者、大学教授、スポーツ解説者。皆、それぞれの視点から、相談者のお悩みに回答していて、そのオリジナリティ溢れるユニークな回答もさることながら、読んでいて特に面白いのは投稿者のお悩みの方だったりする。
 お悩みの方も様々なものが来る。ちょっとしたカラダのコンプレックスや仲間内のちょっとした愚痴といったものから、不倫や浮気、親戚同士の不和、いじめやセックス、職場での確執といった、新聞投書という匿名性によってはじめて口に出すことが許されるような笑えない相談も見られる。
 毎日毎日、新聞社には相談の数々が、それはもうよくこんなに悩み事を抱えて地球は回っていられるなと感心してしまうくらいの量が寄せられるのだろう。そして、送られてくるお悩みに、私たちをどうしても惹き付けて止まない人間味とリアリティーを感じてしまうのは私だけであろうか。そして回答者からの言葉にも、お悩みの相談を受けるという優位な立場をもてあまし(人間のできた回答者はエラそうにするのが苦手なのでしょう)、それぞれのお悩みの持つ生々しいリアリティーに困惑しながら、苦し紛れにそれと対峙して流した汗が滲んでいる。
 そうした、相談者、回答者双方の人間臭さが、私たちをつかんで離さないのだ。悩んでいる本人には大変不謹慎で申し訳ないのだが、やっぱりお悩み相談はいつも面白いのだ。たとえそれが、自分の共感を呼ぶものでなかったとしても。
 どんなものでも、好きが高じると実際に自分もやってみたいと思うものだ。そして、私の場合はお悩み相談もその例外ではなかった。私自身も、お悩み相談の回答者をやってみたいと思うようになったのだ。お悩み相談の回答の中に、たまに納得のいかないものがあると、その時に覚えた何とも言えない胸のつっかえが尾を引くというのも理由としてある。だがそれよりも、人の悩みの持つ生々しいリアリティーに対峙してみたいという好奇心に駆られたことの方が大きい。
 だからと言って、自分の周りの人間の中から、悩みを抱えている者を選んで片っ端から肩を叩き、自ら進んで相談に乗ろうとするのは少々偏屈すぎる。さして共感も覚えないお悩みにまで興が乗るのもかなり悪趣味な方だと思うが、流石に周辺の人間のお悩みに望まれてもいないのに首を突っ込むほど分別を失ってはいない。例えば新聞社みたいにお悩みを募集しても、相談へのアドバイスに責任を持つことは私の手に余るだろう。
 そこで私は考えた。悩み事も自分で考えたらいいのではないか。つまり、お悩み相談の内容からその回答まで、全部自分の妄想でやればいいのではないか。所詮でっち上げた相談だ。それに対してどんな回答をしようが相談者から文句を言われることはない。私は(というか誰も)その責任を一切負う必要はない。
 そうだ。どうせ妄想なら人間のお悩み相談だけではつまらない。こんなご時世なら、人間以外の者(モノ?)も多くの悩みを抱えているはずだ。普段は言葉を以て語りかけてこない、そんな存在の声なき声を想像力で巡らせて浮かび上がらせていく。何とも楽しそうではないか。
 トチ狂ったかとお思いの方もいるでしょう。全くその通り。今、私はこのアイデアに夢中なのです。新しく浮かんだアイデアに興奮する人間というのは、往々にして狂気じみているところが多少はあるものです。
 ということで、この度「妄想お悩み相談室」なる連載を始めることにしました。ご笑覧下されば幸いと言うところ。
 最後に、言い忘れていましたが、みなさんくれぐれも自身の本当のお悩みを私にお送りすることがないように。どうなっても知りませんからね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?