だらだらnoteを書いている途中に、ちょっとだけなにかが見えたかもしれない。ような気がする。

こんばんは、もげらです。

なんだかとても無気力な日。
起きたときに「あ、なんか今日だめかも」と感じた。だからまず着替えることにした。(夕方までパジャマ(スウェット)で過ごすこともあるマン)
とりあえず着替えてみたら、なんとなく動けるかも、という気持ち。

しかしまあ、着替えてみたものの、再びぐったり。ぐったり度にびっくりですわ。
まあ、今日はそんな日かぁ、と思うもののやっぱり『なにかしないとだめだ』みたいな焦燥感がじわじわと襲ってくる。
なにかしないとだめ、なんて誰が決めた—— なんて抗ってみるけれど。

「あー、もう今日は無理、諦めよう」と「なにかしないとだめ」の板挟み。


本を読もうかと手に取ってみたり。
スケッチブックを開いてみたり。
筋トレでもしようかと立ち上がってみたり。

でもそこから手は動かない。身体は動かない。
持つだけ、開くだけ、立ち上がっただけ。


今、noteを書いているのはすごく不思議だ。
noteを開いても書ける気がしない、ひとこと呟けたらいいほうだ、と思っていたのに。
なんならいつもよりも打ち込むスピードが早い気さえする。

『出してくれ〜』っていうなにかが、頭の中にはあったのかもしれない。
出したものに意味があるのかはわからないけれど。

それとも、こうやってnoteにだらだらと書くことで、今日一日を無駄にした感を なんとか必死にプラマイゼロにしようとしているのかもしれない。
そんなことで、一日が取り戻せるわけないのよ。


それとも、アレかな、
noteを開いたらなにかしらは書く、っていう条件反射的な? パブロフの犬かて。(説明する気力はないので、わからないかたはぐーぐる先生に教えてもらってください)

条件反射かどうかはわからないけれど。
noteをとりあえず開いてみる というのは、どうやら習慣にはなっているらしい。と、いつぞやに気付いた。

ん? もしかして?
本を読んだり、絵を描いたり、
それらは習慣だけど習慣じゃないからできないのかもしれない。やってはいるけれど、毎日はやっていないこと、というか。

労力ゼロでできることをやればよかったのかもしれない。



(noteを書くことが労力ゼロ とは絶対に言えないけれど)(習慣にはなっていようがなんだろうが労力1000%使う)(いや、なーんにも考えずに書いているときもありましたわ)


やり始めるときの労力がゼロでできること、っていうのが正しい?

……労力ゼロでできることってなんだろうな??
Twitterを無意味に眺める、くらいしか思いつかないので、もげらはただのクズの可能性。

…………寝る????
# やっぱりただのクズ


なにか掴めたような気がしたけれど、気のせいだった……??
うーん、もうちょっと、もうちょっと、うーん、


今日はここまで。


書きながら探った感があるので、読みづらかったかもしれません、ごめんね。


読んでいただきありがとうございます。

2023.05.10 もげら

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