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母性のディストピア(著:宇野常寛)【なんていうんだろな。読書紹介っていうのは知らずのうちに考察が入ってるんだよな】

日本のアニメ監督を題材に考察してみた系。

いわく男性から見た女性観が、作品に反映されており、それが作者の世界観を決定づけている。

いや、そう言えなくもないけど、
それって仮説住宅に屋上屋を重ねたような理論じゃね?
良い感じで核心を突いてるようだけど、それただの感想だし。
危ない!ちょっと詭弁感がする。

でも読んでるだけで面白いという。
いやもうこれは作品でしょ。
考察じゃなくて考察の体を装った作品と言ってもいい。
そういう勢いを感じたんだ。

オカルト系の話を読んでる楽しさに似てるとか言ったらブチ怒られそうだけど。

***
取り上げるアニメ監督は日本を代表するお三方。
宮崎駿。
富野由悠季。
押井守。

***
宮崎駿と言えば、なぜか少女が出てくる作品が多いのだが、

戦争の敗北により日本の父性性は挫折した。
そこで宮崎駿は男性の成長を描くために少女に仮託する。
少女を仮定の母と見なして、その中で生きる理由を考えるという歪んだ近親相姦的な分析が成り立つ。

・・・いや、宮崎アニメはオーソドックスな物語構造を採用しているからだよ。
ジョージルーカスが古典を復活させて成功したのを参考にしてるだけ。
古典的な物語構造はウケが確定しているものでもあるからね。
人類が本能的に好む物語なんだ。
とにかくあの人は、最初のうち売れなくてすごく悩んで、鉄板で売れる構成を採用しただけなんだ。

この時点で何やら怪しくなってきたが、次は富野由悠季編である。

***
富野由悠季といえばガンダムの監督である。

当初は戦争の苛烈さの中を少年が生き残る事ができるか?というテーマで始まったが、
やがて絶望的な現代を超克する存在としての「ニュータイプ」という概念を出してくる。
だがしかし、次のイデオンでは、人間は努力の甲斐なく自滅する。
Zガンダムではニュータイプが単なる新型の兵器として消耗されてしまう。
しかし富野由悠季が新たな地平を切り開くことはなかった。
絶望した富野由悠季は、同じ絶望の中を反復することしかできなくなった。

・・・富野監督本人に「違いますよ」と言われたらしい宇野先生。
これもやはり「ガンダム」で売れた富野監督が、自分のブランドを考えて、その看板を使い続けているだけなんだと思う。

最期に押井守である。
***

唯一、正解にもっとも近そうな押井守編は、

まず「うる星やつら ビューティフルドリーマー」から始まる。
ひとりの女性の中に全世界が実はあるのだ。
ということは、上述と同じように、
女性に仮託する形で、男性の父性性を回復しようとする試みのひとつであると考えられる。
しかし押井守では年代によって世界観が変化していく。
次のターニングポイントは「ケルベロス」
ここではまだ、戦士たちは女性によって生きる意味を提供されるが、
その世界はより架空性を強くしており、物語の外の世界が示唆され始める。
さらに「パトレイバー2」になると、現実と虚偽が混濁しすぎて、
最後は「すべてのネットワーク接続を切り有視界で行動しろ」という命令が出る。
これによって架空性のある世界の向こう側に、突き抜けた現実を示唆することで、空間からの脱出を図っている。
もはやラムちゃんの暖かい母なる世界とは決定的に決別しているのだ。
「攻殻機動隊」や「アヴァロン」になると主人公は女性となり、女性戦士とも呼べる彼女らは最初から力強い意思で、自己が目的とする世界を目指して疾駆していく。もはやそこには超克すべき内部世界すら存在しない。

と、このように考察して分析している本書なんだけど。

(今、本が見つからないので、思い出して書いているので、少し違うかもしれない)
間違ってたらごめん。

***

面白くはある。でも違うんだろうな? とは思う。

母性が強すぎる社会というのは、
つまり保守的な価値観が強くて、人間のあるべき立ち位置が最初から決定されている前近代社会の名残が強いことでもあるし、
それは日本が遅い近代化と、高度経済成長という安定した時代を経ていたから、と考察することだってできる。

エマニュエルトッドが言うように、少子化の波は、女性の社会進出が抑制されているアラブ世界でも起きているそうだ。
少子化の原因は、女性の社会的地位向上が、まるっきり関係ないわけでもないだろうが、それ単体の力ではない。やはりそこは資本主義文明の持つ影響力なのだろう。

世界中で起きている少子化の波は、人間が資本主義社会によって「個人」になってしまったからじゃないかと思う。
それまでは社会の理想とするイメージを、疑問を抱くことすらなく受け取っていた。
シュタイナー的に言うと「悟性魂」の時代だ。
前近代の日本文学は、自我と「悟性魂」の格闘の系譜だ、とかいう考察もどこかで読んだことがある。

でも、まあこういうのって、
面白いっちゃオモシロイ。

考察系ってなんで読みたくなるんだろ。
益体もない話だって分かっているはずなんだけどなあ。
金出して買っちゃったよ。面白いんだよ。

なんか知的なことを考えることに対して、純粋に欲望を感じる。
これが本当の「知」の面白さなんだろうね。
本当の「知」は、ポルノやスイーツ、アルコールと同列の何かなんだ。

この方面を「物語」にして、考察的な体系を、
物語の中の「閉鎖された知の体系」として完結することに、
すごい可能性があるような気がするんだけど。

圧倒的すぎて何やったらいいのかわからない。

note内でこの本を紹介している記事があるので、そちらを紹介します。

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