生きやすい社会って簡単じゃない

誰もが生きやすいって難しい

こんばんは。モエロオトメです。
新年度になり仕事が動き始め、忙しくなっていました。
ですが昨日感じたこと、自分の中で整理するためにもここで発信させてください。

昨日ある都立の病院にいました。
朝早くから患者さんが来ており、ベンチもそこそこに埋まっています。

あるベンチにフェイスシールドをした親子が座っていました。
親子と言っても、子供は20歳に近く大人っぽく見えます。
指をしきりに動かす姿から「普通じゃないのかな」そう思いました。

お母さんは男の子に向かって「やめなさい」と伝えています。
段々声が大きくなり「座ってて」「なんでいつもそうなの」


男の子が唾を吐きました。
お母さんは「何やってるの」「なんでこんなことするの」
周りの人には「すみません」と謝っています。
「障害があって」「すみません」何度も何度も

清掃員さんが清掃した直後も唾を吐く子供と、それに対して困惑する母親。

まわりのおじいさん、おばあさん、子連れ、若者、私も。誰も何も言いません。
そしてそれを空気の様に感じようとする。

私はこの空気に耐えられませんでした。
どうやったら、この空気は解消されるのか。
多様性が認められつつあるからこそそのときのシーンに悔いを感じます。
お母さんが不特定多数の人に謝る姿が今もまぶたに浮かんできます。
誰も悪くない。
障害によってコミュニケーションが取りにくい男の子なりの意思表示です。

病院が嫌なのか、静かな空気が耐えられないのか。
そんな環境の病院に来て偉いと思います。
そして私は謝るお母さんに「大丈夫ですよ」「謝らないで」と声を掛けたかった。

本当は私以外の人の中にもいたはずです。

この弱い心が、動きだせなかった自分が悔しくて。
どんな人でも過ごしやすい生活しやすい環境を作りたいし、その環境の中で理解のある人が率先して声を挙げられる社会を作りたい。

この反省を生かしたい。そんなことを思いながら帰りの電車で爆睡しました。

弱い自分を変えたいです。





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