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点から線へ/ある映画と舞台挨拶と、思うことと

ある映画を観る機会があった。いろんなことを考えた。

トランスジェンダーがトランスジェンダー役を演じる初めての映画だという。
終演後の舞台挨拶で監督は話した。
これまで映画や映像などに登場するトランスジェンダーは
いずれも勝手な押しつけイメージや際物扱いや、いつも悲しい過去を背負っていたり……
そうじゃなくトランスジェンダーがトランスジェンダーとしてそのまま存在するという作品を作りたかった、と。
意義深い作品だと思った。
制作チームの確固たる想いのつまった作品。伝えたいこと、きれいな映像。
主人公の凛とした姿、エンドロールはとても美しいと思った。
正直な感想を言うと、好きな作風の映画ではないかもしれない。内容やメッセージがどうとかではなく。
でも、私は、いい作品だと思った、本当に。
でも、なんだ、なんだろう。
朝まで頭の中にいろいろなことが巡り、なかなか寝られなかったことがある。
そして今も、モヤモヤとしている。
それは上映後のアフタートークでのことだった。

質疑応答の際、誰よりも早く「はい!」と大きな声と共に手を挙げたのは男性だった。
ざっくり言ったら〝大阪のおっちゃん〟。(大阪じゃなかったらごめん)
「その作品の制作陣や出演者にかかわりがあり、親しい人、や、他の映画関係者」ではないと思った。
本作の場合の、描かれた側の当事者(この言葉は好きではないのだが)でもない感じの。
と、感じたのは私だけじゃなかったのかもしれない。
「はい!」の瞬間、会場に緊張が走ったような気がした。
空気が、ちょっとざわつく、いや、ピリッとした気がしたのだ。
スタッフが彼にマイクを運び、彼が質問、いや、感想を述べた。
「不勉強で失礼なことを言ったらすみません」
「この作品の主人公のように自分で性を選ぶことに憧れがある」
「自分はそうではないからこそ、性を自分で選び決める快感のような」
(正確ではないが、そのような)
え?うわー。うーん。
と、私がなった、と、共に感じたのは会場中に走った、切るような空気だった。
冷めた、いや凍った。ぴしゃり、切り捨ての空気と、冷笑のようなものも感じた。
そりゃそうだろう。
登壇者の顔も一瞬戸惑い、ピリッとしたように見えた、
が、2人は言葉を選び、答えた、とても真摯なものだと思った。
そうして、その後の質問コーナーは和やか、止まることなく進んだのだけれど。
なんだろう。なんなんだろう。
翌日インターネットのblogにその際の気持ちを書いている文章もいくつか見つけた。
制作側もこの件に関して言及していた。

なんだろう。私のこのモヤモヤ、いや、こぽこぽとした音は。

昔から「好きじゃないな」と思うもの・ことがある。
一部の人だけで集団をつくること。
そこで別の集団を悪く言って中の人同士の結びつきを深めたりすること。
さらにその集団と集団が争うこと。
好きじゃない、は違うか、こわいな、か。
さらに、昔から「好きじゃないな」と思うもの・ことがある。
決めつけられること。「あなたって●●だよね」、今でも嫌だ。とても。
女だから●●とか、性や性別のことに関しても、他のことに関しても。
これは自分自身が親により様々なことを強制してこられたこと、
昔から集団に属するのが苦手だったこと、
見た目のコンプレックスが昔はあったことや
それについての何かを言われたりしてきたこと
いじめられている人を庇っていじめられたりしたこと、
いい意味か悪い意味かわからないが
感性やと考え方などが他と違うと言われることが多かったなど、
いろんな経験をしてきたせいかとも思う。
散々例を挙げて書こうとしたらあまりに長くなったためやめますが。

マジョリティとマイノリティなんて誰が決めたんだろうと思う。
数こそそうかもしれない。けれど。
あなたはこうあるべきとか、こうだ、とか、そうじゃないのはおかしいとか。
何、なんで?なんであなたに、なんで世間に、決めつけられないとあかんの。
私は私や。私でなにが悪いの、って全皆が言えない、そうあれないとおかしない?
のに、この世はなかなかそれが出来ないのはなぜなんだろう、いや、なんやろ、ほんま。
なら、もう変えていこう。
誰かのためにとかマイノリティのためにとかじゃなく、
自分のため全ての皆のためにこれからのために、
皆が皆、あなたが私がしんどくなくらしく生きていくいけるために。

そのためには?

