反抗期はなかったけれど変な反抗心はあった
なぜなのか、よく分からない。
このモヤモヤは、まだうまく言葉にできない。
私は思春期のとき、反抗期がなかった。
父と母に「くそじじぃ!くそばばぁ!」的な暴言は吐いたことがないし、心の中で親に対してそういう類の攻撃的なことを考えたことすらない。
親への反発や怒りは特に湧かなかった。
ただ、
「教科書通りに反抗期になんかなってたまるか!」
とはなんとなく思っていた。
保健の教科書には、第二次性徴についての説明が書かれていた。そこに書いてある身体的な成長変化は私の身体にも確かに起きていて、心当たりがあった。
だけど、精神面に関しては、なんか、その通りになりたくないと思ってしまった。
反抗期とか異性への興味とか、色々。
今思うと、そのひねくれたメンタルこそがまさに思春期である証拠だったのだが、当時の私の反抗心は、親や教師や社会に対してではなく、保健の教科書の説明文に向かった。
「私は教科書通りになんかなりませんよ〜だ!お尻ぺんぺん!」みたいな気持ちだった。(表現古い)
時は経ち、心も身体もすっかり大人になったのに、その精神が今もちょっと残っている気がするのだ。
3ヶ月間noteを書いてみて、それに気付いた。
たとえば、
なんとなく「スキ」ではなく「いいね」と呼びたい変なこだわりとか、
私は自分との対話のために書いてるから、他人のための「サイトマップ」じゃなくて、あくまで自分のための「呪文集」と呼びたいとか、(と言いつつちゃんとサイトマップ的なものを作ってるんだけど)
※サイトマップの伊藤翼さんはだいすきです。彼女への反抗心は全くないです。これはあくまで自分との闘いの話。
「調子に乗らない」とか言いつつも結局は記事にしてたり、他の人が言ってる分にはほんっとに何も思わないんだけど、自分にだけは"noter"とか"クリエイター"と呼ぶこと呼ばれることにどうも気恥ずかしさや違和感があったり(でも"note民"なら違和感ないかな)
なんやったら"記事"という呼び方もなんとなく違和感がある、自己満足で書いてる私は"投稿"のほうがしっくりくる。
書けば書くほど、自分の天邪鬼さ?素直になれないところ?変なプライド?が露呈してきたような気がする。
我ながら、なんか違和感がある。
何かを、こじらせているような気がする。
それがなんなのかは、まだうまく言語化できない。
「もっと素直になれよ」と囁くもう一人の自分がいるような気もする。
親ではなく保健の教科書を敵対視していた時のような変なひねくれを、自分の中に感じる。
自意識が強すぎるんだろうか?
まぁ、いいや。
心理学とか専門的なことはよく分からないし、これ以上分析してもたぶん何も出てこないから。
小さな違和感は、とりあえず記録したからヨシ。
いつか閃いて言語化できる日が来るかもしれない。
寝よ。
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