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日本建築の歴史を考える②「ユカ」と「トコ」

前回の記事

では、日本建築の特徴である「床座」と「多多美(畳)」について書いてみました。
特に畳は、現代のイメージとはかなり異なる意味合いで使われていましたね。

ところで…日本語というのはなかなか難しいもので、「音読み」や「訓読み」など、一つの漢字にいくつもの音があてられています。

前回取り上げた「床座」…これ、どう読むのでしょう。
これは「ゆかざ」ですね。
では一方で、「寝床」…これは?
そう。「ねどこ」です。
同じ「床」という字に、「ユカ」と「トコ」という2つの読みがあります。
読みが違うということは、何か使い分けがあるはずで…。
今回は、少しその辺りを建築や文化の視点から考えてみたいと思います

1、「トコ」の成り立ち

「トコ」の原型は、「ユカ」よりもかなり古いと考えられています。
竪穴式住居の遺跡を見ると、一段高くなっている部分があることがわかります(下の写真では右上のコの字状の部分)。

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いわゆる「ベッド状遺構」です。用途としては諸説ありますが、薦を敷き、「寝床」にしたと考えられています。
つまり、これが「トコ」の原型ということになりそうです。
ちなみに竪穴式住居、縄文時代だけのものと思われがちですが、西日本では奈良時代末期くらいまで、東北地方では何と室町時代ごろまで存在したとされます。近代までは、「土間」としてその名残はありました。

2、「ユカ」の持つ意味とは

一方、「ユカ」はどのような由来を持つのでしょうか。
言葉としての成り立ちを追ってみると、「由々(ゆゆ)しい(=神聖な)場所」という言葉に行き当たります。
「ユカ」が神聖であるとは一体どういうことなのか…。

これを考える時に、水稲耕作の歴史を繋ぎ合わせると、その答えに近づくことができそうです。
大陸から水稲耕作が伝わったのは、縄文時代末期(今からおよそ3000年前)と言われています(それ以前にも陸稲の生産はあったとされます)。
そして、生産量が増大したコメの貯蔵に使われたのが「高床式倉庫」

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です。
歴史の授業でもよく見かけるアレです。通気性に優れている一方、脚に「ネズミ返し」がついていたり、なかなかに高度な構造を持っています。
この高床式倉庫、通気性を良くし、ネズミなどの害を防ぐために高床になっているのは確かなのですが…それだけにしては少し高すぎると思いませんか?

これをご覧ください。

これは、古代の出雲大社。何と高さ48mの超高層建造物だったと言われています。

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重機もない時代にどのように建てたのか、非常に関心がありますが…それはまた別の機会に。

さて、このように当時の高床は「神聖な場所」であり、高床式倉庫に穀物を納めることは穀物の命を祀る意味合いがあったと考えられます。
それにより穀物の命は守られ、翌年より多くの芽吹きと豊作につながると考えられていたのでしょう。

この思想が、後に穀物以外にも広がっていきます。
「神聖なものは高い場所に置くことで、その力が保たれる」、というものです。
そういえば、神棚や仏壇は高い所に置かれますよね。

古代では、それが権力者の権威を保つために用いられました。
例えば卑弥呼

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に代表される、「呪術的権威を持つ者」です。
その後の「大王」の時代、そして「天皇」の時代になり、その権威の源に武力の色合いが強まってなお、呪術的な権威(神の力)は極めて重要でした。

このことから、天皇や貴族など祭祀を司る人々は、「穢れ」を忌み嫌うようになりました。例えば「死」は強い穢れであるため、死に関わることを極力避ける(死刑がなくなったり、武官を避けたり)傾向が強まりました。この時代のお風呂事情も、それが関係しています。これもまた別の機会に。

また、土に直接触れることも穢れを呼び込むこととされ、できるだけ高い場所に留まろうとしました。
貴人が高床の家に住み、牛車

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で移動したのはそのためであると考えられます。
つまり「ユカ」とは、神聖なものを置くための板張りの高床であると言えそうです。

この辺りの思想の変遷は、奈良時代以前と平安時代以降の寺院建築にも影響があるので、例えば東大寺と延暦寺を比較すると面白いかもしれませんね。

というわけで、今回は「トコ」と「ユカ」の違いについて考えてみました!
また次回、「ユカ」についてもう少し別の角度から考えてみたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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