茂泉朋子

歌人集団「かばんの会」に所属しています。

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最近の記事

【著 爾太郎】講談社学術文庫「テレヴィジオン」(ジャック・ラカン)

*初めの註(茂泉朋子) この記事では、爾太郎氏が執筆した文について、茂泉朋子のnote記事として掲載しています。そのような掲載体裁をとる理由は、爾太郎氏が極端な人見知りであり、自身のSNSをもたないからです。したがって、著者爾太郎氏への感想等をいただける場合についても、当ページをはじめとした茂泉朋子名義のSNSを通したものになることをご了承ください。なお、爾太郎氏と茂泉朋子は別人であることを明記しておきます。 講談社学術文庫「テレヴィジオン」(ジャック・ラカン)  まずは

    • 紫のマスカラを塗りあなたまで見渡す塔をいくつも建てる/鈴木智子 一首評

      初出 『舞う国』刊行半年記念ネプリ!(2022年8月2日発行) 紫のマスカラを塗りあなたまで見渡す塔をいくつも建てる /鈴木智子『舞う国』2022年1月14日発行 ( NextPublishing Authors Press)  マスカラを塗る。紫を纏った睫毛はあなたを探し伸びはじめる。はじめは水平に、それから上へと。平行に屹立する紫の塔。その天辺から主体は「あなた」を含む世界を見渡す。  歌われている光景はシュルレアリスム的であり、主体と「あなた」の関係も不可思議だ。な

      • 茨城弁いがっぺよ

        歌誌「かばん」2018年12月号掲載(魅力度ランキング等は当時のものです)  去る十月十五日、地域ブランド総合研究所による都道府県魅力度ランキング2018において、我らが茨城県は無事最下位と発表された。「のびしろ日本一」のキャンペーンも華麗にスルーされ、栗やらメロンやらレンコンやらの収穫量日本一、サバ類や真イワシの漁獲量日本一、ビールの製成数量も日本一、ついでに日本一の大仏も滑り台も神輿もあるぞ、と主張しても、素敵な観光地(袋田の滝とか筑波山とか霞ヶ浦とかアクアワールド大洗

        • ゆっくんがあらわれた 短歌ネットプリント評

           「ゆっくんがあらわれた」さん(以下「ゆっくん」)は、中学2年生の少年歌人として「うたの日」等の短歌サイトに作品を発表している。そのゆっくんがネットプリント(以下「ネプリ」)を発行したとのことで、さっそく読んだ。  ゆっくんの歌の特徴として、作中主体は作者と等身大の少年という印象を与え、内容もその年代の日常を取り上げた歌が多いということが指摘できる。その特徴は、このネプリにも表れている。  ネプリの最初には「令和四年 遊君中学校二年 三学期定期考査 国語/2年2組 13番

        【著 爾太郎】講談社学術文庫「テレヴィジオン」(ジャック・ラカン)

          うたの日 非公式グランドスラム詠草

           「うたの日」の全部屋で薔薇をいただき、非公式グランドスラムを達成しました。以下に、各部屋で初めて薔薇をとった歌をまとめます。票をくださったみなさま、感想や評などお声をかけてくださったみなさま、ありがとうございました。 吾亦紅ひとつ点してひと夏の人に言えない恋を弔う  /『恋』2022年5月13日7時 退勤時メガネを外した先輩が不意にわたしを下の名で呼ぶ  /『オン/オフ』2022年10月2日9時 皿うどん口に刺さりて流暢に語れぬ婚の報告をする  /『皿うどん』2022年8

          うたの日 非公式グランドスラム詠草

          鈴木智子第2歌集「舞う国」評

          歌誌「かばん」2022年6月号掲載 鈴木智子『舞う国』2022年1月14日発行 ( NextPublishing Authors Press)  三月まで「かばん」に在籍していた著者の第二歌集。発行は二〇二二年一月なので、第一歌集「砂漠の庭師」(二〇一八年十二月)からほぼ三年を経ての発行である。 踊る、と落ちるは似ている今がそう淵にいるときわたしは踊る  歌集冒頭の歌。前著「砂漠の庭師」が、世界への焦燥と葛藤の記録であるとするなら、この歌集からは、世界を見つめひたむきに

          鈴木智子第2歌集「舞う国」評

          傷ついて剥がれて落ちた鱗たち来世は花に花におなりよ/巣守たまご 一首評

          うたの日の選評をもとに再構成。 傷ついて剥がれて落ちた鱗たち来世は花に花におなりよ /巣守たまご 「うたの日」2021年10月6日 題「鱗」  この歌の肝は下句にある。短歌の評では「動詞は1首の中に3つ(人によっては2つ)まで」とよく言われるが、この歌は、「傷つ」き、「剥がれ」、「落ち」、と、歌の出だしで惜しげもなく3つの動詞を重ねた。その連なりが、おそらくは急流にいるのであろう魚の体躯から鱗が剥がれていく様を端的に描写する。そして、続く下句の「花に花に」というリフレイン

