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虐待の根本的な解決のために必要なのは、虐待する親の回復プログラム

虐待をしてしまう親の回復プログラムMY TREEの17年にわたる取り組みをまとめた、『虐待・親にもケアを』(森田ゆり編著、築地出版)が発行されました。

東京では、社会的養護のアフターケア相談所「ゆずりは」で、
5年前からこのMY TREEプログラムを実践しています。

虐待は、親を責め、批判しても、解決しません。

根本的な解決として、虐待をする親の「回復」は不可欠です。

回復ときくと、もしかしたら
「子どもにあんなにひどいことをしておいて、なにが親の回復だ。親が被害者ぶるのか」
と憤る方もいるかもしれません。
虐待や不適切な養育によってひどく傷つけられた子どもの姿を見れば、そう感じるのは自然なことだと思います。
「あんな親の元で育てられる、子どもがかわいそうだ」
そう、思うかもしれません。

私も、そうやって親の身勝手さ、理不尽さに振り回され、痛めつけられ、あきらめ、生きる気力も体力も奪われてきたひとたちに、出会ってきました。
男のもとに走る母親にすてられ自分たちで生きていこうとしたきょうだいたち。
母親から、同居の男の暴力に、自分を差し出された少女。
義母の暴力を見て見ぬふりする父親と、その家庭から逃げ出した少女。
激しい暴言、暴力にいためつけられ、徐々に学校に行けなくなった子。

彼らの生い立ちを聞けば、よく、いままで生きのびてきたねと、思わずにはいられません。
生きのびるために彼らが編み出し、使ってきた、様々な術に、その生きる困難さを思います。

親を恨み、怒りが抑えられない子もいました。
逆に、親を恨んでないという子もいました。
虐待を生き抜いてきた子たちの思いや考え、性格も、それぞれ、同じではありません。

でも、親への感情も、白黒はっきりつけられないこともあります。それは、複雑です。

「本当は、どうあってほしかった?」
と聞くと、
ほめてほしかった、笑ってほしかった、頭を撫でてほしかった、認めてほしかった、抱きしてめてほしかった……。
たくさん、たくさん、願いが出てきます。

のどから手が出るほど、ほしかったもの。
でも、かなわなかったもの。

その思いを、私たちの社会は、どう受け止めるべきでしょうか。

そして実は、親も虐待をやめたい、なんとかしたい、変わりたいと思っている人が多い。
でも、ひとりではもう、どうしていいかわからなくて、苦しんでいる。

親に変わってほしいと思っている子どもがいて、親もまた子どもへの虐待行為をやめたいと思っているのなら、MY TREEのような、親の回復プログラムは、必ず必要なものです。

虐待の川を流れてくる子どもを川下でキャッチしても、次から次へと流れてきて、川から救うので精一杯なのがいまの社会です。
川上の、虐待そのものを止めなければ、根本的な解決にはならないのです。

MY TREEでは、虐待をこう定義します。
「子ども虐待とはこれまで人として尊重されなかった痛みや悲しみを怒りの形で子どもに爆発させている行動である」

親自身の、その「怒りの仮面」の裏には、実は、恐れや不安、かなしさ、さびしさ、悔しさ、絶望、自信のなさ、喪失感など、さまざまな感情があります。

親自身が、自分自身をケアし、生きる力を取り戻すことが、子どもとの生活をやり直す、安定させるのには、不可欠なのです。

MY TREEも万能ではないでしょう。他の回復プログラムでもいいと思います。
ただ、虐待や不適切な養育で苦しむ親子に寄り添う活動をしている人には、ぜひ読んでいただきたいなと思います。
現在の法整備とこれからについても識者に語っていただき、実践者からの報告も多数掲載されています。読みでのある書籍です。

とても長くなってしまいましたが、
東京でもこのMY TREEプログラムが秋からまた始まります。
親子の再出発、再統合は、簡単ではないけれど、
それでも、親にも子にも、希望をと、思います。

※追記
リンクを貼り忘れましたのでこちらに。
https://www.amazon.co.jp/虐待・親にもケアを-森田-ゆり/dp/480671562X