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和歌をヨム①:和歌へのアプローチ

これは高校生の大学受験のための知識整理を目的としたページです。
★:古文漢文の基本知識に関する掲載一覧は古典読解のための知識確認:目次に戻ってご確認ください。

このページの内容をこちらの動画で説明しています。拙いものですが、よろしければご覧ください。視聴される場合には怨霊と程度を調整してください。

■ 公式41:和歌をよむ基本

A:基本知識

和歌はわからないと言えばくだらぬ駄洒落だが、そう実感している人は多いと思う。ケースバイケースと言ってしまえばそれまでだが、ここでは共通する基本があるとすればコレではないかと思われるものを挙げておきたい。修辞法は大事だが、和歌の学習=修辞法の学習と考えられやすい。必ずしもそうではないという立場から、次の①~⑥を確認したい。

和歌自体の情報:➀区切れを探す・②直訳する
和歌外部の情報:③主体の特定・④地の文との関連・⑤贈答歌との関連
以上により歌の中心主題を特定する
その中心主題をもって歌をみたときそれに関係のない(薄い)語句や部分の僧に入に⑥修辞法の存在を考える。

下手な字ながら、図式すればこんなイメージになる。

それぞれの段階を見ていきたい。

①:区切れを探す

まずの五七五七七の区切れに線を入れる。ばかばかしいと思うかも知れないが、意味の句切れ、特に平仮名で書かれている部分の区切りを間違わないためにも必要だと思う。
ただここで言う「区切れ」はその区切れではない。その句切れを基準に、文法上の区切れを探す。ごく簡単に言えば、歌の中に読点(。)が付く部分を探すということになる。無論、ない場合も多い。あれば、それがいわゆる和歌の「区切れ」であり、歌の中の意味の切れ目を表しているので、解釈上、歌の構造を知る手がかりになる。
注目するところは、終始する箇所を探すので、歌の中の次のような箇所を探せばよい。
・終止形・命令形・終助詞・係り結び
他に名詞で切れるケースもあり、二つ以上の区切れを持つケースもある。

■ 演習・次の歌の区切れを確認!
Ⅰ:月見ればちぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
Ⅱ:玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

Ⅰの歌では係り結びが用いられており、「かなしけれ」の語の下に区切られる三区切れの歌であることがわかる。区切れを境に倒置の形になっていて、歌意は「私一人に来た秋ではないけれど、月を見ると様々に悲しく心が動くことだ」となる。
Ⅱは少し難しいが「絶えね」の「ね」が助動詞「ぬ」の命令形であり、そこで切れる二句切れの歌である。命令形の放任法と呼ばれ「どうとどもなれ」のようなニュアンス。この歌も区切れの部分を境に意味は倒置され「このまま永らえると、あなたを思う恋心を堪え忍ぶ心力が弱くなってしまうと困るから、命よ、絶えるなら絶えてしまえ」ということになる。

これらの和歌のように和歌中の区切りが入り、そこを境に倒置が用いられているケースも多い。倒置に関してはこれらの歌のように初句に返るのでは、必ずしもない。例えば「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」であれば、「さしも知らじな」の終助詞で切れるが、歌の頭にではなく「さしも知らじな」返り、「これほど燃えているわたしの思いを、あなたは知らないでしょうね」くらいの意味になる。
また、倒置だけでなく、景と情や、自然と人事対比などの歌の構造が見えてくるケースがある。


②:直訳する

まったく当然の話に過ぎないが、語句、文法にしたがって直訳を試みる。いたづらな予測によらないためにも、直訳することは大事な作業である。
和歌に特有な表現(これらの中には平安以降和歌の中でしか用いられなくなった表現も多い)として意識したいものに例えば、
体言+「を」+形容詞語幹+「み」の形
・「なくに」という詠嘆的打消
・詠嘆、逆接の詠嘆を表す「ものを
・詠嘆を表す「つつ止め
・反語を表す「めや・めやも
などがあるが、基本的には散文を読み解く古典文法の力が必要。特に和歌は屈折した思いが歌われるので、例えば、疑問表現・原因推量・詠嘆・反実仮想・「こそ‐已然形」の逆接用法・「やは・かは」の反語表現・危惧の念を表す「もぞ・もこそ」、願望の終助詞群など、的確に押さえておきたい。

■ 演習・次の歌の解釈を確認!
小倉山みねのもみぢ葉心あらばいまひとたびの行幸待たなむ

文法的には「ば:仮定条件」「なむ:終助詞:他に対する願望」、ことばとしては「行幸:天皇の外出」がわかるかということになる。歌意は「小倉山の峰の紅葉葉よ。もしお前に心があるなら、もう一度の天皇のおでましを(散らずに)待っていてほしい」


