「いつもと変わらないよ」をみる訪問看護

訪問看護に関わったばかりの頃、

「どうですか?」と聞いて「いつもと変わらないよ」と答えられ「著変なし」と記録に書くということをしてたある時

利用者さんのご家族から「あの子は何もわかってない」と言われたことがありました。

看護師としての経験も少なく、とても辛かったのを覚えています。

そんな時、先輩の訪問看護師に同行させてもらって、その観察してる視点の多さに驚いたことがありました。

今でも尊敬する方です。


何気ない会話なんですが

「今日もベッドの上に登ってこの洗濯物干したんですか?」「そうだよ、こうやってね、ピッてやると干せるんだよ」って高齢の方が嬉しそうにやって見せてくれるんです。


訪問看護のケアには一見、関係のなさそうな会話ですが、

これができていることを知っているというのは、できなくなった時に気付けることなんだと教えられました。


それから生活をみるってこういうことなのかな、訪問看護ってそういうものなのかなって少し何かを掴んだような気持ちになったのを覚えています。


訪問看護は、毎月の訪問予定と時間が各利用者さんによって決まっています。

時間に合わせて鍵を開けて待っていてくださる人、ケアに必要な物品の準備までしてくださる人、ケアの後のお茶を飲んで話す時間を楽しみにお湯をわかしてくれている人、利用者さん側にも習慣が生まれるようです。

また日常にも習慣やこだわりがあります。

お仏壇に買ってきたお弁当をお供えしてる人、晴れて暖かい日にはお花を外に出してお水をあげてる人、美味しそうな食べ物が乗ってる広告だけをまとめている人。

うちの場合は、

晴れた日は公園、雨の日は支援センターに出かける。日中は絵本とおもちゃがあちこちに散らばってる。カーテンは日中開けてあって、花粉の季節は室内干し。昼寝は子供と一緒に寝る。そんな感じでしょうか。


そういう場所に訪問しています。とてもプライベートな空間。小さなこだわりが詰まった空間。

そのこだわりを楽しげに話してくれる人、聞かれたくないという雰囲気を出す人、いろんな人がいます。当たり前です。

そういうのをまるっと感じています。

それがいつもと部屋の中の様子や、訪問前の電話の声や出てきたときの表情が違うなと感じる時は

血圧を測って、時には足湯をしたり体を拭いたりする中で、話の中で触れてみます。するとぽろっと話してくださることがあります。

「実はこの前初めてタクシーに忘れ物をしちゃったの」「息子と喧嘩しちゃったの」とか。


「いつもと変わらないよ」の「いつも」がどんな状態なのか知ることは、違うことに気付き、一緒に考えるスタートラインに立てることなのだと今は思っています。

あの時の「あの子」は少し何か「わかる」ようになってますか?


次は「訪問看護とリハビリテーション」について書きます。






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