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#4 【読書感想文】 恋愛の日本史を読んで...

はじめに

陋習(ろうしゅう)と申します。拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。可能な限り、心のままに、素直に記すことを目標にしますが、人間ですので見栄を張ったり、誇張したりするかもしれません。それも良しなのかもしれません。一般常識を鑑みるとともにご覧の皆様に配慮しながらも自身の思いを述べようと思います。

恋愛の日本史とは

東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんが書かれ、宝島社が2023年7月10日に発売をした書籍です。

宝島社のHPでは以下のような説明がなされています。

しばしば「日本は性のタブーがない」といわれるが、本当に日本は性におおらかな国なのか。古代に集中する女性天皇、平安時代の『源氏物語』に見る女性の地位の高さをはじめ、中世の遊女と僧侶の男色、天下人3人や戦国武将の男色といった文化。また、「夜這い」「盆踊りでの乱交」など戦前まで行われていた民俗文化の由来をひもときながら、日本人の性愛、恋愛、男女にまつわる歴史を、人気の東大教授が大胆に解釈する。
「夜這い」「盆踊りでの乱交」など戦前まで行われていた民俗文化の由来とは? しばしばいわれる「性のタブーのない日本」ですが、本当に日本は性に大らかな国と言えるのか。2024年の大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部と『源氏物語』にも言及しつつ、性愛、恋愛、男女の歴史をひもといていきます。

宝島社HP

恋愛の日本史を読んだ感想

この本を読んでいて常に頭の中にあったのは、「近年の日本は昔の価値観を今風にしているだけなのかもしれない」ということです。昔の価値観、常識をそのまま受け継いでいるのではなく、これまでの歴史を踏まえ、変えつつも本質的な部分は元に戻ってきているのかもしれないということです。

家族の在り方について
本の中には、家族の在り方と男色、男女の関わりについての記載があります。まず、家族の在り方についてはエマニュエル・トッドの家族類型論というものが土台となり、説明がなされます。その中では、最も古い家族の形態は核家族(子供は結婚後、独立した世帯となり、両親の死後、遺産はすべてこの間で平等に分配される形態)であると示されています。インターネットで少し検索をすると、2000年から2010年代初期までは核家族化が進んでいるというような記事や政府文章を散見することが多かったですが、近年では核家族化ではなく、単独世帯が増えている傾向にあるという指摘が多く見られました。

本を読み進めている間は、日本は核家族化が進んでいて原始的な家族の形態に戻っているのかと思っていましたが、現状を踏まえるとそうではなく、個々人が己のみで生活をするというのが主流らしく、戻る現象は起こっていないのかもしれないと書き進めている中で感じてきました。主張があたふたしてしまい、申し訳ありません。

男色について
そして、男色に関してですが、本文では日本は世界的に見ても男色に対しては寛容であり、その背景として、血縁よりも家を重要視する日本社会特有の価値観があったことが影響していると指摘がなされています。キリスト教やイスラム教などの一神教の性に対する規範が強い国では男色は強くタブー視されているというのも影響を与えているのでしょう。

本を読むまでは、日本における一般的(多数と言っても良いのかもしれない)な性的指向は異性、つまり男性と女性の関係だと思っていました。しかし、過去の日本においてはそうでもなかった。平安時代にも戦国時代にも江戸時代にもそれは確かに存在したということになります。存在しただけではなく、それがある種、限られた人にしかできない特別なものだったのかもしれません。

近年では多様な性的指向または性自認を認め、全ての人々の人権が尊重される社会を作ろうとする動きがより強くなっていると感じています。そのため、以前の日本のような形に戻っているのかなと感じてしまいます。

本件とは話が外れてしまいますが、私個人としても個々人が元々持っている指向や考えは、尊重されるべきであると思っています。性的指向に限ることなく、一体どのような状態になれば全ての人が尊重される状態になるのか、その姿がイメージしにくいというのも事実です。

また、情報技術が進歩し、常に世界が繋がっている現代において、今まで以上に価値観や思考が更新されています。また、全ての情報の真偽も掴みにくくなっています。そのような中で各々の価値観を認めるとは何か、画一的な価値観を築くことができるのかというのは、私個人の中で大きな疑問となっています。


男女の関わり
最後に、平安時代の男女の関わり、関係作りについても原点に戻っている、変わらないものがあるなと思った箇所がありました。それは、夜這いに関する記載で、平安時代において男性は美しいと噂になっている女性に対して和歌を送り、女性の心を掴むことができれば返事が返ってくる。そして、返事において「通ってきて大丈夫」と書かれていると初めて会うことができるというコミュニケーションが基本であったと説明がなされています。本文において現代のマッチングアプリのようだとの指摘もされていますが、まさにそうだなーと読みながら感心していました。平安時代において(それ以降も)名前を明かすということ自体なかったわけで、現代の関係性作りにおいても似ている部分があるなと思いました。完全に戻っているわけではないけど、今風の形で原型に戻っている、本質的には変わらないのだなと感じました。

終わりに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
本郷先生の書籍を初めて読み、非常に面白かったというのが率直な感想です。最近は、磯田道史先生の書籍も読み、日本史にハマりそうな勢いです。
改めて、過去何があったのか、歴史を学ぶこと、それを今に照らし合わせてみることの重要性を感じています。

最後に、名前の陋習ですが、意味としては悪い習慣のことを指します。
なぜ、そんな名前にしたのかって?それは私の陋習が続けないことだからです。すぐ飽きてしまう私への戒めなんですね。ある意味、日記として書き続けられるように願います。

また、次のnoteでお会いしましょう。

陋習

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