内容的アプローチ

③:主体を特定する

その歌を詠んだのは誰かが分からなければ、歌の内容を正確につかむことはできない。歌論などにおいても勿論そうだが、特に物語では文脈から誰の詠んだ歌かを特定することが困難なケースも多く、和歌の読解の前に地の文の読解力・・主語の省略に対処できるが必要となる。

④:前後の散文との関連で考える

物語、日記等の和歌は散文と遊離しない。地の文の場面状況で語られた心情が和歌で歌われる。地の文から和歌で詠まれるはずの中心主題(心情)を類推することが、和歌の読解にとって最も大切なことである。
中には、直前に「かなしくて」など心情がそのまま書かれているケースもある。⑤における「若紫」の贈答で確認してほしい。

⑤:贈答歌では相互の関連を考える

贈答歌の場合は必ず相互の歌と歌がリンクするので、その双方で内容やことば、比喩が引き継がれることを念頭に置いて考える。

上の③④➄を合わせて、次の例で確認してみる。有名な源氏物語の「若紫」の贈答歌である。長文を引用し難いので歌の部分だけ引用する。

■ 演習:誰のどういう思いの歌か考えよう!
Ⅳ:生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき
またゐたる大人、「げに」とうち泣きて、
Ⅴ:はつ草の生ひゆく末も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ

たぶん内容は知っていると思うが、地の文(場面)で語られている状況は、自分の死期の近さを悟る尼が少女の幼さを心配する内容からの連続で、の歌の主体は尼。そうした気持ちがそのまま歌に詠まれているという類推が成り立つ。「おくらす」は「あとに残して先立つ」という意味。したがって、歌の中にある「露」は尼の命(のはかなさ)の比喩であり、そう考えれば当然「はつ草」は若紫の比喩であることが分かる。
の歌はそれに答える歌である。人物に句点( 、)がついていれば主語、「げに」のあと「うち泣きて」とあり、接続助詞「て」ではその前後の主語が連続するので、歌の主体は「またゐたる大人=そこにいた女房」。
尼の歌を受けるので「はつ草・露」の比喩はそのまま引き継がれる。内容的にも「この子の将来が心配で死んでも死にきれない」と言っている尼に答えているので、おおよそ「どうか死なないでください」という内容が詠まれていることは容易に類推できる。
和歌単体ではなく、そういった連想で和歌を読むということである。

⑥:修辞法

中心主題をイメージして和歌を見たとき、例えばそれは「恋する悲しみ」でも「早春の趣ある景」程度でもいいが、歌の中にその中心主題と無関係な言葉や内容があれば、その違和感が修辞の存在を示しているという「勘」を養うことが大事である。
個々の修辞については別に説明するが、とりあえず解釈に大きな影響を与える修辞として、掛詞と序詞は大事にしたい。原則的に、掛詞の一方は中心主題に関連・一方は中心主題に無縁であり、序詞は中心主題で用いることばを導き出すために用いられている。そういう理解が、初めて見る和歌に対しては必要である。

■ 演習:修辞法を押えつつ解釈してみよう!
Ⅵ:風吹けば沖つ白波たつた山夜半にやきみがひとり越ゆらむ

この歌は伊勢物語「筒井筒」で幼馴染の恋をかなえた男女が、女の親の死によって経済的困窮に陥り、男が新しい女の下に通うようになる。しかし、送り出す女があまりに嫉妬を見せないので、男は女の浮気を疑い、新しい女のものに出かけたふりをして女の様子をうかがう。その時、女が詠んだものである。
場面状況からは女の心理は特定できないが、歌の「たつた山夜半にやきみがひとり越ゆらむ」には、危険な龍田山を夜に越えていく男への気遣いが読める。これが中心主題。その前にある「風吹けば沖つ白波」はその中心主題とはまったく無縁であるので、ここに修辞法の存在が疑われるそういう考え方である。
「風吹けば沖つ白波」は中心主題の「たつ」を導き出すために用いられた序詞であり、「たつ」は白波が立つの「たつ」と、龍田山の「たつ」の掛詞であると判断できる。


B:基本問題

:次の和歌の句切れを探しなさい。
:天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ
:ながへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞいまは恋しき
:しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
:契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波超さじとは
:人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は

