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そういう人生のしみじみと明るい良さについて描いた物語は少なすぎやしないだろうか / 吉本ばなな『情け嶋』


少し前、吉本ばななの小説のフレーズを引用して書いた投稿に、思った以上にいいねがついた。

(正確には「スキ」なのだけど、なんとなく「いいね」と呼びたい変なこだわり)



私を大事にしてくれない人に、大事な私を、お母さんが大事にしてくれた私を、触らせてはいけない、触らせたくない。

「私を大事にできないなら触らないで」

娘だけでなく、世界中の女の子たちには、大事にしてくれない相手にハッキリNOを突きつけられる勇気を持ってほしい。自分を大事にしてほしい。

そう思って書いた。
ほんとに、マジで、大事にしてほしい。

大事な自分の身体や心や時間を、誠意のないテキトーな男に簡単に差し出していいわけないよ。

男女平等の時代とはいえ、どんな女性も、そこだけは男性に対して偉そうにしてていいと思う。なんの権限もないけど私が許す。それで冷たくしてくる男ならむしろこっちから願い下げ。絶対追いかけるほどの良い男じゃないことだけは保証する。

読んでくださった方のうち、たった一人にでも何かが届いていたら嬉しい。幸運を祈る。







そしてまた、吉本ばなな。
前回と同じ短編集の中の別の小説からまた書く。



凡人な私は、この文章にとても共感できた。
共感というか「私もこれかも」と思った。

 そう考えてわりと楽しく暮らしていた。
 だからなにも起こらない。
 葛藤もなく、悩みもない。
 こういう人って案外多いと思う。
 そして人類の生と死の闇の中に消えていくのだ。
 それは見事に咲いて散った花のように美しいことだ。
 もしかしたらいちばん幸せなタイプの人生かもしれない。そういう人生のしみじみと明るい良さについて描いた物語は少なすぎやしないだろうか。みんななにか壁にぶつかったり、乗り越えたり、成し遂げたり、緩急があるからこそいいみたいな話ばっかりだ。天国にはなにもトラブルがなくて退屈だから地上に生まれてきて学ぶのだとさえ言っている人がいるが、そんなはずはない。頭が悪い私にだってそのくらいわかる。進化した人類、あるいは天国の人類は、トラブルがなくて春風が吹いていて、このほうがいいなあ、と絶対思ってるはず。

吉本ばなな(2021)『ミトンとふびん』新潮社、p.228
『情け嶋』「新潮」2021年9月号 初出



私の場合はさすがに「葛藤もなく、悩みもない」ということはないが、これはけっこう理解できる感覚。

もちろん自分なりに家族やお金のことなど色々あるんだけど、世界規模で見たら全然平和。何も起きてないレベル。

私たち「何もない系の人間」については、前にも書いたけど。



死の覚悟をするようなスリルな場面に毎日遭遇するわけでもなく、明日食べるものがないとか今夜寝る場所がないとか誰かに命を狙われて逃げてるとか、そういうこともなく。

有名人でもないから街で誰かに指を差されたり勝手に写真を撮られることもなく、簡単に群衆の中に紛れられる。

ただの一般人。
歴史にも残らない、ありふれた人生。
(のままで行く予定)


吉本ばなな自身は、親も著名人で、生まれた時から私のような一般人では決してないのに、この感覚をこんなふうに言語化できるのは本当にすごいなぁと思った。

(むしろ当事者じゃないからこそ冷静に観察できて書けたのかな。というかこんな感想自体、プロの小説家に失礼だ!と怒られるかな)

そういう人生のしみじみと明るい良さについて描いた物語は少なすぎやしないだろうか。

p.228


平凡で何も起きないから、
おもしろい物語にはならんのよね。

でも、ありふれているからこそ「あるある、分かる」と共感してもらえる相手が多いのは、唯一の強みかもしれない。

希少性は低いが、汎用性は高い、みたいな。
それもそれで、一つの価値だよね。


「人生のしみじみと明るい良さ」と表現できるほど、私の人生にはまだ深みも趣もないけれど、いつかそう言えるような人生になったらありがたい。
(これから波瀾万丈になるかもしれないけど)


平凡でも、ありふれていても、
つまらなくても、いいじゃないか。
のんきに春風が吹いているなんて最高じゃないか。


個性とか私らしさとか面白い経歴とかホントどうでもいいので、できるだけ長くこの春風が私の人生に吹いていてくれますように。

ついでに周りの人にも、その春風が届きますように。

どうかどうか。

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