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「マリー・ローランサンとモード」展 in Bunkamuraザ・ミュージアム 

火曜日に、東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「マリー・ローランサンとモード」展に行ってきた。
4月9日(日)まで。(3月7日(火)は休館)
その後、4月16日(日)〜6月11日(日)に、京都へ巡回。


まだだいぶ先まで会期はあるけど、友人と一緒に行くにはあまり日にちの選択肢がなく、雪にならないで~との祈りが届き、寒いけど、良いお天気で無事に決行できた。

文化村は今回の展覧会を最後に、改装のために長期休館となる。
隣の東急本店はすでに閉店していてシャッターが下りていた。
次回来る頃にはどんな姿になっているのか。
あ!写真撮っておくんだった。

展覧会は、予約は必要ないだろう、ということで、日時指定なしの前売り券を買っておいたが、正解。会期後半になればどうなるかわからないけど、今のところ全く混んでいない。

前の日にパンフやサイトを改めてチェックして、「マリー・ローランサン」展じゃなくて、「マリー・ローランサンとモード」展だったことに気づく。
マリー・ローランサンの作品は結構何度も見に行っているが、今回の展覧会では、ローランサンの作品の移り変わりが、自然にわかってくるような構成だった。
また、マリー・ローランサンと同年生まれの、ココ・シャネルにもスポットを当てている切り口もなかなか新鮮だ。

ふたつの世界大戦に挟まれた1920年代のパリ。それは様々な才能がジャンルを超えて交錯し、類まれな果実を生み出した、奇跡のような空間でした。
とりわけ女性たちの活躍には、目を見張るものがありましたが、ともに1883年に生まれたマリー・ローランサンとココ・シャネルの二人は、大戦後の自由な時代を生きる女性たちの代表ともいえる存在でした。
女性的な美をひたすら追求したローランサンと、男性服の素材やスポーツウェアを女性服に取り入れたシャネル。
二人の活躍を軸に、ポール・ポワレ、ジャン・コクトー、マン・レイ、マドレーヌ・ヴィオネなど、時代を彩った人々との関係にも触れながら、モダンとクラシックが絶妙に融合するパリの芸術界を俯瞰します。
生誕140年を記念する本展では、オランジュリー美術館やマリー・ローランサン美術館など国内外のコレクションから、約90点のラインナップでご紹介します。

―パンフより

衣装やデッサンなども含めて90点なので、さほど展示数が多いというわけではなく、消化不良にならずに済み、十分楽しめた気がする。

全体は4つのブロックに分かれている。

第1章         狂騒の時代レザネ・フォルのパリ

1920年代パリは、戦争の惨禍を忘れるかのように、生きる喜びを謳歌した狂乱の時代(レザネ・フォル)。
社交界に属する優美な女性たちの肖像画で、瞬く間に人気画家に駆け上がったローランサン。一方、シャネルの服をまといマン・レイに撮影されることはひとつのステータス・シンボルとなっていく。

<マドモアゼル・シャネルの肖像>

この作品は以前も見たことがあるが、シャネルは似てない!と言って受け取りを拒否、ローランサンも書き直しを拒んだとか。
写真と比べると、確かに似てない(笑)


<黒いマンテラをかぶったグールゴー男爵夫人の肖像>

これは気に入ったので、絵葉書を買った。


第2章 越境するアート

1920年代のパリを語るうえで欠かせないキーワード「越境」。そこにはふたつの意味が込められている。
ひとつには国境を越えること。スペインからピカソ、アメリカからはマン・レイなど、世界中から多くの若者がパリに集まり、その才能を開花。
ふたつめは、ジャンルを越えること。美術、音楽、文学、そしてファッションなど、別々の発展を遂げてきた表現が、新たな総合的芸術を生み出すために、垣根を越えて手を取り合った。

代表的なもののひとつがセルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ「バレエ・リュス」。
ローランサンとシャネルも、その活動に参加することで表現の幅を広げ、新たな人脈を形成する糸口をつかむ。
ブルジョワ芸術であった舞台の世界に、ピカソやブラックなど前衛芸術家の才能を引き寄せたこともバレエ・リュスの成果のひとつ。その陰にはジャン・コクトーなど、前衛と社交界をつなぐ重要な存在が。

このブロックには、ローランサンが手掛けた「牝鹿」と、シャネルが手掛けた「青列車」の資料が展示されている。
バレエの映像なども楽しめ、得した気分。
2人がバレエにかかわったことは知らなかったので、新しい発見だった。

絵画や彫刻などの純粋芸術に比べ、工芸や染色、ファッションなどの装飾美術は、一段低い扱いを受けていた。が、その状況を打破すべく1925年にパリで開催されたのが、現代産業装飾芸術国際博覧会、いわゆる「アール・デコ博」。
パヴィリオン「フランス大使館」では、アール・デコを代表する装飾家アンドレ・グルーが手掛けた「大使夫人の部屋」の室内装飾に調和するローランサンの作品が提供され、大きな話題に。

アンドレ・グルーの妻、ニコルは、ポール・ポワレの妹。
家族ぐるみの親しい付き合いは、ローランサンが室内装飾の世界へと関心を深める大きな後押しに。

第3章 モダンガールの変遷

1920年代、新しい女性たち、“モダンガール”が登場。
身体の解放や服飾の簡素化は、すでに世紀末やアール・ヌーヴォーの時代から進行していた。
特に1910年代にはポール・ポワレが、コルセットから解放されたエキゾチックなスタイルを提案し、賛否両論を巻き起こす。
1920年代に入ると、ポワレの優雅なドレスよりもより活動的、実用的な服装が打ち出され、中でもココ・シャネルのリトル・ブラック・ドレスは時代を代表するスタイルに。

1910-1920年代 帽子ファッションの流行
ココ・シャネルは帽子デザイナーとしてそのキャリアをスタート。
過剰な装飾を取り払ったデザインで評判を呼び、裕福な客層がシャネルの帽子店を訪れるようになる。
ローランサンの絵画に描かれているように、帽子は重要なファッションアイテムだった。


<羽根飾りの帽子の女、あるいはティリア、あるいはタニア>


1930年代 フェミニンへの回帰
1930年になると、復古調のロングドレスや装飾が復活。シンプルなファッションよりも女性らしさが求められ、スカート丈は長く、女性的な曲線が好まれ、花柄などのモチーフも多く見られるようになる。
ファッションの動向に呼応するように、1920年代末頃からローランサンの作品には、鮮やかな色彩が見られ、真珠や花のモチーフが多用されるように。
30年代にはそれまであまり用いられなかった黄色や赤に挑戦し、色彩の幅を一層広げていった。


<シャリ―・デルマス夫人>

今回一番のお気に入り。
もちろん絵葉書を買った。

エピローグ ローランサンの色彩パレット


<ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン>

今回、写真が撮れるのはこの作品だけだった。


鑑賞後は、寒い中、ちょっと散策。


ミヤシタ・パーク


リバーサイド

もっとおしゃれな雰囲気だと思ったのだけど(笑)


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