:次の和歌を解釈しなさい。
:八重むぐら茂れる宿さびしきこそ見え秋は来にけり
:(みちのくのしのぶもじずり)誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
:むらさきのにほへる妹を憎くあら人妻ゆゑに我恋めやも
:君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ

:次の和歌に用いられている修辞法を指摘しなさい。
:あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む

解答
ア~オについては■が区切れを示している
1ア:天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。(命令形)■乙女たちの美しい舞姿を、もうしばらく地上に留めておきたいのだ。
:この先もっと長く生きていれば、辛いと思っている今この時もまた懐かしく思い出されてくるのだろうか。(係り結び)■辛く苦しいと思っていた昔の日々も、今となっては恋しく思い出されるのだから
:心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまっていたようだ。(係り結び)■私の恋は「恋の想いごとでもしているのですか」と人に尋ねられるほどになって
:あなたと約束しました(のに)ねえ。(終助詞)■お互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、「末の松山を波が越えることはあるまい」=「心変わりすることはあるまい」と
:ある時は人をいとしく思う。(終止形)■またある時はうらめしくも思われる。(終止形)■どうにもならないと世の中のことを思うために、あれこれと物思いにふける私にとっては

:八重葎が生い茂る寂れたこの家に、訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってきただなあ
:陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、あなた以外の誰のために乱れ始めた私の心ではないのに(なたのせいですよ)
:紫草のように美しく輝いているあなたが憎いのなら、人妻なのに私が恋しく思うだろうか、いや思わないだろう
:あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってくることだ

:「あしひきの」は「山」を導く序詞・「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の」は「長々し」を導く序詞・「長々し」には「尾が長い」と「長い夜」がかけられている。→山鳥の尾の、長く垂れ下がった尾のように長い夜を(想い人にも逢えないで)独りさびしく寝ることだろうか。

■ C:入試問題

ここまでのアプローチを念頭に置いて演習してみたい。
こんな問題も出題されているという例として採り上げるが、修辞法にばかりに目を向けるのも和歌の本質ではないという思いもあるにはある。修辞法を中心に問う大学もあり、文脈で和歌一首を訳させる大学もある。二次試験の傾向を見て、必要となれば、相当な対策が必要だろう。

1:次の歌を口語訳しなさい。(2018:静岡)

人知れぬ涙の川の瀬を早み崩れにけりな人目つつみは 

実際の問題は本文があり、他の設問もあるが、本文からこの歌の内容に関して得られる情報は「恋の歌」であるということだけ。その条件で「口語訳しなさい」という問題である。
せっかくなので、公式41:和歌を読む基本の考え方を考えてみたい。①区切れ・②直訳・③主体・④本文との関連・➄贈答・⑥修辞という流れであるが、この歌の場合③・⑤は考える必要はなく、④は歌の中心主題が「恋」と確認されている。したがって、①・②・⑥を考える。

区切れは「けりな」の部分に「な」という(1)があるので、第四句切れの歌である。内容的にはそこで切れ、第五句の「人目つつみは」が「崩れにけりな」に戻る(2)法が確認できる。
中心主題は「恋」なので、その関係から考えていくと、「つつみ」は「憚る」であるから、「人に知られないように(3)けれども、それが崩れてしまった」と直訳できる。「心に秘めておいたのに人に(4)しまった」という内容である。
さらに「人知れぬ涙の川の瀬を早み」に目をやると、「瀬を早み」は(5)という意味だから、「川」に違和感は残るが「涙が早く(激しく)流れたので」が、自分の恋が露見した理由を表していると推測できる。
これでOKと思うかもしれないが、「川の瀬を早み」には中心主題とズレた違和感が残る。「川の流れが速いので」・・何だろう? と、もう一度下の句を見ると「人目つつみ」という言い方に違和感がある。「つつみ」と平仮名で書かれており、「川の流れが速いので(6)が崩れた」と連想が働くかどうかが勝負。「つつみ」が(7)になっていて、「川・瀬・崩れ」という(8)がちりばめられている歌なのである。(7)は訳さなければいけないので、「9」という訳出になる。

解答・・1=詠嘆の終助詞・2=倒置・3=隠してきた・4=知られて・5=瀬の流れが速いので・6=堤・7=掛詞・8=縁語・9=川の流れが速いので堤が崩れるように、涙があまりに流れるので、私の恋は人に知られてしまったことだ

2:次の歌の技巧を具体的に説明し現代語訳しなさい。(2015筑波)

