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多灯分散、その一歩

皆さま、おはようございます。そしていつか読んでいただく方のために、こんにちは、こんばんは。そしておやすみなさい。

ずいぶん長くお休みしていたので、改めて以前書いたものを読んでいるとですね、「この部分はまた次回」とか、ネタ温存しやがって〜みたいなところがいくつかありまして。笑

なんか過去の記事とかを読んでいると、以前のテンションとか思い出して、ちょっと恥ずかしくなりますよね。そう、それが成長してる証拠!

それで今回はですね、以前書いた「多灯分散という考え方」について温存した部分(すいません)を書いていこうかなと。ちなみに以下で出てくる「一室多灯」と「多灯分散」は同じだと思ってください。比較する単語があるため、都合でそう呼んでいるだけでございます。

一番にリンク貼りましたが、前回のを読むのも面倒だと思うので、おさらいで要点ざっと書き出しますね!

  • 日本人は部屋に照明を一つ配置(一室一灯)する事が多いですよ

  • 海外では部屋に照明を多数もちいる(一室多灯)のがスタンダードなんです

  • 照明にも目的・場所別にいろいろ種類ありますよ

  • じゃあ、わたしたちも一室多灯を採用してみましょうか

  • でも、国が違えば住宅もライフスタイルも全然違うよ!

  • だって、育った環境や状況で人の身体的特徴は形成されるんですから

  • そもそも、快適と思える光量が違うんですよ

  • だから、北欧みたいに少ない光量で過ごすことが正しい事でも、おしゃれでもないのよ

  • つまるところ「北欧を再現する=照明を分かってる」ではなく「=暗いのが好き」なだけなんです

一気に書きまし、し、しまったぁ!今回お伝えすることの要点まで書いてしまったー!
もうこれで以下を読んでいただく必要はないかもしれません。という訳で、タイパ重視の若者も意識しながらやっています。

でも、もちろん続きは書くんですけどね。noteはやっぱり多少カロリー高めでないとですよね!どうぞ胃もたれしてください。



ともかくはじめに言いたいこと

まずこれだけは伝えさせてください。
「日本の一室一灯が遅れた文化、海外の一室多灯が進んだ文化ではない」という事を!!


改めてですが「一室一灯」は日本の住宅における主な照明の使われ方の傾向。そして多灯分散、つまり「一室多灯」が海外の住宅における云々〜という事でございます。

それでですね、照明を使って素敵な空間を作りましょうとなると、大抵の場合、この「一室多灯」にしましょうね。という提案が出ます。かくいう、わたしも上に紹介した過去の記事でそのような提案をしております。ただ、それをするにあたって、一つ注意すべき問題があります。

それが「”北欧のような”一室多灯にする」と、わたしたちにとっての快適な生活にはならないという事です。問題になるのは、ズバリ”光量”。どれくらい明るいかですね。
この提案がでる場合、十中八九“光量”も北欧をお手本に、というニュアンスが含まれていることが多く、そこに落とし穴があります。

ぼんやり、てんてんと、要所要所にあかりが灯り、全体的にはずーんと暗い。そんな海外の雰囲気は確かにおしゃれには見えますが、実際に日本で生活をするわたしたちにはとても暮らしにくい状態になります。

それでもみんな北欧大好き

ところがですね、インテリア業界の中でも照明という分野では、やっぱり「北欧」というワードの持つパワーがあまりにも強大です。意匠(デザイン)で売っていくならブランディングには必須とまで言われたこともありましたし、今でもそれを謳い文句やコンセプトにしているところはたくさんあります。

そういうところに話を聞くと、「ダイニングに吊るすペンダントライトは100Wの電球1つで十分ですよ」なんて言われる。「なんなら60Wでもいいくらいですよ」と。
その言葉に“それが正しい使い方”というニュアンスが乗っているのですが、実はこれ、好きすぎて北欧至上主義になるあまり真剣にそう思い込んでいる場合があるわけです。

わたしもそういう開発の場にいたので、これに関しては否定的とかではなく、営業マンの立場からすると、ビジネスとして最善手なんだろうなと割り切っているところはありました。中には実際にそうと信じて疑わない方もいますしね。重ね重ね言いますが、「北欧」ってそれくらい強いワードなのです。

ところが、やっぱり圧倒的多数の“お客さん”にとっては暗いんです。
だって、気候や季節、日照時間など国自体の環境の違いや、それに伴う住宅の構造やサイズ、そして何よりそこで育ったわたしたち人間に身体的な特徴の違いがあるんですから。

100Wの電球が放つ光を、日本人と欧米人が同じように感じているか。(※Wは明るさの単位ではないですが、イメージしやすいよう書いています)小さじ一杯のハバネロを、メキシコの人とわたしたちが同じ辛さで体感しているか。そんな感覚です。

めざすのは海外の文化ではない

狭くて天井が低く、さらに一つの部屋で様々な作業をする日本の住宅では、場所や行為によって使い分ける必要性や、そもそも照明を設置するスペースがあまりない。そんな中で定着した「一室一灯」というのは、ある意味、現代日本の文化ともいえます。

じゃあ、ここにきてなんで多灯分散をお勧めするの?というと、一室一灯が根差しているものは「効率」だからなんです。天井にある大きな丸いやつでピカーーーっとやってしまえば、狭い日本の住宅の照明は事足るわけです。だから、いくらダサいと言われていても、日本では丸くて平たくてめちゃくちゃ明るいシーリングライトが最も売れている。なんせ日本の暮らしに根ざしていますからね。

ただ、やっぱり効率以外のことが人生にもたらすものって結構あると思っていて(それがわたしが照明の話をし続ける理由でもあるのですが)、軽はずみに情緒とかわびさびなんて言えませんが、小さな幸せやちょっとした感動みたいなことが、この部分にあるのではないかと思っているのです。
まあいろんな場所に照明を置いて、ことあるごとに付け替えたりするのは確かに煩わしかったりしますけど(←台無し)

自分の快適に向き合いましょう

さて、ここでぐるりと初めの話に戻ってきます。
単に“おしゃれ”を提供するため、もしくは売上やブランディングのために海外の様式を模倣するのが常套手段になっている今。さらにはそれを肯定するため、それが正解だとか、日本人もお手本にすべきなんて言われることがある。ところが実際には光量に満足できない人が多い。そんな中でおすすめする多灯分散の話。

ここでお気付きの方もおられると思いますが、現地の人は“おしゃれ”にするためではなく、それが過ごし易いからそうしておられます。海外に正解を見出すとしたらここです。
だから、もし北欧のような明るさが自分にとって過ごし易いのであれば、それは単純に、その方にとって「暗い方が好み」ということ。“正しい”こととは少し違うわけです。

そういう意味で、わたしとしては“模倣”するのではなく、あくまで“参考”に、そして基本的には、自分たちが心地よく過ごせる明るさにするのがいいと思っています。

例えば、丸いシーリングライトの光量を少しだけ下げて、その分テーブルライトをつけて手元にあるあかりを感じてみるとか。全体的にそこそこ光量が取れる明るめのペンダントライトとフロアライトでまとめてみるとか。一日の活動を終えた何もしない時間から、ずーんと暗い空間にしてブラケットライトをつけてみるとか。
光はグラデーション。明るい中でも暗い中でも、調子がつくような使い方はちゃんと出来ます。

正解の状態が先にあるのではなく、快適や満足のために考えたものがあなたの正解になるのです。
さあ、あなたが心地よいと思える光量で、その空間を満たしましょう。

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