見出し画像

15年会ってない父親がYouTubeのオススメに出てきた話


私はずっと、父親の遺伝子が、自分の中にあることが気持ち悪くてしようがなかった。結局家族なんだから、とか、血の繋がりとか、そんなものくそくらえだった。私の根深い男性不信は、生まれてすぐ出会う初めての男性である、父親が大きな原因となっている。

この記事に辿り着いた、「自分の家族を愛せない人」が、少しでも救われますように。

私はそもそも生まれてくる予定の子ではなかった。

三姉妹の末っ子として私が生まれた家庭はとんでもない貧困の中だった。
ぎりぎりまで堕ろそうか悩んでいた、絶対避妊だけはちゃんとするのよ、と小さい頃から言われ続けていた。
私が物心ついたときには、父親は幼稚園に行く朝方、酔っ払って帰ってきて、酒臭い匂いをプンプン放ちながら、今にも崩れそうな本の山の中で、寝ているだけの人だった。会社を経営していた夢追い人だった父親は、ろくに稼いでもおらず、私の母の今思えば学生の仕送りでももう少しあるだろうというレベルのパート代で一家は成り立っていた。六畳一間にぎゅうぎゅうに敷き詰められた布団と、シャワーのないバランス釜のお風呂が、私の家だった。給食費を払えなくていつも母は困っていたし、私の次にできた子は、貧困故に堕ろしていた。

そんなギリギリのせめぎあいの中生まれた私は、離婚すると聞いたときも、
「離婚しないで済むならしないほうがいいと思うけど、したいならすればいいと思う。多分そんなに変わらないよ」と小学校2年生で言えるくらい、大人びてしまっていた。
月に何回か、週末父に会いに行って、月に数万しか貰えない、養育費を最後にもらうというミッションがあった。明らかに家が苦しいときは、泣き落としで10万円を手にして帰ってきたこともあった。

ここから先は

2,042字

¥ 100

やさぐれた28歳女に、1杯奢ってやってもいいよ、という優しいお方は、サポート頂けると嬉しいです😌😌😌🍻✨