和泉の国にいたりたまふて、日根(ひね)といふ所におはします夜あり。いと心ぼそうかすかにておはします事を思ひつついとかなしかりけり。
さて、「日根といふ事を歌によめ」とおほせ事ありければ、この良利大徳、
ふるさとのたびねのゆめに見えつるはうらみやすらむまたととはねば
とありけるに、みな人泣きてえよまずなりにけり。
その名をなん寛蓮大徳といひてのちまでさぶらひける。

解答・・「日根といふ事を歌によめ」という記述があるので、これをヒントに「ひね」ということばを歌の中に探すと「たびね」がある。これは物名という技法である。こんなふうに本文にヒントがあるケースが多いことを意識したい。
ほかに「うらみやすらむ」が係り結びで終止しているので、四区切れ。「またととはねば」と倒置の関係になっている。
すると、この歌は直訳していくと「ふるさとが旅の夢に見えたのはまたととはねば恨んでいるからだろうか」となる。ただ、その理由として書かれている「またととはねば」を明確に答えることは難しい。「旅に出てから再び(二度と)訪れていないので」か。
ただ、古人の考え方として夢と現実が分離したものでないことは押さえておきたい。伊勢物語の東下りに「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」では、「あなたが思ってくれないから現実にはもちろん、夢でもあなたに逢えないのだ」と業平は歌う。

3:次の歌に用いられている修辞を説明しなさい。(2017筑波)

待賢門院女房、加賀といふ歌詠みありけり。
かねてより思ひしものを伏し柴のこるばかりなるなげきせんとは
といふ歌を、年ごろ詠みて持ちたりけるを、「同じくは、さるべき人にいひむつれて、忘られたらんに、詠みたらば、集などに入らん。おもても優なるべし」と思ひて、いかがしたりけむ、花園の大臣に申しそめてけり。思ひのごとくにやありけん、この歌を参らせたりければ、大臣もいみじくあはれに思しけり。

解答・・この和歌は、区切れとしては「ものを」という詠嘆の助詞があり、そこで切れる二句切れの歌。「伏し柴のこるばかりなる歎きせんとは」から「かねてより思ひしものを」に返る倒置である。
前後の事情から中心主題を特定すると、建礼門院女房が、数年前に詠み公表しないでおいたのだが「同じ事なら相当立派な人と恋仲になり、忘れ去られた時にこの歌を詠んだならば、勅撰集などに入った場合にも優雅であろう」と考えた(そして実際に、花園左大臣と親しくなった後、思った通りになったのか(忘れ去られた))と書かれてあるので、恋に破れた女の嘆きが歌われていると考える。
とりあえず解答を示すと、「伏し柴の」は「こる」を導く枕詞。「こる」は「樵る・懲る」の掛詞。「なげき」は「嘆き・投げ木」の掛詞。「伏し柴・樵る・投げ木」は縁語となる。
「前々から予想していた事です。柴を樵って投げ木する様に、懲り懲りする歎きをしようとは」くらいの意味になる。
しかし、これは難しい。「なげきせんとは」「かねてより思ひしものを」は明らかに中心主題を表す心情であって、「伏し柴のこるばかりなる」辺りへの違和感が修辞法の存在を感じさせるが、「懲る」が「こりごりするほどの嘆き」と「伏し柴を刈る(切る)」の掛詞であることは難しい。たしかにひらがなで書かれているが、「嘆き・投げ木」の掛詞に気づけるだろうか?

4:(2018筑波)
ある公卿、石見国の国司にて石見潟にて遊び給ひけるに、国の習ひにて、かづきする海女ども、えもいはず歌をうたひけるを、人々「かかる事なむ侍り。召してうたはせて聞こしめせかし」と申しければ、「召せ」とて召されけるに、皆逃げけるを、中間、侍ども、走り散りて少々(イ)とらえて参りぬ。御酒なむど給はりて歌仕りける時、逃げ散りたりつる海女ども、また、かたはらに引きのけて、これを群がりみて) (ロ)聞きける中に、十七、八ばかりなる女の、みめ事がら、下臈ともなく、よろしく見えけるが、小侍を一人(ハ)招き寄せて、「あの御前に候ふ、歌仕る女房どもがもとへ、かく申すよし、伝へてたび候へ」とて、
A:もろともにあさりしものを浜千鳥いかで雲井に立ちのぼるらむ
この事を披露しけるを上に聞き給ひて感のあまりに紫の衣をかさね(二)たびければ
B:紫の雲の上着も何かせむかづきのみする海女の身なれば
と申して(ホ)返し参らせければ、いとど色まさりてあはれに思しめして、やがて召してけり。「都へ具して上らむ」と仰せられけるを、父母に離れん事を嘆き申しければ、父母ともに具して上りて、御台所となりて、君達あまた出できなむどして、めでたかりけり。(へ)人の心は優しかるべきものなり。 (出典:沙石集)