          傷ついて剥がれて落ちた鱗たち来世は花に花におなりよ/巣守たまご 一首評

          ネットプリント「メープルとホーニヒvol.3」評

          ドイツ在住の土井みほ(歌人集団かばん会員)と、カナダ在住のさとうはな(未来短歌会・彗星集所属)によるネットプリントの第3弾(発行期間2022年5/2~9)。それぞれ10首の連作が収められている。 vol.1~3を読むと、連作中に「トラム」「マクルト」などドイツの風物を織り込み、異国での生活を意識しつづける土井に対し、さとうは、心象か実景かはわからないが、身の回りの自然に感情を託し丹念に歌っている。また、緩急をつけた展開が魅力の土井の連作に対し、さとうは言葉を律して一定のテン

          ネットプリント「メープルとホーニヒvol.3」評

          ネットプリント「コンパスは北を指す」(北町南風インディーズ第一歌集)評

           「コンパスは北を指す」は、北町南風のネットプリント(発行期間2022年4/13~21)でインディーズ第一歌集である。表紙を含めた5ページの内容は、短歌「アン イミテーション ティーンネージャー」と、エッセイ「北町の解体新書」からなる。  「アン イミテーション ティーンネージャー」の短歌は、彼が作歌を始めた高校時代(冒頭の一首は、中学校の授業で作った歌の再現とのことである)と、卒業後「うたの日」に出詠した歌からの自選46首である。  歌から受ける印象は、言葉遣いの優しさだ

          ネットプリント「コンパスは北を指す」(北町南風インディーズ第一歌集)評

          ネットプリント「零一同盟」評

           「零一同盟」は、北町南風、青藤木葉の2人による短歌ユニットであり、同名のネットプリントである。名前の由来は、2人がともに「2001年生まれであることから」とある。内容は、「少し暗めの青春詠」をテーマとした2人の短歌各10首と、相互評を中心とした短いエッセイである。  のっけから発行日が「〇月〇日」になっているのがいい。後から日にちを入れるつもりで忘れたのではないか、という不安も否めないが(笑)…。いつでもない日に発行されたというのが、01年生まれの2人にふさわしい。「零一

          ネットプリント「零一同盟」評

          王政をやめたすべての国たちに獣のにおいのピザは配られ/鈴木智子 一首評

          歌誌「かばん」2022年3月号掲載 王政をやめたすべての国たちに獣のにおいのピザは配られ /鈴木智子『舞う国』2022年1月14日発行 ( NextPublishing Authors Press)  口当たりのいい歌ではない。一つ一つの語に分かりにくさはないものの、一首として像を結ぶには言葉の跳躍がある。  歴史を紐解けば、国家の近代化とは、王政が終焉し民主的な政府が誕生することにある。つまり上句の「王政をやめたすべての国たち」とは、近代化に踏み出した国々のことであると

          王政をやめたすべての国たちに獣のにおいのピザは配られ/鈴木智子 一首評

          北町南風 短歌評

           北町南風は現在オンライン歌会の場である「うたの日」を中心に作品を発表している。また自らもTwitterのスペース機能による「北町南風のオールタンカニッポン」を開催するなど、インターネット上で積極的に活動を続けている歌人である。この「北町南風のオールタンカニッポン」にゲストとして誘われたことをきっかけに、彼の短歌を読む機会を得た。いくつか評を記しておきたい。 ◆喩の歌◆防波堤開きっぱなしの小説は夏を彩るウミネコのよう 取れかけたボタンを修繕するやうにいつもの海をゆく定期船

          北町南風 短歌評

          きょうだいで掘る星深く遭うたびにまさぐり指でするちゃんばら/高柳蕗子 一首評

          歌誌「かばん」2021年12月号掲載 きょうだいで掘る星深く遭うたびにまさぐり指でするちゃんばら /高柳蕗子『潮汐性母斑通信』沖積舎 2000年  ここで詠まれた「星」とはなんだろうか。互いに星を掘りすすみ、真ん中で触れあう指。まるで海辺の砂浜を挟んでじゃれ合っているかのようであり、星をこのように扱う存在は、巨大な神々のごとき者であると感じられる。と同時に、歌中に配置された「深く」「遭う」まさぐり」「指」といった言葉からは性的なイメージを喚起される。「きょうだい」という、

          きょうだいで掘る星深く遭うたびにまさぐり指でするちゃんばら/高柳蕗子 一首評