日本かるた1

文明と地図を考える その31 「南蛮地図と新たな日本図」(後編)

前回の記事からだいぶ間が空いてしまいました。

さて、前回の記事では、桃山時代から江戸時代初期にかけて、「図屏風」を通して地図の変遷を追ってみました。

その過程では、宣教師ヴァリニァーノと共に日本を訪れたポルトガル人地理学者、モレイラ・イグナチオによって描かれた地図が、その後

・ヨーロッパにおける日本地図のスタンダードになった
・その影響は日本で描かれた「図屏風」にも顕著に表れている
 (原図は日本にも残された可能性が高い)

ことがわかりました。

しかし、「図屏風」に描かれた地図は装飾を重視しており、それは実用地図とはやや趣が異なるものでした。
一方、日本の世情だけを見ても、安土桃山時代から江戸時代初期は国内における広域的な陸上・海上交通が戦乱の減少により盛んになり始めた時期でもあります。
その時期に「実用的な」地図が求められるのは当然の流れと言えるでしょう。

というわけで今回は

桃山期~江戸初期における「カルタ」

という観点で考えてみることにします。
…タイトルだけでは、何のことかわかりにくいですね(笑)

まず、「カルタ」と聞くと最初に思い浮かべるのが

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