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自分が見えるものと世界の速度

初めに

大学生・大学院生をしていると世界とのギャップに驚くことがある。自分が思ったことを友達に話したりすると特に、ヨウスイはそんなこと考えてるんだぁ〜言われたりと。彼らは俺のことを面白い存在としてそして友達としていいやつと思い長年一緒にいてくれてる。
それを自分は価値と感じつつも一般的な感性が欲しいと思うこともしばしばで、楽しいものを楽しいと言えることが素晴らしい。俺は何を考えてどう生きるのかを悩みながら生活していくのが大学院生なのかなと考える今日この頃だ。

価値という話

自分の自身の価値はなかなかわからないが、自分が作り出したものの価値というのは大体わかるようになってきたと自覚してる。
以前、自分が作ったモノ(研究)に対して偉い人がそれは価値がないからやめなさいと言われたことがある。その時ふと自分は価値というモノはそんなにすぐわからないだろうと思った。アインシュタインの相対性理論も最初は理解されにくかったが今とはなっては社会に大いに生かされて気づかずとも生活に根付いている。自分はアインシュタインの大天才ではないが、自分が作ったモノが将来自分が死んでしまったと後にでも影響があればと考え、そのモノ(研究)を作ったが、偉い人から否定されたことで自分は腹が立った。ただ、今となってはこの偉い人は言葉足らずだったのだと思う。
彼が言いたかったのはおそらく、価値というのは2つのパターンがあるということ言いたかったのだろう。1つ目のパターンはすぐ価値がわかるパターンで、社会問題への即効性が高く多くの人が閲覧し認識されやすい価値である。この価値はわかりやすくいうとお金を生みやすく利益があるという価値である。研究で行くと例になるが道路を3倍早く作る研究などになる。2つ目は価値がわかりにくいもので社会への影響は理解者が出るまで還元されず、そのまま消える可能性があるモノになる。この価値は全く理解されない可能性がある上に何言ってんだこいつになるという状況に場合がある。おそらく自分が偉い人に出した研究はこちらになる。
これはどちらがいいとか悪いとかそういうものではなく、いろんな価値があるということである。だからこそこの価値の話に悩んでいる人にはみて欲しいと少し思う。

最後に

多くの人はこの価値の違いをあまり説明せず、言葉足らずで言ってしまうことが多いように感じている。だからこそ、多くの人に褒める方向で2パターンの価値の違いを使い説明してほしいと思う今日この頃だ。

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