問一:傍線部分イ・ロ・ハ・ニ は、それぞれ誰の動作か、文中の語句を抜き出して答えよ。
問二:Aの歌の「浜千鳥」「雲井」の語は、それぞれ何をたとえたものか、答えよ。
問三:ホの「返し参らせければ」とあるが、なぜそのようなことをしたのか、Bの歌を踏まえて説明せよ。
問四:への「人の心は優しかるべきものなり」は、誰の、どのような行為を受けてけて述べたものか、文章全体を踏まえて説明せよ。

解答
問一:
イ=中間、侍ども・ロ=逃げ散りたりつる海女ども・ハ=十七、八ばかりなる女・ニ=ある公卿 
問二:浜千鳥=一緒に漁をしていた他の海女たち・雲居=公卿のお前
問三:高貴な方の上等な衣を下賜されても、海にばかり潜っている賤しい海女である自分には何の訳にも立たないから
問四:十七、八ほどの海女の、公卿を感動させるほどの和歌を当意即妙に詠み、わが身にふさわしくないからと言って下賜された衣を返した行為
口語訳
石見国の国司になったある公卿が、石見潟で遊覧なさったところ、その国の風俗で、潜り漁をする海女たちがえもいえぬ歌を歌っていたのを、(おつきの)人々が(国司に)、「このようなことがございます。お召しになって歌わせて、お聞きにになってください」と申し上げたので、(国司は)「それなら召せ」とお召しになったが、(海女たちは)みな逃げたのだが、中間どもが走りまわって数人捕まえて来た。(国司は海女たちに) 酒などくださって、(海女たちが)歌をお歌い申し上げていた時、逃げ散っていた海女たちが、また遠巻きにして、ここかしこに群がっていて(歌を)聞いていた中に、十七八才ばかりの海女で、容貌や言葉遣いが下賤の者とも思えず、品があると見えたのが、小侍を一人招き寄せて、「あの御前におりまして歌を歌う女たちのところへ、(私が)こう申しているとお伝えくださいませ」と言って、
A:いっしょに漁をしていたのに 浜千鳥(あなたたち)はどうして空(国司のおそば)に立ち昇ったのかしら
(小侍が)このこと披露したのを、国司はお聞きになって、感心したあまりに、紫の衣を(彼女に)一重ねくださったのを、
B:雲の上のお方のお召し物をいただいても何になりましょうか 潜り漁ばかりしている海女の身ですから
と申して、お返し申し上げたので、(国司はその無欲さに)いよいよ愛情がつのって、かわいいとお思いになって、【(そのまま)】(妻として)お召しになった。そして、「都へ連れて上ろう」とおっしゃったが、(彼女は)父母と離れることを嘆き申しあげたので、父母もいっしょに連れて都にお上りになって、(彼女は)御台所になって、お子様たちも大勢生んだりして栄えたのであった。人の心は優美であるべきだよ。
小解説
大事なのは、主体の特定である。
話の内容は「海女たちの歌を面白く感じた公卿が海女を召したが、逃げた海女と捕まった海女がいた。召された海女たち酒を振る舞われたりしているのを見て、逃げた海女の中の「十七、八ばかりなる女の、みめ事がら、下臈ともなく、よろしく見えけるが、小侍を一人招き寄せて、「あの御前に候ふ、歌仕る女房どもがもとへ、かく申すよし、伝へてたび候へ」とて」Aの歌が詠まれている。
「十七、八ばかりなる女」と主語が明示され(同格でその女がさらに説明されている)、あとは接助「て」でつながれ、主語は連続しているから、Aは若い海女の歌。
その歌に感心して褒美を与えたが、Bの歌を詠んでそれを返したので、Bも若い海女の歌。二つの歌が並んでいれば「贈答歌」と安易に考えない。Aの歌は小侍を通してふるまいをされている他の海女たちに「一緒に漁をしていたのに、あなたたちだけがなぜ身分の高い人たちのところにいるの」と訴えている。
Bの歌は「なにかせむ」に係り結びがあり三句切れ。和歌の末尾から初句に倒置。ポイントは「かづく」に「褒美としていただく」という意味と「潜く(潜る)」という二つの意味があることだろう。「そんなものをいただいても海に潜る生業の私には何にもならない」ということになる。

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