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ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード/普通の女の子は感情的

年末年始は体調不良でダウンしてましたが、3週間限定公開の楽日になんとかすべり込みで観てきた。エンドロールの最後にあるように、この映画はアリ・アップの遺言から作られたドキュメンタリーで、スリッツの結成前から再結成解散までが綴られている。

大音量でティピカル・ガールズが流れると座席が揺れるのが面白かった。

女性だけのバンドという事だけで、世の中の枠にはまりきらない彼女らを中傷する人々にひたすら反抗する。奔放なアリ・アップの生き方や、そこまで開けっぴろげではないけれど、女性としての生き方を模索する他のメンバーの姿も痛快だった。
女性だけのバンドを組むきっかけが、フラワーズ・オブ・ロマンス時代にシド・ヴィシャスから差別的な事を言われ、脱退したパルマリブがしがらみがないバンドを組みたいという理由なのも面白い。
アリの実家に集まるメンバーの中にプリテンダーズのクリッシー・ハインドがいるあたり、その後のライオットガールを予見するような集まりだったと感じた。劇中にもあるけれど、彼女らがいなければマドンナなどのミュージシャンも出てこなかったかもしれない。
(マドンナはデビュー前もともとソニック・ユース周辺にいた。因みにこの映画のエンドロールにはサーストン・ムーアの名前もクレジットされている。)

とにかく自分らしく生きるという彼女たちの様は、この時代にドレッドヘアにしたアリ・アップの姿を見て、衝撃を受けたボブ・マーリーの話の中に全てが語られていた。ただしレゲエの世界はホモソーシャルな価値観が強くそこに辟易したという話も忘れてはならない。
セカンドアルバムを作る前に男性ドラマーであるブルース・スミス(ポップグループ)が加入し、異性を交えた上での女性としての自立が生まれ、単なるフェミニズムを超えた存在として後の女性バンドまで継承されていく(ルシャス・ジャクソンやブリーダーズとかね)。

女性、女性と書いてきたが、彼女たちは女性らしさを追ったのではなく、あくまでも自分らしさを解放するために自らのスタンスを守ってきた事であり、その中のひとつに女性差別があったという事だけだと思う。実際彼女たちは男尊女卑は掲げていない。ただつまらない女性にも男性にもなりたくないだけなのだと。
劇中、メンバーの写真を見ると脇毛が写っているのも、男性のために生きるのではなく(脱毛や男ウケする服装)自分らしい生き方を表すためにそう行った行動をとっているのだということは肝に命じておきたい。それはティピカル・ガールズの歌詞に全てが込められている。

岡崎京子は東京ガールズブラボーで自分らしい生き方としてスリッツを引用していた。あの漫画で生きる女の子達も、まさにスリッツの生き方に共振している。

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