なんでやろ。なんでこうなるんやろ。と、思う。
そもそも人間だからか。さまざますぎる人が居るからだろうか。
人間が人間である限り、家族をはじめ様々なちいさな集団を作る限り、
悪口を言い合ったり嫌ったり排除したり批判したりはなくならないのだろうか。
特に我が国は古来より群れたがる民族だからかな?
ずっと続いてきた狭い島国の文化風習? 
家制度、男尊女卑、武士道、宗教、ムラ社会村八分。え、気候のせいもある?
でもやっぱり変えていかねば変わっていかねばと思うのだ。
それはたぶん教育とかの話にもつながっていくと最近の私は思ってもいる。

教育って子供の頃からの勿論言葉通りのそれもある。教え、学ぶこと。
大人同士なら、「教え」という言葉は何か違うか、いや、違わないのではないか。
でも自分のまだ知らないことを互いに伝え合い、考え、学んでいく、
違うな、考えてゆく、考え続けてゆき、そして「対話」をしてゆくこと。
相手の違う考えを真っ向から受け入れなかったり否定したりするのではなく。
似た者同士や仲良しグループや
コレがわかる俺たちとかで固まって
「うんうんそうよね」とかもう片方の批判を言い合うんじゃなくて、それだけじゃなくて。
それだけじゃ、たぶん、ひろくさまざまには伝わらず、
本質的な問題はきっとまたまだ解決されないと思う、ずっと、この先、これからも。
あなたは私とは違う、私たちとは違うと言い切るのではなく。
お互いが、お互いに対して。互いの痛みを想像力をもって。同じ、人間なのだから。

あの日のあの空間の空気がとても息苦しかった。
あの怖さや居心地の悪さ苦しさを作った人たちをそうさせているのは、広く私たち皆であり社会だと思った。
と、共にあのおっちゃんとその考えを作ったのも、広く私たち皆であり社会だと思った。
あの空気を作るな笑うなと言いたいのではない。怒るなと言っているのでもない。そうじゃない。
あの質問をするなと言いたいのでもない。そうじゃない。そうじゃなくて。

この文章を書くのにとても悩み、迷いました。
でも私の思いです。アップさせて下さい。
伝わっていないかもしれない、伝わらないかもしれない、間違っているかもしれない。
うまく伝えられずすみません。でも。

「点から線へ」

本作は、おおきな意味で言うと、あなたの、私の物語なのだと思った。
主人公そして主人公のまわりにいる人は皆「私」なんだ、それぞれの「私」。
絶対に他人や他人事じゃない。
そしてきっとこれらの問題はトランスジェンダーや性や性別やその問題だけのことだけでもない。きっと。絶対に。

皆が皆らしく、すべての人の生きる権利のために。

今回、機会をいただき、観に行くことが出来、観られて、本当に良かったと思いました。

映画は26日まで大阪にて、と、この先関東や九州でも公開が決まっているそうです。

映画がそして書籍が
一部の人だけでなく、
たくさんのさまざまな人にこの機会に触れられますよう。機会をいただいた1人として、願ってやみません。

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大阪の物書き、
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中。
演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化も好きです。
現在、女2人の酒場巡りを連載中。皆の大事な場所についての文章も。

ふだんはラジオ番組の構成などに関わっています。
現在の主なものは、AMの懐メロリクエスト番組。(昭和1桁〜50年代歌謡)

旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、
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