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HSPじゃなかったら、この世界は生きやすいのだろうか

会話する時、いつも誰かを演じていたり、相手の気持ちや世間体を考えて自分の意見を変えたり、私の場合はそもそも喋ること自体が誰かを演じているような感じがする。

時々、素直にありのままの自分で暮らせたらどれだけ楽だろうかと思うことがある。相手の心を深く深く読んでしまう。勝手に読めてしまう。常に無意識のうちに気を使っていて、外に出て複数人と会うだけで頭が痛くなるし、家に帰ると疲れて長時間の眠りに入る。

もし、相手の心なんて一切考えないで、自分のやりたいことをやって、思ったことをそのまま全部言ったら、どうなるだろう。

嫌われるかな。社会の中で暮らせないだろうか。この社会という組織のなかで生きていくためにはある程度、人間関係が必要だ。
ひとりで生きていくことはできない。

私には、みんな、誰かを演じて生きているようにしか見えない。
誰かを演じることでその場を丸くおさめる。

特に日本には忖度という言葉がある。
よく言えば思いやりや気遣い。

ただ疲れるだけだ。

私は人と関わること自体疲れる。
HSPじゃなかったら、この世界は生きやすいのだろうか。
HSPだから生きにくいだけなのだろうか。
これから先、大人になり社会人になった時、楽しく生きていける自信がない。生きること自体に疲れる。

ただ、生きていて楽しいこともたくさんある。
挑戦するとワクワクするし、その先には本当の仲間がいるし、旅行したり美味しいもの食べたり、そういうのは純粋に楽しい。
このためだけに生きているようなものだ。

でも実際は疲れることの方が多い。
生きていくなかで、いろんな人に出会っていろんな価値観に出会って、自分が成長して、嫌だったことが楽しいに変わることがある。

人が好きになる日は来るのだろうか。