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江戸期随一の「成り上がり」

1836年の今日は、江戸時代の探検家、最上徳内

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の忌日です。

日本史の教科書でも出てくる最上徳内。蝦夷地を探検したことは有名ですが、彼が江戸時代屈指の「成り上がり者」であることをご存知でしょうか。

探検家の名に相応しい波乱万丈の人生を歩んだ最上徳内。
彼の経歴を少し追ってみたいと思います。

1,その男、出羽の生まれにて

最上徳内は、1754年、出羽国村山郡楯岡村(現山形県村山市)の貧しい農家に生まれました。
彼は商家に奉公に出て、行商人として身を立てつつ学問に打ち込みます。そして、1784年、経世論者にして数学者、本多利明に弟子入りします。

経世論
江戸中期以降、幕藩体制の問題点が浮き彫りになる中、都市や農村の実状に通じている人々の中で、現状の問題点を警告し体制の改革のための具体策を論じたもの。
消極的な倹約ではなく、重商主義や対外貿易、大規模開発による経済活動活性化など、積極策による富国を説く。

蝦夷地の問題に関心が強かった本多利明のもとで経済論や天文学、数学などを学びました。それ以前に学んだ医術の知識も相まって、第一の弟子として頭角を現します。

2,田沼時代の到来

ちょうどこの頃、幕府で政治を主導していたのは老中の田沼意次

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です。
田沼意次は経世論に近い重商主義的な富国策を取り、更に蝦夷地開発を企図します。
ここで、本多利明が蝦夷地調査団のメンバーに抜擢されるのですが、この時彼は体調を崩しており、蝦夷地での過酷な行程に耐えられる状況ではありませんでした。そこで代役として白羽の矢が立ったのが、最上徳内でした。

彼はこの調査で活躍し、アイヌ人や択捉島在住のロシア人とも交流を持ちます。勉強熱心な彼はアイヌ語を積極的に学んでおり、その会話力でアイヌ人と信頼関係を構築したようです。

このエピソードは、少しこの方の動画を彷彿とさせる部分ではあります。言葉はコミュニケーションツールとしてやはり大切ですね。

3,徳内は危険人物?

1786年、10代将軍徳川家治の死去により田沼は失脚、松平定信による寛政の改革が始まり、田沼政策の反動により蝦夷地開発も中止になってしまいます。しかし、徳内は度々蝦夷地に潜り込み、蝦夷地の調査を続けます。
そんな中、1789年、アイヌによる蜂起(クナリシ・メサシの戦い)が発生します。この事態を知った徳内は、幕府から密偵として蝦夷地に派遣された青島俊蔵(蝦夷地調査での同僚)に同行し、蝦夷地を調査します。

ところが、彼らはやりすぎました。現地だけではなく北海道の各地を調査で周り、アイヌとも交流を図ったのです。
幕府からすれば、そこまで頼んでない!ということだったようで、ただでさえアイヌ語に堪能でアイヌと親交が深い徳内は、アイヌに内通しているのではないかとあらぬ疑いまでかけられてしまいます。江戸に戻った2人は、何と投獄されてしまったのです。
この時点で、彼は罪人にまで身を落としてしまいます。
青島は獄中死、徳内は本多利明の尽力で何とか無罪を獲得し釈放されました。危ない、危ない…。

3,罪人からの立身出世

その後の1798年、40代半ばには、同じく蝦夷を調査していた若き探検家、近藤重蔵に同行し、択捉島を訪れていますし、樺太の調査にも赴き、アイヌに農耕の指南をするなど相変わらずアイヌとの交流は続けています。
さらに、ロシア語も話せる徳内は、大黒屋光太夫

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らの漂流民送還のため、根室を訪れたロシア使節ラクスマン

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の対応も行い、江戸に戻ります。何だかんだと、徳内の力を当てにしつつある幕府。先日まで罪人扱いしていたのに…。

徳内の力に頼る幕府は、彼を幕府の役人に登用します(彼は武士身分になりました)。そして、彼は幕府の命では蝦夷の測量地図を作ったり、アイヌ民族の言葉や生活などを本にまとめる仕事を行います。

さらに1826年に江戸を訪れたシーボルト

とも交流。その時、彼に間宮林蔵が調査した樺太の地図を与えるなど、シーボルトに日本についての知見を与えました。
ちなみに、シーボルトはその後、徳内に与えられた地図を基に、樺太と大陸の間の海峡を「間宮海峡」として紹介。現在もこの場所は間宮海峡と呼ばれていますね。

その後発生したシーボルト事件(シーボルトが、禁制の日本地図を持ち出そうとして発覚した)で取り調べを受けますが、ここでは無罪となります。

晩年は浅草に住み、1836年に死去。82年の激動の人生を終えました。

貧農から学者、探検家として身を立て、一度は罪人になりながら幕府の役人となり活躍した最上徳内。
江戸時代の立身出世ストーリーとしても面白いですね。

では、今日はこれくらいで。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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