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言葉にすると真実にしてしまう

言語化するってすごく難しい。と、最近感じることが増えた。
感覚的に思うことを、言語化して伝えるって、本当にすごくすごく大切なことだと思う。人とのコミュニケーションにおいても、自分の考えを整理する過程においても。

でも、言語化することによって、失われてしまう微妙なニュアンスもある。

例えるなら、小説を実写化してしまうような。
一度、その役になりきる俳優を見てしまったら最後、自分の中のイメージは消えてなくなってしまう。情景も登場人物の間合いも全て、一つに決定してしまう。それが真実になる。

言語化することはこれに似ている。
最近は、感覚を大切にしたくて、言語化することって難しいなって思う。
言葉にしてしまうと、その言葉に支配されてしまう。真実が決まってしまう。言葉自体が持つイメージっていうものもあると思うので、なおのこと、イメージがはっきりと決まってしまう。

一方で、「この感覚を言葉で表したい」って思う日もあって、矛盾していて笑ってしまう。

まだ迷っていることを、整理しながら、言葉にして友人に話す。でも、後で考えたら、あれ?って思うこともある。
口が勝手に言葉を紡ぎ、さらさらと言葉を繋ぐ感覚。自分でも、その終点がわかっていないからこそ、未解決な問題について話しているからこそ、あれ?違うな?ってなることもある。
その過程も、大切な気づきになることは多いのだけれど。

じゃあどうしたらいいのか。

悩みながら話すことは、悩みながら感をいっぱいに出しつつ、話せばいいのではないか。

確信をもったような言い方は避けるようにする。自分のためにも。本心じゃない方に、口が走っていくことがあるから。「私はこういうタイプ!」みたいな、自分への決めつけも絶対に良くない。私って、そうやって一言でかたづけられるような単純な人ではないから。「あなたはこんなタイプ!」「あの人は・・・」みたいな決めつけもやめる。「〜〜かもしれないね」みたいなところでとどめる。
世の中で一般的に言われていることが、まるで真実であるかのように疑わず、話している中で、常識的な方に繋がっていきやすいってこともあると思う。それは、誰しもあることだし、だから「常識」なのだとは思うのだが。
でも、必ず常識が正しいとも限らない。常識ありきで、私は常識外れってことも大いにあり得る。

だから気をつけよう。曖昧なことを曖昧なまま、残しておく勇気を。
今明らかにならなくても、少しずつ、終点に近づければ、万々歳なのだから。

読んでくれてありがとう♡